ウィキペディアで調べてみたいガープスに出てきた用語

基本概念

自然/世界/社会/共同体/国家/軍事/コミュニケーション/文明/文化/暴力/宗教/政治/法/経済

体力 

2 歩けない 3 三歳 4 四歳 5 六歳 6 八歳 7 十歳 8 十三歳 10 標準 12 運動好き 14 運動 16 重量上げ選手 18 筋肉マン 20 重量上げオリンピック選手

敏捷力

1 乳児 2 歩けない 7 不器用 10 標準 12 優雅 14 スポーツマン 16 体操選手 18 フェンシングのオリンピック選手 20 プロ選手 

知力

1 植物 2 昆虫 3 爬虫類 4 馬 5 犬 6 チンパンジー 7 幼児 8 鈍感 10 標準 12 やや聡明 13 聡明 14 とても聡明 15 秀才 16 天才 19 ノーベル賞

生命力

1 ほぼ寝たきり 3 とても病弱 5 病弱 7 ひ弱 10 標準 13 精力的 16 きわめて健康 20 病気知らず

ファンタジー世界/中世では、一千ドル(銅貨千枚)
十九世紀末期から二十世紀初頭は、七百五十ドル
第二次世界大戦の時代なら、五千ドル
現代、あるいは未来なら、一万五千ドル

レベル0:兵士(兵卒、空士、水兵など)
レベル1:分隊、小隊の下士官曹長、軍曹など)
レベル2:レベル3〜5の軍人の副官(特務曹長、一等曹長
レベル3:小隊の指揮官(准尉、少尉)
レベル4:中隊の指揮官(大尉、少佐)
レベル5:大隊の指揮官(中佐)
レベル6:旅団、連帯規模の軍の指揮官(大佐)。あるいは主力艦の艦長。
レベル7:師団規模の軍の指揮官(准将、少将)。
レベル8:軍団規模の軍の指揮官(中将、大将、提督、元帥)。

社会的弱者

二等市民(十九世紀アメリカの女性)
価値ある財産(十八世紀アメリカ、あるいは十六世紀日本の女性など)
被差別集団
無法者、蛮人、局外者

後援者が強力な個人(最低でも150CPで作られる)だったり、その世界の標準額の一千倍以上の資産を持つ集団なら
後援者がきわめて強力な個人(最低でも200CPで作られる)だったり、かなりの力を持つ組織(標準額の一万倍以上の資産を有する。たとえば、ロサンジェルス市警など)なら
後援者がきわめて強力な組織(標準額の百万倍以上の資産を有する。たとえば、国際的な大企業や、小さな国家など)である場合
後援者が大きな国家の政府だったり、全世界的な超大企業だったりする場合

雇い主/知人:あなたはそれなりの責任を感じていますが、ちゃんとした理由があれば、彼らの生命を危険にさらすこともできます。
親友:いつでも守ろうと努力しなければなりません。友人の生命を危険にさらすことができるのは、きわめて重要な問題(たとえば、多数の人々の安全)を解決する必要がある場合だけです。基本CPはそのままです。
最愛の人:肉親や恋人などです。あなたは、最愛の人の安全を最優先に(自分の生命よりも)考えなければなりません。

足手まといとして適当なNPCの例をあげてみましょう。年老いた親戚、教師、友人、子供、弟、妹、恋人、伴侶などは、あらゆるPCの足手まといになります。犯罪を取り締まるPCには、相棒、情報屋、被後見人なども適当でしょう。魔術師には見習い、船長には水夫、兵士には孤児や新兵などが足手まといになりえます。犯罪者やマッド・サイエンティストには、無能な部下というのがつきものでしょう。

恐怖症として、よくあるものを例示します。
群衆恐怖症:10人以上の人々に対する恐怖。
暗闇恐怖症:暗闇に対する恐怖。
死体恐怖症:人間の死体に対する恐怖。
汚れ恐怖症(異常潔癖症):ゴミや細菌に対する恐怖。
閉所恐怖症:空が見えない場所への恐怖。
高所恐怖症:高さ15m以上の場所への恐怖。
昆虫恐怖症:あらゆる種類の虫に対する恐怖。
騒音恐怖症:大きな音に対する恐怖。
機械恐怖症:高度の機械に対する恐怖(弩いしゆみや自転車までは平気)
魔法恐怖症:魔法に対する恐怖。
怪物恐怖症:「自然でない」動物に対する恐怖。
?13"恐怖症:「13」という数字が関連する行動に対する恐怖。
海洋恐怖症:岸が見えない大きさの水に対する恐怖。
広場恐怖症:屋根のない場所に対する恐怖。
爬虫類恐怖症:爬虫類や両棲類に対する恐怖。
尖端恐怖症:尖ったものに対する恐怖。
神経質:あらゆる「気持ち悪いもの」に対する恐怖。小さな虫や這う動物、血液、死体、スライムなどが恐怖の対象。
異人恐怖症:馴染みのない状況や物、見知らぬ人々に対する恐怖。
武器恐怖症:あらゆる種類の武器に対する恐怖。

タバコ ヘロイン


海賊の名誉:誰かに侮辱されたら、かならず侮辱しかえさねばなりません。相棒の敵は、あなたの敵です。同じ船に乗る仲間や相棒とは、公正で公開の決闘を除いて、戦ってはなりません。
紳士の名誉:絶対に約束を破ってはなりません。あなた自身、淑女、あるいは国旗に対する侮辱を看過することはできません。侮辱を償うには、相手に謝罪させるか、あるいは決闘(死ぬまでのものとは限りません)するかです。一対一の戦闘に際しては、相手より有利な条件で戦ってはなりません。つまり、武器などの条件を等しくしなければならないのです(もちろん、野戦の時は除きます)。ただし、こうした規範は相手もまた紳士であるときのものです。地位レベルがゼロ以下のキャラクターから侮辱を受けた場合、必要なのは決闘ではなく、鞭打って思い知らせることです。
騎士の名誉:まず、紳士の名誉重視と同じことを守らねばなりません。ただし、まだ国旗はまだ存在しませんから、君主や信仰に対する侮辱が問題となります。さらに、あなたは自分より弱い者や、女性を守らねばなりません。自分と地位が同じか、それ以上の者から決闘や試合を挑まれたら、かならず受けて立たねばなりません。野戦の時でも、相手が貴族で騎士道を重んずる人間であれば、武器や戦力は対等にしなければなりません。


例:「地球は平らだ」「ボーイ・スカウトと健康食料品店は、陰でペンタゴンが操っている」「靴下を履くと足の病気になる」
軽い妄想
「リスは神からの使者だ」「秘密結社がいつもわたしを見張っている」「わたしはフノーディアス公爵家の跡継だが、生まれたときにジプシーにさらわれ、いまは一般人に身をやつしている」
相当な妄想
「すべての電話が、政府によって盗聴されている」「わたしは絶対的な方向感覚と完璧な記憶力を有している」
ひどい妄想
「わたしがナポレオンだ」「わたしは不死身だ」「機械はアイスクリームを垂らすとよく動く。特にコンピュータにはかならずアイスクリームを垂らすことだ」

技能とは、ある特定の専門分野に関する知識や経験のことです。核物理学から柔道、剣の使い方、自動車修理、死の呪文、英会話に至るまで、すべてが技能です。


技術系技能

以下の技能は、教科書を読んで(あるいは教科書なしで)独学することもできますが、技術系技能のコツ(たとえそれが単純なものであっても)を自分でつかむのは簡単なことではありません。<大工><革細工>以外の技術系技能は、教師なしで修得しようと思ったら、学習速度は四分の一になります。

機械工/文明・種別(精神/並) 
自動車のエンジンなど、機械的な道具の修理を行なう技能です。分野ごとに異なる技能としてあつかいますから、以下の分野のどれかに専門化してください。
馬車/蒸気機関/時計などの小機械/小型モーター/ガソリン・エンジン/プロペラ・エンジン/ジェット・エンジン/ホーバークラフト・エンジン/パワー・セルおよび大型モーター/船舶の推進機関/惑星間宇宙の推進機関/恒星間宇宙船の推進機関/ロボット

武具屋/文明(精神/並)

文明レベル5以下の<武具屋>は、以下のような分野に自発的に専門化できます。
黒色火薬銃/手持ち武器(剣、斧・・・)/防具/攻城兵器/弓/(黒色火薬の)大砲
文明レベル6以上の<武具屋>は、かならず専門化しなければなりません。以下の分野ごとに、まったく異なる(技能なし値にも関係しない)技能としてあつかいます。
ライフルおよび拳銃/ビーム・ガン/車載兵器/宇宙船兵器/重砲(艦載も含む)/ボディ・アーマー/ニードル・ガン/航空機搭載兵器/超能力兵器/宇宙船防御システム/その他の特殊兵器

世のなかには、冒険の役にも立たなければ、収入にもほとんどつながらないさまざまな技能があります。こうした趣味の技能(アニメ、鉄道模型、熱帯魚、映画、SF、ゲーム・・・・・・とてもすべては書ききれません)を学ぶには、教師は必要ありません。

母国語でない言語は、精神系の技能とみなします。難易度は言語ごとに異なります。
易:エスペラント語などの人造語。
並:ほとんどの言語(英語、日本語、フランス語・・・・・・)。
難:バスク語、ナバホ語、異星語など、人間の「普通の」言語体系からはずれるもの。
至難:人間には発音が困難な異星語。

異国語を学ぶ場合、教師がいなければ学習速度は四分の一です。また、異国で生活していると、その国の言語を毎日四時間ずつ学習しているのと同じ効果があります(これによって修得できるのは知力と同じレベルまで)。

言語の技能レベルの内容を簡単に説明します。
4レベル以下:重要単語を知っている。
5〜6:単純な内容を、ゆっくり話すことができる。
7〜8:あまり不自由なく話せる。(異国語なら)かなり変なアクセントがある。
9〜10:母国語レベル。異国語でもまったく不自由がないが、まだなまっている。
11〜12:教育を受けた人の母国語レベル。かすかになまっている。
13〜14:ことわざまで完璧に話せる。会話からは、外国人とはわからない。
15以上:きわめて流暢。異国語でも、その言葉で考えることができる。

生存/種別(精神/並)
野外で食料や飲み水を確保したり、危険を避けたり、安全な隠れ家を作るといった行動に関連する技能です。地形が異なると、異なる技能としてあつかいます。次の地形の中からひとつ選んで専門化してください。
砂漠/森林/平原/ジャングル/極地/島・海岸/山岳/沼地/放射能汚染地

専門技能とは、賃金を得るのに役にたつけれど、他ではほとんど無意味な技能のことです。そうした技能は無数に存在します。理髪師、鳶職、ジャーナリスト、検事、セールスマン、ゲーム・デザイナー・・・・・・。

ほとんどの専門技能は、実地で修得するか、あるいは専門学校で学習することになります(独習は難しいでしょう)。以下に、ゲームで役にたつ専門技能をいくつかあげてみましょう。

技師/文明・種別(精神/難)
複雑な機械の設計・製造に関する技能です。謎の機械の昨日を解明したり、機械的・電気的な故障を修理したり、新しい機械を設計したり、即席で役だつ機会を作ったりできるでしょう。

この技能は、特定の分野に専門化しなければなりません。以下のような分野の中から選んでください。
単純機械(前提技能:機械工)/採掘(前提技能:地質学)/車輌(前提技能:機械工)/爆弾と罠(前提技能:罠)/配管(前提技能:なし)/時計(前提技能:機械工)/電気製品(前提技能:なし)/戦闘工兵(前提技能:なし)/銃器(前提技能:なし)

地域知識/種別(精神/易)
ある特定の地域の、風土・習慣・政治などに関する知識をあらわします。

<地域知識>は、特定の地域に専門化しなければなりません。その地域が狭ければ狭いほど、知識はより具体的で精密になっていきます。地域の広さに応じた知識量の、だいたいの目安は次のとおりです。
一キロ四方:住民の名前、小道、小川、隠れ場所、不意打ち場所、動植物など
村、小さな街:重要人物、住民の多く、公共施設のすべて、店の大半。
都市:大きな会社、大通り、重要人物など。
地方、小国家:町村の位置、政策、指導者、地位レベル5以上の人々。
国家:大都市の位置、主要種族の言語や習慣、政治的・経済的な状況、地位レベル6以上の人々。
惑星:国家に準じる。地位レベル7以上の人々。
恒星間国家:主要惑星の位置、主要種族の言語・習慣、政治・経済状況、地位レベル7以上の人々。

運転/種別(肉体/並)

車輌の種類には、以下のようなものがあります。文明レベルがちがうと、別の種類とみなします。
乗用車/レーシング・カー/トレーラー/工事車輌/ATV/戦車/ホーバークラフト

操縦/種別(肉体/並)

機体の種類には、以下のようなものがあります。ひとつ選んで専門化してください。
熱気球/超軽量機・ハングライダー/グライダー/単発プロペラ機/双発プロペラ機/多発プロペラ機/多発ジェット機/ジェット戦闘機/小型ジェット機/小型ヘリコプター/大型ヘリコプター/スペース・シャトル/反重力機器/反重力ベルト/宇宙戦闘機/大型宇宙船

学習による成長

キャラクターは、冒険や労働をしていない自由な時間(そして金)を使って、技能を学ぶことができます。この場合、二百時間の学習が、1CPの経験に等しくなります。

技能によっては、教師につかないで学習できるものもあります。独習の場合も、教科書などにそれなりの金をつかわなければならないでしょう。独習は、学習速度が半分(二百時間が0.5CPの経験に等しい)になります。

受動防御
攻撃を受けた場合、防御側に有利に働く要素として、防具や盾などによる受動防御があります。そうした防御効果は、能動防御と組みあわせることによって最大に効果を発揮しますが、能動防御ができないときの最後の砦としても役に立ちます。受動防御は、たとて意識をなくしていたり、攻撃に気づいていなかったとしても、キャラクターの身を守ってくれるのです。固くてなめらかな鎧の表面によって、命中したはずの攻撃が流されてしまうとか、偶然にも盾に命中してくれるといったことによって、敵の攻撃を防ぐのです。

病気とは、通常、細菌によって引き起こされ、感染した人間や動物が広める「伝染病」を指します。

感染症」は、傷口に入った細菌によって引き起こされます。感染症はどこででも起こり得ますが、場所によっては(特に密林地帯)、特に重い感染症が潜んでいます。

魔法とは、マナと呼ばれるエネルギーを、呪文によって制御し、さまざまな効果をひきだす技法です。

マッチ、たいまつ、ブローランプ、マグネシウム、リン。

輻射熱、絶対零度

動物の調教
動物が吸収できる訓練の内容は、その知力によって制限されます。
知力3:平均的な爬虫類。誰が主人かを理解し、餌の合図をすれば寄ってきます。また主人を攻撃することもありません(通常は)。
知力4:平均的な馬や鷹。自分の働きにあった命令を聞くことができます(鷹なら狩り、乗用動物や荷役動物なら、人を乗せたり荷物を運んだりする命令)。主人に対して、あるいは人間に対して、危害を及ぼすこともありません(どちらにするかは、調教師の選択です)。自分の名前を理解し、呼ばれればやってきます。
知力5:平均的な犬。知力4の場合と同じですが、さらに動物の種類に応じて、「取ってこい」「攻撃しろ」「探せ」「座れ」などの命令が加わります。また、危険を感じ取れば、それを主人に知らせようとします。主人のためには、命がけで戦うでしょう。
知力6:平均的な猿。知力5の場合と同じですが、さらに複雑なこともできます。

調教に要する時間は、動物の知力と、調教内容のレベルによります(次頁参照)。調教師は、二時間ずつ二回に分けて一日に四時間、動物を調教することができます。

猿、チンパンジー、ゴリラ。熊、ツキノワグマ、ヒグマ、ハイイログマ、シロクマ、ドウクツグマ。ラクダ。猫。鹿。犬。象。鷹。馬とラバ。ライオン。蛇、パイソン、ガラガラヘビ、サンゴヘビ。虎。狼。猪。

文明レベル

文明レベルとは、その世界で達成されている戦端技術を基準にした、技術(あるいは文化)の発達の度合いをあらわす数値です。

文明レベル0

概要:石器時代。火、梃子、言語。
移動手段:徒歩
エネルギー:人力
武器:素手と石器
医療:なし

文明レベル1

概要:青銅器時代。車輪、文字、農業
移動手段:馬車と帆船
エネルギー:水車
武器:先端が金属の槍と矢、青銅の剣、革鎧
医療:薬草

文明レベル2

概要:鉄器時代
移動手段:外洋ガレー船
エネルギー:風車
武器:鉄の剣、盾、スケイルアーマー
医療:瀉血、化学薬品

文明レベル3

概要:中世(〜一四五〇年)。鋼鉄、数字のゼロ
移動手段:外洋帆船
エネルギー:馬力
武器:鋼鉄の武器、フレイル、弩

文明レベル4

概要:ルネサンス/植民時代(一四五一〜一七〇〇)。火薬、印刷術
移動手段:大型帆船、熱気球
エネルギー:とくになし
武器:マスケット銃、大砲、帆走軍艦
医療:さまざまな人体実験

文明レベル5

概要:産業革命(一七〇一〜一九〇〇)。大量生産、蒸気機関、電信器
移動手段:蒸気船、鉄道、大型気球
エネルギー:大型蒸気船、直流電気
武器:鋼鉄の軍艦、ダイナマイト、連発銃
医療:細菌の発見。麻酔、ワクチン

文明レベル6

概要:世界大戦(一九〇一〜一九五〇)。自動車、航空機、ラジオ
移動手段:自動車、航空機、潜水艦
エネルギー:水力発電、交流電気
武器:戦艦、戦車、機関銃、戦闘機、原爆、フラック・ジャケット
医療:外科手術、抗生物質

文明レベル7

概要:現代(一九五一〜二〇〇〇)。核エネルギー、コンピュータ、レーザー、ロケット
移動手段:ジェット機、スペース・シャトル、リニアカー、ホーバークラフト
エネルギー:核分裂、核熱融合、太陽発電
武器:核ミサイル、原潜、ジェット機、ケヴラー
医療:移植

文明レベル8

概要:宇宙時代(二〇〇一〜二〇五〇?)。宇宙旅行核融合
移動手段:宇宙船、大陸間ライナー
エネルギー:軌道上で集めた太陽エネルギー
武器:サイボーグ戦車、軌道レーザー、生物兵器、バトルスーツ、磁気ニードル銃
医療:クローン、バイオニック

文明レベル9

概要:恒星間時代。超光速宇宙船、人工知能、長命術
移動手段:恒星間宇宙船
エネルギー:常温核融合
武器:熱線銃、粒子加速砲、スタナー
医療:長命術、完全免疫、仮死、自動治療

移動

パーティが一日に移動できる距離は(徒歩でも馬に乗っていても)荷重レベルに応じて決まります。道の状態がよければ、無荷で75km、軽荷で60km、並荷で45km、重荷で30km、超重荷で15kmが一日の標準移動速度です。この速度は、地形による修正を受けます。
最悪の地形(ジャングル、沼地、山岳地帯、砂漠、深い雪):速度五分の一
悪い地形(森、いりくんだ谷、いくつもの川):速度は四分の一
ふつうの地形(なだらかな丘、林、固い雪道)
けもの道(最悪の地形の中に切り開かれた、かすかな踏みあと程度):速度三分の一
悪路(舗装されていないでこぼこ道):速度は標準。ただし雨が降ると沼地になる。
舗装路:速度は標準。

職業
GMは、冒険世界でキャラクターが選ぶことのできる職業と、その基本的な給料を書いた表を準備しましょう。そうした表があれば、NPCを雇い入れたり、PCが仕事を探すのにとても便利なはずです。

仕事と学習
八時間の労働は二時間の学習と同じ効果があります(263頁参照)。

訳者あとがき

そう、この本は小説でもリプレイでもない、テーブルトークRPGのルールブックなんですよ。しかも、ファンタジーでもSFでも現代社会でも、どのような背景世界でもすんなりRPGを楽しむことができる汎用RPGなんです。

品物の防護点と生命力

細いロープ(直径1センチ)防1 生命力2 太いロープ(直径2センチ)防3 生命力6 太綱(直径2.7センチ)防4 生命力10 鉄のケーブル(直径0.6センチ)防2 生命力6 鉄のケーブル(直径1.2センチ)防4 生命力8 鉄のケーブル(直径2.5センチ)防6 生命力30 木の柱(直径2.5センチ)防1 生命力3 木の柱(直径5センチ)防3 生命力8 木の柱(直径7.5センチ)防4 生命力12 木の柱(直径10センチ)防6 生命力20 木の柱(直径12.5センチ)防6 生命力30 木の柱(直径15センチ)防6 生命力50

青銅/鉄の棒(直径1.2センチ)防1 生命力4 青銅/鉄の棒(直径2.5センチ)防3 生命力20 青銅/鉄の棒(直径5センチ)防3 生命力60 鋼の棒(直径1.2センチ)防1 生命力4 鋼の棒(直径2.5センチ)防3 生命力25 鋼の棒(直径5センチ)防8 生命力80 壁板(厚さ1.2センチ)防1 生命力5 合板(厚さ1.2センチ)防3 生命力15 木の厚板(厚さ2.5センチ)防2 生命力10 木の厚板(厚さ5センチ)防4 生命力20 木の厚板(厚さ7.5センチ)防6 生命力30 薄い鉄/青銅(厚さ0.3センチ)防3 生命力6 薄い鉄/青銅(厚さ0.6センチ)防4 生命力12 鉄の厚板(厚さ1.2センチ)防6 生命力12 鉄壁(厚さ2.5センチ)防8 生命力50 薄い鋼(厚さ0.3センチ)防4 生命力10 薄い鋼(厚さ1.2センチ)防6 生命力20 鋼の厚板(厚さ0.6センチ)防7 生命力40 鋼の壁(厚さ2.5センチ)防8 生命力80 レンガの壁(厚さ7.5センチ)防6 生命力40 コンクリートの壁(厚さ12.5センチ)防4 生命力60 石壁(厚さ12.5センチ)防8 生命力90 石壁(厚さ30センチ)防8 生命力180

ロバ、小型のラバ、大型のラバ、ポニー、競争馬、乗用馬、騎馬、重装軍馬、荷引き馬、牛、ラクダ、象

地位/生活費表

地位レベル/ファンタジー世界での生活費/現代先進国での生活費
8/専制君主:$50000以上/対応職業なし
7/国王、法王:$20000以上/大統領:$20000
6/王子、公爵、大司教:$10000/総督、上院議員:&10000
5/伯爵、男爵、司教:$5000/大企業のリーダー:$8000
4/有力領主:$2500/名鑑に乗る名士:$6000
3/小領主:$1500/大都市の市長:$4000
2/ナイト、市長、大商人:$800/市長:$2400
1/ナイトの従者、船長、商人:$400/医師、地方議員:$1200
0/自由民:$200/一般市民:$600
−1/小作農、召使い:$100/貧しい市民:$300
−2/法に守られない者、最下層民:$50/乞食:生活費なし
−3/乞食:$50/対応職業なし
−4/農奴、奴隷:$50/対応職業なし

職業表

最低の職業 召使い$200 泥棒 厳しい職業 荒くれ:したっぱの護衛や戦士、刺客など、$400 芸人、$15×必要+$1×もう一方の必要 小作農、$300 荷運び、$300 標準の職業 自作農、$500 職工、$35×必要 護衛、兵士、$500 小売商、$30×必要 快適な職業 職工頭、$30×必要 商人、$30×必要 軍の士官、騎士、$15×必要技能の合計 儲かる職業 官僚、政治家、$40×必要 宗教的指導者、収入は教会の規模により多様

特徴表

社会的特徴

嫌な行動/カリスマ/軍人階級/原始的/社会的弱者/聖職者/地位/特殊な背景/法の番人

肉体的特徴

足すくみ/暗視/片腕/片手/片目/頑強/頑健/吃音/巨人症/近視・遠視/血友病言語障害/広視界/高速治癒/高齢/視覚障害色盲/柔軟/色素欠乏/聴覚障害/長命/痛覚過多/難聴/反射神経/肥満/歩行障害/発作/味覚消失/未成年/やせっぽち/両手きき/矮人症

精神的特徴

暴れん坊/意志の強さ/意志の弱さ/内気/鋭敏感覚/鋭敏視覚/鋭敏聴覚/鋭敏味覚/臆病/音楽能力/我慢強さ/かんしゃく/記憶力

容貌

最悪/醜悪/悪い/魅力的/美人/超美人

財産

どん底/赤貧/貧乏/標準/快適/富裕/大金持/富豪

名声

最悪/悪党/悪人/小悪人/好人物/善人/人格者/聖人

仲間と敵

仲間/足手まとい/敵/後援者



技能表

医学系技能

医師・文明/応急処置・文明/催眠術/手術・文明/診断・文明

運動系技能

運動・種別/軽業/呼吸法/自転車/乗馬・種別/水泳/スキー/潜水/跳躍/投げ/パラシュート/武器技能/無重力・文明/ランニング

学術系技能

遺伝子・文明・種別/宇宙航法・種別/化学・文明/鑑識・文明/技師・文明・種別/気象学・文明/経済学/研究/建築・文明/原子物理学・文明/考古学/言語学/採掘/植物学・文明/人類学/数学/生化学・文明/生態学/神学/神秘学/心理学/生理学・文明/地質学・文明/電子工学・文明・種別/天文学・文明/動植物知識/動物学/農業・文明/犯罪学・文明/物理学・文明/プログラム・文明/文学/治金・文明/歴史/錬金術・文明

技術系技能

鍛治屋・文明/革細工/機械工・種別・文明/造船・文明・種別/大工/調理/陶芸/武具屋・文明・種別/宝石屋・文明/木工

芸術系技能

踊り/絵画/歌唱/楽器・種別/記録/吟遊詩人/作詞/写真術・文明/書道/彫刻

言語系技能

言語・種別/手話・種別/電信/身ぶり

社会系技能

言いくるめ/演技/演劇/外交/管理/吟遊詩人/指揮/指導/社交/商人/政治/性的魅力/戦術/戦略・種別/地域知識・種別/賭博/礼儀作法

車両系技能

宇宙服・文明/運転・文明・種別/オートバイ・種別/機械工・文明/御者/自転車/操縦・文明・種別/バトルスーツ・文明/砲術・文明・種別/ボート/モーターボート

戦闘系技能

弩/斧・メイス/斧投げ/格闘/空手/剣/小型盾/黒色火薬銃/再装填・種別/銃器・文明/柔道/準備・種別/盾/短剣/杖/投石器/ナイフ/ナイフ投げ/長槍/投げ縄/ネット/バトルスーツ・文明/ビーム兵器・文明/フェンシング/フォースシールド/フォースソード/武器投げ/吹き矢/ブラックジャック/フレイル/砲術・文明・種別/ボーラ/鞭/槍/槍投げ槍投げ器/弓矢/ランス/両手斧・メイス/両手剣/

専門技能

会計/コンピュータ・文明/電子機器・文明/法律/紋章学

盗賊系技能

言いくるめ/隠匿/嘘発見/演技/鍵開け・文明/偽装/偽造・文明/交渉/忍び/情報分析/尋問/水中爆破/すり/脱出/探索/追跡/手品/登攀/読唇術/毒物/爆発物・文明/尾行/腹話術/変装/罠・文明/

動物系技能

御者・種別/獣医・文明/乗馬・種別/鷹匠/動物使役/荷役

野外系技能

航法・文明/生存・種別/地域知識・種別/追跡/釣り/動植物知識/登攀/船乗り・文明/ボート

武器表―古代・中世

斧/メイス:ハチェット/アックス/手投げ斧/小型メイス/メイス/ピック
ブラックジャック
剣:ブロードソード/バスタードソード/小型クラブ
フェンシング:スモールソード/レイピア/サーベル
フレイル:モーニングスター/フレイル/
ナイフ:大型ナイフ/小型ナイフ/ダガー
ランス:ランス
長槍:グレイヴ/ポールアックス/ハルバード
短剣:ショートソード/バトン/サーベル
槍:ジャベリン/スピア
杖:クォータースタッフ
両手斧/メイス:グレートアックス/ウォーハンマー/モール/サイズ
両手剣:バスタードソード/グレートソード/クォータースタッフ

 
射撃武器表―古代・中世

斧投げ:ハチェット/手投げ斧
吹き矢
ボーラ
弓矢:ショートボウ/レギュラーボウ/ロングボウ/コンポジットボウ/矢筒
弩:クロスボウ/プロッド/ヤギの足
ナイフ投げ:大型ナイフ/小型ナイフ/ダガー
投げ縄
ネット:ラージネット/戦闘ネット
投石器:スリング/スタッフリング
槍投げ
槍投げ:ジャベリン/スピア
投げ:石/火炎瓶

防具表

鎧:夏服/冬服/クロース・アーマー/ライト・レザー/ヘビー・レザー/チェインメイル/スケイル・アーマー/ハーフ・プレート/ライト・プレート/ヘビー・プレート/フラック・ジャケット/ライト・ケヴラー/ヘビー・ケヴラー/ライト・ボディ・アーマー/リフレック/ミディアム・ボディ・アーマー/ヘビー・コンバット・アーマー

盾:バックラー/スモール・シールド/ミディアム・シールド/ラージ・シールド/フォースシールド/
 
装備表―古代・中世

食料:旅行用携帯食/宿屋の標準的な夕食/水/ワイン/ブランデー
治療器具:治療セット/救急箱/医師鞄
登山用具:細紐/ロープ/太縄/鋼線/鉄釘/引掛け鈎/鍵開け器/上質鍵開け器
工具:2mの棒/つるはし/シャベル/かなてこ/かなづち/手斧
野外用装備:必需品セット(フォーク、スプーン、タオル、火打ち石など)/キャンプ道具(6〜8人用の食事用具、短いロープなど)/研石/たいまつ/カンテラカンテラの油/テント(1人用、ロープ付き)/テント(2人用、ロープ付き。2mの棒が支柱に必要)/テント(4人用、ロープ付き。支柱が2本必要)/テント(20人用、ロープ付き。支柱が16本必要)/毛布/寝袋/魚網/陶器の瓶(1リットル)/陶器の瓶(4リットル)/水袋(4リットル)/水袋(20リットル)/小袋(1.5kgまで入る)/小袋(5kgまで入る)/リュックサック(20kgまで入る)/リュックサック(枠付き、50kgまで入る)
乗り物関係:鞍(乗馬用)/馬車(1頭立て、1トンまで運べる)/馬車(2頭立て、2トンまで運べる)/馬車(4頭立て、4トンまで運べる)/牛車(10トンまで運べる)/ボート(500kgまで積める)/カヌー(300kgまで積める)

武器表―現代・未来

略号

オー:オーストリア/ベル:ベルギー/イス:イスラエル/ソ:ソビエト連邦/SF:未来兵器

P:パラベラム/ACP:オートマチック・コルト・ピストル/LR:ロング・ライフル/S:ショート/M:マグナム/N:ニードル/GN:磁気ニードル/Sp:スペシャル/R:ロシアン/W:ウェブリー/C:コルト/G:ゲージ

オートマチック・ピストル

モーゼル’96、7.96、1896、独/モーゼルルガー、9mmP、1904、独/コルトマグナム1911、.45ACP、1910、米/ワルサーPPK、.32ACP、1929、独/FN HP35、9mmP、1935、ベル/ルガーSTD、.22LR、1949、米/AMTバックアップ、9mmP、1976、米/ベレッタ92、9mmP、1976、伊/グロック17、9mmP、1982、オー/IMIイーグル、.44M、1984、イス/ニードラー、.01N、SF/磁気ニードラー、.02GN、SF/レーザーピストル、SF(ビーム)/スタナー、SF(ビーム)/ブラスター、SF(ビーム)

リボルバー

コルト・テキサス、.34、1836、米(黒色)/S&Wロシアン、.44R、1871、米/ウェブリーNo1、.455W、1877、英/S&W M10、.38Sp、1902、米/コルトパイソン、.357M、1955、米/S&W M29、.44M、1956、米

単発ピストル

ホイールロック、.60、17世紀(黒色)/フリントロック、.51、18世紀(黒色)/ワグドンピストル、.45、1800(黒色)

散弾銃

ブランダバス、8G、18世紀、英(黒色)/イサカ、10G、1900、米/レミントンM870、12G、1950、米

ライフル銃

キャノンロック、.90、16世紀(黒色)/マスケット、.80、17世紀(黒色)/ブラウンベス、.75、1720、英(黒色)/ケッタッキー、.45、1750、米(黒色)/ファーガソン、.60、1777、英(黒色)/ベイカー、.625、1790、英/エンフィールド、.577、1853、英(黒色)/マルティニ・ヘンリー’71、.45、1871、英/レミントンライフル、.45C、1871、米/スプリングフィールド、.45、1873、米/ウィンチェスター73、.44、1873、米/ルベル86、8mmL、1886、仏/シャープス50、50、1890、米/ウィンチェスター94、.30、1894、米/モーゼル’98K、8mm、1898、独/レミントンMk3#1、.303、1903、英/M1903A1、.30、1906、米/H&Hエクスプレス、.600、1923、英/M1ガランド、.30、1936、米/AK―47、7.62mmR、1949、ソ/FN−FAL、.308、1982、独/ニードルライフル、.01N、SF/レーザーライフル、SF(ビーム)/軍用レーザーライフル、SF(ビーム)/磁気ニードルライフル、.02GN、SF/ブラストライフル、SF(ビーム)/ディスラプター、SF(ビーム)/スタンライフル、SF(ビーム)

サブマシンガン

トンプソン、.45ACP、1922、米/MP40、9mmP、1940、独/PPSh41、7.62、1941、ソ/IMIウージー、9mmP/H&K MP5、9mmP、1966、独

榴弾(軍人以外は、基本的に購入できない)

アメリカ Mk2 防御用/アメリカ Mk67 防御用/アメリカ Mk68/アメリカ AN−M8 発煙/アメリカ M59 攻撃用/イギリス No.36 防御用/イギリス゛ジャム缶”/ドイツ゛ポテトマッシャー”/ソビエト RGD−5 防御用

弾薬

口径.40以上のピストル/徹甲弾/ホロウ・ポイント弾/ニードル/磁気ニードル

装備表

食料

安い食事$3.5/ふつうの食事$7.5/高級な食事$25/安い酒$10/高級な酒$20/携帯食(1週間ぶん)1kg、$50

治療器具

治療セット/救急箱/医師鞄

登山用具

細紐/ロープ/太縄/鋼線/鉄釘/引掛け鈎/鍵開け器/上質鍵開け器/手錠

工具

かなてこ(1mの鉄棒)/切断用トーチ/トーチ燃料(1kgで2分)/かなづち/つるはし/シャベル/スイス・アーミー・ナイフ/工具セット(機械工が必要とする基本的な工具)

野外用装備

必需品セット(フォーク、スプーン、タオル、火打ち石)/キャンプ道具/鉈/手斧/研石/テント/寝袋(標準用)/寝袋(雪山用)/釣り道具/リュックサック(枠つき、50kgまで入る)/双眼鏡(観劇用、2.5×)/双眼鏡(軍用、7×、2000mまで)/水筒(1リットル)/懐中電燈/大型懐中電燈/銃清掃キット/サバイバルナイフ(柄に道具の入った大型ナイフ)/腕時計

乗り物関係

自転車/中古車/新車/最新スポーツカー/個人用プロペラ飛行機

通信関係

トランシーバー(3km)
ヘッドセット(頭につけるトランシーバー、400mまで)

『汎用RPGルールブック ガープス・ベーシック 第三版』スティーブ・ジャクソン、佐脇洋平とグループSNE編訳、角川スニーカー文庫

ガープスとはスティーブ・ジャクソン社から出ているTRPGのルールブックだ。

ガープスGURPS)とは、包括的で汎用的なロールプレイング・システム(Generic Universal Role Playing System)の頭文字をつなげたものです。

ガープスの基本システムは、リアリティーに重点を置いてデザインされています。そのため、考えられるすべての状況―ファンタジーから現実世界のシミュレーションまで、過去、現在、未来のいかなる状況―にも対応できるようになっています。

あなたの世界の西部劇のガンマンを、第二次大戦の特殊部隊隊員とともに、ファンタジー世界に送りこむことだってできるのです。


TRPGのメインの舞台となるファンタジーやSFの舞台だけでなく、現実のそれなりにリアリティのあるシミレーションまで同じルール上で可能というのが売りで、自分もその現実のリアリティをかなり再現しているところに惹かれている。


キャラクターは様々な特徴と技能を、CP(キャラクターポイント)というものを消費してとり、個性をつくっていく。このCPの合計がそのキャラクターの総合的な能力で、25CPなら平凡、75CPならトップアスリート並、100CPなら英雄候補、のようになる。このCP合計が同じならばどのような個性をつけても総合的な能力は同じ有用性をもつ、というコンセプトでガープスのキャラクターメイキングはデザインされている。

ガープスのキャラクター作成システムは、「バランスのとれた」キャラクターを作るためのものです。つまり、キャラクターの長所と短所を総合すれば、いずれのキャラクターも同じような能力を持っているということです。100CPで作られたキャラクターは、どんなにかけはなれているように見えても、その総合的な能力は同じなのです。


非常に多くの特徴や技能が面白い。怠惰の説明には自分をふりかえって納得してしまったり、誠実などゲーム的に足かせになりそうなものは不利な特徴として位置づけるという視点も面白い。また機械工という技能ではそれの専門領域を選択しなければならないが、その種類も自分のうとかった機械関係への興味の手がかりを得たようで面白い。

怠惰

あなたは肉体的な労働を心から嫌っています。職業がなんであるにせよ、昇進や昇給の可能性は半分になります。自由業の場合は、収入が半分になります。あなたは、とにかく仕事を―特に疲れる仕事を―できるだけ避けようとするのです。

誠実

あなたは絶対に法律を守り、他人にも守らせようとします。法律がほんのわずかしか定めされていない地域や、まったく法律のない地域でも、あなたは自由に行動できるわけではありません。自分の家庭での慣習などを法律とみなしてください。それがあなたの行動に制限を加える限りは、誠実さは「不利な」特徴だと言うことができます。

機械工/文明・種別(精神/並) 技能なし値:知力−5、技師−4
自動車のエンジンなど、機械的な道具の修理を行なう技能です。分野ごとに異なる技能としてあつかいますから、以下の分野のどれかに専門化してください。
馬車/蒸気機関/時計などの小機械/小型モーター/ガソリン・エンジン/プロペラ・エンジン/ジェット・エンジン/ホーバークラフト・エンジン/パワー・セルおよび大型モーター/船舶の推進機関/惑星間宇宙の推進機関/恒星間宇宙船の推進機関/ロボット


ファンタジーから現実の機械から恒星間宇宙船までを同じ機械工であらわすような姿勢は笑うと同時に、このゲームをデザインしたスティーブ・ジャクソンがある種の度をこえた―たががゲームと考えていない―現実・虚構世界をふくめた巨大な全体性をこのゲームによってものにしようとしている情熱が感じられてしびれる。こういう人が出てくるとはアメリカは広いと思わされる。


氷河期時代から、平安日本、西部劇の時代に、大戦のマス・コンバットまで可能なガープスは文明レベルという形でそれぞれの時代の区分けをしている。

文明レベル0

概要:石器時代。火、梃子、言語。
移動手段:徒歩
エネルギー:人力
武器:素手と石器
医療:なし

文明レベル1

概要:青銅器時代。車輪、文字、農業
移動手段:馬車と帆船
エネルギー:水車
武器:先端が金属の槍と矢、青銅の剣、革鎧
医療:薬草

文明レベル2

概要:鉄器時代
移動手段:外洋ガレー船
エネルギー:風車
武器:鉄の剣、盾、スケイルアーマー
医療:瀉血、化学薬品

文明レベル3

概要:中世(〜一四五〇年)。鋼鉄、数字のゼロ
移動手段:外洋帆船
エネルギー:馬力
武器:鋼鉄の武器、フレイル、弩

文明レベル4

概要:ルネサンス/植民時代(一四五一〜一七〇〇)。火薬、印刷術
移動手段:大型帆船、熱気球
エネルギー:とくになし
武器:マスケット銃、大砲、帆走軍艦
医療:さまざまな人体実験

文明レベル5

概要:産業革命(一七〇一〜一九〇〇)。大量生産、蒸気機関、電信器
移動手段:蒸気船、鉄道、大型気球
エネルギー:大型蒸気船、直流電気
武器:鋼鉄の軍艦、ダイナマイト、連発銃
医療:細菌の発見。麻酔、ワクチン

文明レベル6

概要:世界大戦(一九〇一〜一九五〇)。自動車、航空機、ラジオ
移動手段:自動車、航空機、潜水艦
エネルギー:水力発電、交流電気
武器:戦艦、戦車、機関銃、戦闘機、原爆、フラック・ジャケット
医療:外科手術、抗生物質

文明レベル7

概要:現代(一九五一〜二〇〇〇)。核エネルギー、コンピュータ、レーザー、ロケット
移動手段:ジェット機、スペース・シャトル、リニアカー、ホーバークラフト
エネルギー:核分裂、核熱融合、太陽発電
武器:核ミサイル、原潜、ジェット機、ケヴラー
医療:移植

文明レベル8

概要:宇宙時代(二〇〇一〜二〇五〇?)。宇宙旅行核融合
移動手段:宇宙船、大陸間ライナー
エネルギー:軌道上で集めた太陽エネルギー
武器:サイボーグ戦車、軌道レーザー、生物兵器、バトルスーツ、磁気ニードル銃
医療:クローン、バイオニック

文明レベル9

概要:恒星間時代。超光速宇宙船、人工知能、長命術
移動手段:恒星間宇宙船
エネルギー:常温核融合
武器:熱線銃、粒子加速砲、スタナー
医療:長命術、完全免疫、仮死、自動治療


このガープスは3版の抄訳で、角川スニーカー文庫で自分が十代のときにでていた。このような常軌をいっしたトータリティへの欲望につらぬかれたゲームにふれたことがTRPGにはまる決定的な要因だったのはまちがいない。こういうものを文庫展開で多く出してくれていた当時の角川の資本戦略には敬意を表したくなる。


今は4版でガープス・ベーシック完全版はでているが、上下巻合わせて九千円強である。でも和訳があるだけありがたい。次の給料日でそれを買うので、その前に3版文庫版の研鑚をあげておく。


ちなみに自分でもゲームと現実の区別がつけてない感がするのだが、ガープスの全体性への志向に感銘をうけ、次のエントリーに引用した用語をウィキペディアでひとつひとつ眺めていくことで、この世界や社会の全体性をつかむ手がかりになりそうな気がして、やってみるつもりでいる。こういうことでもないと機械工の諸種別や、軍隊の階級や様々な銃器とかにはまったく興味をもっていなかったから。

TRPGについての対話


先日http://kanata-a.hp.infoseek.co.jp/のかなたさんと、ただTRPG(会話で架空世界のキャラクターとなって遊ぶゲーム。テーブルトークロールプレイングゲームの略)とりプレイ(TRPGを遊んだ様子をト書きのシナリオのような形で再現した読み物)についてしゃべるためだけに集まり、バーミヤンで3時間半くっちゃべった。


そこで喋ったことが―思いつきの暴論が多いとはいえ―自分のTRPG観をかためていくうえでなかなか面白かったので、メモ風に日記に残しておく。

  • 経済的に文庫中心でTRPGにふれていると二大巨頭はグループSNEとF.E.A.R.になる。個人的にはSNEが好きだが勢いあるのはF.E.A.R.な気がする。
  • 両者の作風の違いは大塚英志のいう自然主義的リアリズムとまんが・アニメ的リアリズムの対比に類比的な気がする。SNEは昔も今も海外ファンタジーやSFなどの翻訳に力をいれていて、それらは基本的には現実を写しとったようなリアリティを重んじるリアリズムの文体の上で、架空世界を描いているように見える。SNEは自社作品にもそれらの世界観を反映させているので、比較的マンガ的表現というよりは自然主義的リアリズム的な傾向があるのでは。対してF.E.A.R.は、菊池たけしの「みんながいいと言ってるものはいいんだよ」という名言に象徴されるように同時代の隣接ジャンルの流行をよくとりいれ、文庫で読んできた身からみると、それで台頭してきた感がある(ラブコメMMOセカイ系決断主義など)。社長の鈴吹太郎の作品などがF.E.A.R.的作品の源流だと思うが、それらはまんが・アニメ的なリアリズムで作品世界を描いているように見える。
  • 自分は感性が保守的なのか、自然主義的なリアリズムがベースにあったほうが肌にあう。そのためか一番好きなTRPGはガープス
  • 矢野俊策の作品についてはその実力はすごいと思いつつも、目の前にいきなり逃れられない危機や問題があったら何を守り何を切り捨てるか決断しなければならない、そのことで甘えや夢想をこちらの都合でとまらず急速に迫ってくる現実のまえで捨てることが成熟だといった感じの決断主義的な価値観がなじめなくて個人的には苦手である。これも広い意味での文芸が時代を反映するというやや古いがいまだに強くある考え方からすれば、どうも90年代からネットによって可視化され盛り上がったナショナリズムや排外主義的な考え方と近く、それらを背景にリアリティをもっているようなものに見えるからだと思う。
  • SNEは同時代の流行をとりこむことについては中堅、若手はそれなりにとりいれているが、全体としてはわりと保守的な感じがする。それは個人的には好ましい。しかしガープスの展開が乏しいことなどからなかなか今の状況には厳しいのだろうかとも思う。
  • セイクリッド・ドラグーンやエムブリオマシンでもいいしドイツなどのボードゲームの継続的紹介などSNEの作品はゲーム、ロールプレイ、作品世界等々の要素のなかでもっとも原始的なサイコロをふるとかのゲームの単純な快楽を重視しそれの新しい形式を提出しようとしているものが多い気がする。エムブリオマシンのプロッティングやセイクリッド・ドラグーンのダイスの目をいれかえながら進めるシステムなど作品世界よりも焦点をあてられて語られている印象がある。
  • SNE若手の一押しは番棚葵。かなり文章力がある人な気がする。聖女三部作の「ときめくことで、きらめくあたし」とかPCの設定の下手な詞を実際に書いてたが、うまい人がわざと下手に書いた感じでよかった。
  • TRPGは大きくキャラクター/プレイヤー/ゲームの三つのそれぞれ重なりつつ独立したレベルの領域があってそれらの協働や剥離のバランスが自分にとって一番面白いところだと思う。アリアンロット・サガの大竹みゆがキャラクターとしてはイノセンスなお姫様を演じているのが、プレイヤーはゲームの領域の戦闘での優位さを追求することに一番重きをおいているので、敵の殲滅しようとするときの行動とキャラクターロールプレイの食い違いがでて、それが面白かったりする。2ちゃんでそれを「殺意の高さ萌えという新たな萌えを発明した」と書かれてて笑ったが、それなども違う複数のレベルを一人の人がプレイしていくことで、どれかだけでは生まれない新たなものが生まれるみたいな創造性の例として挙げられるかもしれない。
  • 多くのプレイヤーとしての見果てぬ夢は、そのようなキャラクター/プレイヤー/ゲームを有機的に重ね合わせることで全てにおいてどれかだけでは生まれなかった素晴らしいプレイをしてみせることではないか。最近の例で見事だったのはアリアンロッド・サガ・ブレイクの久保田悠羅のGMの城がキャラクターという設定を逆手にとって、ゲームのルール解釈から、キャラクターが移動するスキルを適用させて、城が空を飛んで移動するというシーンを演出したものだと思う。これはあくまでアリアンロッドのルールをメインで作成した久保田悠羅というプレイヤーがゲームのルールの中でもっとも効率よくミッションをクリアできる方法を探した結果、キャラクターレベルの作品世界内においてもGMの想定していた解決策よりもずっとドラマティックな結末を導いたという意味で理想的なもののひとつだと思う。古くは人気爆発のソードワールド第三部のスイフリーのルール上で有利なことをみもふたもなく追求する(それもかなり重要な戦闘などであざやかな形でなしていたのが人気の理由だったと思う)姿勢が「人間化したエルフ」「ダークエルフ化したエルフ」等のキャラクターの性格設定にも反映されていったことなど。
  • このあいだのオンラインセッションについて。F.E.A.R.作品だとわりと情報収集判定などははじめにこの3つのことが調べられるみたいなメタ情報をGMが伝えてくれて判定後に演出するみたいな形でセッションをスムーズにすすめようとするという印象があったので(かなたさんよりそういうものばかりでないとの指摘あり)、そのときのGMは判定するためにキャラクターが何をどう調べるかの論理的な道筋をプレイヤーにきちんと考えさせていたのが面白かった。自分はそうやって自分で頭つかって考えるのは好き。しかしこれはセッションに迷走や停滞をまねきがちで実際長引いてしまった。自分は面白かったからいいが。また盗み撮りをしていたカメラマンをプレイヤー皆で威圧的に情報源を吐かせようとしたことについて、GMがモラル感覚的なところからいかがなものかという反応があり、それに気づいて途中から土下座して泣き落とし方面の交渉にきりかえた。これは自分はライトノベルやTRPGリプレイではシナリオにとって重要でない小物的なNPCにはわりと威圧的にせまって情報をとるのが普通な印象があったので、セッション進行を早めたいためもあってそうしたが、GMのモラル感覚にあわなそうだったので、皆が楽しめるが第一義の目的であるという大前提にしたがって交渉の仕方をきりかえた。まあこれはこれでよかったんじゃないかと思うが・・・・・・。これについてGMに「ここでは現実にそうしたらどうかを基準に裁定する」というメタ情報が最初にほしかったとか、プレイヤーにちゃんとその辺を読み取って適切に行動しようとか、お互いにハードルを上げあってもあまりよくないと思う。それをすると要求水準が高くなることで皆が楽しむという一番重要なことがむずかしくなりそうな気がする。結局手探りでお互いの意図を探りあいながら、すりあわせていくのを正解とするのがいいと思う。ただこれも個人的には頭を悩ませるのが面白かった。こういう交渉はご都合を排すると、シナリオにとってさほど重要ではないのに複雑で難しいものになりがちだから、適当にさっさと情報出してしまうのがわりと一般的だとは思うが(かなたさんもそうするといっていた)、フォーカス判定までなって色々考えたのはあのセッションであとから思い返して一番知的(おおげさだが)な充実感があった。
  • 上記の自分で考えさせるマスタリングや、GMのモラル感覚がでた交渉のご都合にたいする違和感など、自分にとっては「F.E.A.R.システムの上で清松GM」のセッションをしているような感じだったというのが総括。もちろん私はかなたさんと一緒で清松信者(笑)なので、とても面白かった。ただ時間長くて疲れた(笑)次回五郎さんGMのオンセは、精神は楽しみなのだが、肉体が若干の拒否反応を今示している(笑)
  • そこから清松の話へ(笑)こうしてまとめていくと雑談的なとっちらかりがよくわかる。自分にとってのベスト・リプレイは清松みゆきのアンマント財宝編で、これは普通だとワースト・リプレイの候補に挙がってくるのが普通だと思う。しかし私はここで清松が、やや客観性に欠けるのではと思わなくもない怒りでセッションを失敗に裁定したあとのコラムで書いている「ゲームの楽しさは考え抜くことにある」という信念吐露はいまだに自分がTRPGをやるときの基準でありつづけている。それは自己演出など自由にできるところを派手にやるようなF.E.A.R.的な演出とも少し違って、上記でプレイヤーの夢と書いたようなゲームのルールに慣れ、それの上手い運用と、プレイヤーとしての様々な先読みやこんな展開やテーマ性を表現したいという思惑と、キャラクターの架空世界内の性格と行動が、すべて歯車をかみあわせて、どれかだけよりも圧倒的にすばらしいものを表現しうるということだと思う。清松のエムブリオマシンリプレイで秋口ぎぐるが清松セッションでの「知的興奮」について語っていたが、自分にとって清松の「ゲームの楽しさは考えぬくことにある」という信念は、自分がTRPGにひかれる「知的興奮」の理由を上記の解釈をともないつつ一番よくいいあててる気がする。だから(かなたさんはまた別の理由だろうが)いまだに清松信者をやめられないというオチ(笑)アンマント財宝編ではそのミッション失敗のあと清松が逆ギレ的に、さまざまなタイプの交渉をプレイヤーがうんざりしてるのもかまわず考えさせて、お互いの合意点、妥協点をさぐらせるようなセッションをしてて、それもすごい。自分がGMのときはけっしてやりたくないが(笑)
  • GMの話。かなたさんのGMスタイルはマッサージ的な感じがする。プレイヤーの自主性はなるたけ活かし、破綻しない程度の適度な負荷をかけ、全体として持続的にプレイヤーに快適な(適度に負荷な)刺激を与えていくような感じ。かなたさんは多くセッションをやって失敗しないようにしていくとそうなるみたいなことを言っていた気がする。実際、セッションを最近やらしていただいていて、思ったより毎回のセッションで失敗したくない、キャラクターを死なせたくないみたいな気持ちがやってると強いのには驚いた。やる前は全滅とか面白いじゃんとか思っていたのだが、いざ自分の休日の時間を割いてセッションをするとやはり成功して気持ちよく終わりたいと思う不思議。かなたさんはそれがわかってるからあまりハードなバランスにするより上記のようなやり方をしているのかと思ったり。また鉄牛さんにこないだの飲みで、自分のキャラクターは必ず負け組にしたい、しかしGOKさんにその動機をきかれ、そこはつきつめると痛くなりそうだからあまり掘らないでおきたいとか言ったのを思い出す(笑)それで自分はずいぶんGMしていないが、したら「こいつ自分の思想語ってね?」的に思われそうでこわいみたいな話に鉄牛さんがいやそれでいいんだよ、と言われたのにとても勇気づけられた(笑)飲み会はそのあたりの会話が超印象にのこってる。鉄牛のさんのGMは一度しか体験してないがそれも上記的な意味でもとても面白かった。NPCが目立ちすぎたとか気にされてた気がするが、いやあれであれがいいと連呼したい(笑)
  • 自分は今1対1でガープス現代社会(笑)という独自のセッション一回したが、25CPの一般人でつくって超常的な現象を一切なくすとガープスのルールほとんど使わなくなってそれはそれでもったいない気がする。戦闘もほぼないので、色々かなたさんに戦闘なしで盛り上げる独自追加ルールのアイデアを相談する。色々アドバイスもらいつつ、とりあえず実際のセッションの様子とかみないとわからんから一回やったやつリプレイにすべしと指導(笑)がんばって書いてみたい。
  • この辺から自分はお酒飲んでないものの、だんだん変なテンションで妄言がましてくる。友野祥の『バカバカRPGを語る』に二人で架空のデートプランをたて親密になっていくゲームが紹介されていて、これを綺麗な装丁であなたと彼との愛称がわかるみたいな売り文句で一般書で出したら売れないかみたいなことが書いてて、TRPGやリプレイは広い意味の文芸として、上記のような複数のレベルの世界の共存を表現できること、他者の声を自分の世界に組み込み共同でつくれること、どこまでも難解かつ複雑な展開も可能でありかつGMのようなわかりやすく説明する任をおった語り手があり、高度化や洗練のはての自閉性という過去の文芸ジャンルのたどった軌跡を、その作品の高度なところを再現しつつ、それをみもふたもなく一般にわかりやすく説明する機能も共存している、等々の理由でTRPGやリプレイという表現形式は21世紀の文芸のエッジをになう(笑)だからファン以外の領域にも積極的にアピール展開していくのに賛成とか云々。
  • そんな放言から自分が大学で文学研究なんぞをやっていたこともあって、なぜか表現論的な流れへ(笑)なんか書きながら若干自己嫌悪におそわれつつある(笑)なんとなく、学問や評論ではこぼれおちる世界のすべてや真実を文学は書きうる、とか文学者はある種の個人の内面を掘り下げることで普遍性に到達し、戦争や差別などに対抗する人の個人の固有的な価値を称揚するみたいな古いかもしれない考え方がしかし今もあって、そういう観念がもっとも多く共有され文学に対する希望が強くもたれていたのは戦前だったような感じが自分はしてる。しかし大戦の未曾有の悲惨を前に文学はそれを止める力も何もなかったという幻滅や絶望があり、そこで作品のテーマや内面性、時代の反映を読むみたいな考え方が一回死んだというか、それの価値を信じられなくなった人が多くでた時代がきた、と。
  • その後しかしある種の文学にたいする執着をあきらめならない人たちが『マラルメの創造的宇宙』なんかの本にあるような、マラルメの詩に噴水がでてくると、それを下から上につきあげるエネルギー、とか扇形とかというイメージと読み、マラルメのさまざまな詩にその下から上につきあげるエネルギーや扇形のイメージがくりかえしあらわれるのを読んでいく、とかバロウズという作家が週刊誌とか新聞などの雑多なあちこちの本からその中のほんの一文をつなぎあわせて、詩なんだか文意とおってるんだがよくわからない文章をつくるカットアップという手法を開発するなど、いわゆる主題や作者の思想や内面の掘り下げとか時代の反映とかの従来の文学観を排して、なおすごいと人に思わせうる文学性を現代文学は展開したりした(もちろんその観点から古典も読み直される)。
  • 自分はその辺にすごいインパクトをうけ、いまだに自分なりにそれをうまく言葉にしたりしたいとか考えているので、現代の作品も単に主題性や時代の反映が売りにみえるようなものは今ひとつという感じがする。十代向け文庫のゲーム紹介作品でしかないともいえるリプレイなんかにいれこむのもそういう形式の新しさを感じたりするからだ。ちなみにそういう意味でリプレイライターでもっとも現代的な表現をしてるのは菊池たけしだと思う。隣接ジャンルのとりいれや、自分の本をマンガのようなスピード感で見せる手法、ワンパターンといえばワンパターンな話をその都度ネタやギミック等の強度でなりたたせていく力業など、「すべての物語は語られた、あとはそれら既視観にまみれた要素をいかに組み合わせるか」と通俗的にいえばそういう前提でうごいている現代の表現の問題を一番受け止めているリプレイライターな感じはする。
  • とはいえそういう「現代的表現」すらも時代遅れになってる感もあり、結局は文芸はルネッサンス的(古い新しい関係なくいままで蓄積されてきた表現のさまざまな要素をフラットにみて組み合わせながらそれら多くを復活させていくみたいなニュアンス)に復活していくしかないんじゃないかというのが自分の見立てで、そういう意味でもある程度保守的に、つまりかつての文芸の価値の主要なものだった要素も捨てずに保っているSNEが自分は好きみたいな話になる。そういう意味で今はテーマや作者の思想や内面掘り下げや時代の反映や、それらを相対化するようなさまざまな批評的な表現形式等が一回フラットになって一からその機能や威力がためされ問い直されているような感じがする。そういう意味でもそれらすべてを包含し、新たな要素(他者の声の直接的導入など)もくわえうるリプレイは(以下略)


だいたいこんなところだったろうか。しかし・・・最後の方は酔ってるなぁ(苦笑)もちろんかなたさんからも色々大変面白いお話がきけたのだが、自分が書くのもなんなので。とりあえずガープス現代社会がんばるぞー(失笑)

スピノザ『エチカ 倫理学』畠中尚志訳、岩波文庫


スピノザははまる。読んだあと本文をある程度パソコンに打ち込むのだが、けっこうな量をうちこんでしまった。よくわからないところも多いし叙述形態もけっして得意なものではないのだが、そういう人はけっこういそうな気がする。

バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza, 1632年11月24日 - 1677年2月21日)はオランダの哲学者、神学者


解説にスピノザの生涯の叙述がなかったのでウィキペディアから引用。パスカルと同時代人なのか。


スピノザの主著である『エチカ』はそのタイトル通り倫理学の書だが、神の証明からはじまることからもいわゆる汎神論(神=自然)の論理をとった神学の書でもあり、神・精神・感情・人間と理性・倫理を統一的に体系づける野心的な哲学でもある。


『エチカ』で誰もがその特長としてあげるだろうものがその幾何学的な叙述形態である。といっても今ひとつ幾何学的というのがどんなものかあいまいなのだが。しかし以下の引用を見ればどんなものかはわかる。

第一部

神について

定義

一 自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられえないもの、と解する。
ニ 同じ本性の他のものによって限定されうるものは自己の類において有限であると言われる。例えばある物体は、我々が常により大なる他の物体を考えるがゆえに、有限であると言われる。同様にある思想は他の思想によって限定される。これに反して物体が思想によって限定されたり思想が物体によって限定されたりすることはない。
三 実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの、言いかえればその概念を形成するのに他のものの概念を必要としないもの、と解する。
四 属性とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する。
五 様態とは、実体の変状、すなわち他のもののうちに在りかつ他のものによって考えられるもの、と解する。
六 神とは、絶対に無限なる実有、言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体、と解する。
説明 私は「自己の類において無限な」とは言わないで「絶対に無限な」と言う。なぜなら、単に自己の類においてのみ無限なものについては、我々は無限に多くの属性を否定することができる<(言いかえれば我々はそのものの本性に属さない無限に多くの属性を考えることができる)>が、これに反して、絶対に無限なものの本質には、本質を表現し・なんの否定も含まないあらゆるものが属するからである。
七 自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。これに反してある一定の様式において存在し・作用するように他から決定されるものは必然的である。あるいはむしろ強制されると言われる。
八 永遠性とは、存在が永遠なるものの定義のみから必然的に出てくると考えられる限り、存在そのもののことと解する。
説明 なぜなら、このような存在は、ものの本質と同様に永遠の真理と考えられ、そしてそのゆえに持続や時間によっては説明されえないからである。たとえその持続を始めも終わりもないものと考えられる。

公理

一 すべて在るものはそれ自身のうちに在るか、それとも他のもののうちに在るかである。
ニ 他のものによって考えられえないものはそれ自身によって考えられなければならぬ。
三 与えれた一定の原因から必然的にある結果が生ずる。これに反してなんら一定の原因が与えられなければ結果の生ずることは不可能である。
四 結果の認識は原因の認識に依存しかつこれを含む。
五 たがいに共通点を持たないものはまたたがいに他から認識されることができない。すなわち一方の概念は他方の概念を含まない。
六 真の観念はその対象〔観念されたもの〕と一致しなければならぬ。
七 存在しないと考えられうるものの本質は存在を含まない。

定理三十三 物は現に産出されているのと異なったいかなる他の仕方、いかなる他の秩序でも神から産出されることができなかった。
証明 なぜなら、すべての物は与えられた神の本性から必然的に継起し(定理十六により)、かつ神の本性の必然性によって一定の仕方で存在し・作用するように決定されている(定理二十九により)。だからもし物が異なったものになるということがありうるとしたら、神の本性もまた現に在るのとは異なったものになりうるであろう。そこで(定理十一により)この異なった神の本性もまた同様に存在しなければならぬであろう。したがって二つまたは多数の神が存在しうることになるであろう。これは(定理十四の系一により)不条理である。それゆえに物は他の仕方、他のいかなる秩序においても云々。Q・E・D・
備考一 私はこれで、物自身の中にはその物を偶然であると言わしめるような何ものの絶対に存在しないということを十二分に明白に示したから、ここに私は、偶然ということをどう解すべきかを手短かに説明しよう。しかしその前に、必然および不可能ということをどう解すべきかを語ろう。ある物が必然と呼ばれるのは、その物の本質に関してか、それとも原因に関してかである。何となれば、ある物の存在は、その物の本質ないし定義からか、それとも与えられた起成原因から必然的に生起するからである。次に、ある物が不可能と呼ばれるのも、やはり同様の理由からである。すなわちその物の本質ないし定義が矛盾を含むか、それともそうした物を産出するように決定された何の外的原因も存在しないからである。これに反して、ある物が偶然と呼ばれるのは、我々の認識の欠陥に関連してのみであって、それ以外のいかなる理由によるものでもない。すなわち、その本質が矛盾を含むことを我々が知らないような物、あるいはその物が何の矛盾も含まないことを我々がよく知っていてもその原因の秩序が我々に分からないためにその物の本質について何ごとも確実に主張しえないような物、そうしたものは我々に必然であるとも不可能であるとも思われないので、したがってそうした物を我々は偶然とか可能とか呼ぶのである。


Q・E・D・とは「これが証明されるべきことであった」という意味のラテン語の頭文字で数学の証明などの末尾によくつかわれるらしい。まあこのように定義・公理・各定理とひとつひとつ積み上げながら自らの哲学を論証していくスタイルをスピノザはとっている。このようなものを読んだことがなかったのではじめは面食らったが、一番はじめの定義に、「自己原因」について述べるなど、神と人間のすべてを解明しようとする書でまず「自己原因」という切り口ではじめ、完全に「自己原因」的なものが「実体」と呼ばれ、「自由」であるという点からはじめようとするその着想にやはり驚きその知性のするどさに慣れない叙述形式であってもひきこまれてしまった。


スピノザは完全に自己原因的な実体をすなわち神として、それは人格をもった一存在などではないとした。

以上をもって私は神の本性を示し、その諸特質を説明した。すなわち神が必然的に存在すること、唯一であること、単に自己の本性の必然性のみによって在りかつ働くこと、万物の自由原因であること、ならびにいかなる意味で自由原因であるかということ、すべての物は神の中に在りかつ神なしには在ることも考えられることもできないまでに神に依存していること、また最後に、すべての物は神から予定されており、しかもそれは意志の自由とか絶対的裁量とかによってではなく神の絶対的本性あるいは神の無限の能力によること、そうした諸特質を説明した。さらに私は、機会あるごとに、私の証明の理解を妨げるような諸偏見を取り除くことに努力してきた。しかしまだ少なからぬ偏見が残っていて、人々が私の説明したしかたで物の連結を把握することを同様に、いな、きわめてはなはだしく、妨げえたしまた現に妨げえているのであるから、それらをここで理性の検討にゆだねることはむだではないと思うのである。


つまり唯一の自己原因である実体から万物はうまれる。そのような実体とは宇宙からなにからふくめたすべてとしての自然そのものでしかありえない、というのが汎神論と呼ばれる理由らしい。だからしばしばスピノザが東洋的、仏教的世界観だとかいわれたりするのだろう。しかしそれにしてもそれを自己原因という概念から説き起こし、自己原因的であることを自由とよぶという知的な力技はすさまじい。このような神のとらえかたであれば、無神論者ですら受け入れざるをえないようなものになっている。なにしろ自然のすべては自己原因的にすべてはっきり万物の様相や変化のなりたちが決まっているが、完全に自己原因的でありえない人間などはその因果をはっきり見切ることができないため、偶然や人格をもった神など人工的な嘘話をつくって納得しようとするというわけだからだ。


スピノザはそこでできるだけ人間が理性をもちいて自己原因的であろうとすること、自由であろうとすること、具体的には世界の因果をできるだけ認識してまちがった神話や通念にまどわされずに知ろうとしていくことそのものを徳であり、至福であり、倫理であるという。

定理三六 徳に従う人々の最高の善はすべての人に共通であって、すべての人が等しくこれを楽しむことができる。
証明 有徳的に働くとは理性の導きに従って行動することである(この部の定理二四により)。そして理性に従って我々のなすすべての努力は認識ということに向けられる(この部の定理二六により)。それゆえ(この部の定理二八により)徳に従う人々の最高の善は神を認識することである。そしてこれは(第二部定理四七およびその備考により)すべての人々に共通である善、かつすべての人間が本性を同じくする限り等しく所有しうる善である。Q・E・D・
備考 だがあるいは次のように尋ねる人があるかもしれない。徳に従う人々の最高の善がもしすべての人に共通でなかったとしたらどうであろう。その場合にはそれから、前の場合のように(この部の定理三四を見よ)、理性の導きに従って生活する人間、言いかえれば(この部の定理三五により)本性上一致する限りにおける人間が、相互に対立的であるというようなことが起こりはしないだろうかと。こうした人に対しては次のことが答えとなるであろう。人間の最高の善がすべての人に共通であるということは偶然によるのではなくて、理性の本性そのものから生ずるのである。なぜなら、この最高の善は理性によって規定される限りにおける人間の本質そのものから導き出されるからである。そして人間は、この最高の善を楽しむ力を有しないとしたら、存在することも考えられることもできないであろう。神の永遠・無限なる本質について妥当な認識を有することは人間精神の本質に属するのであるから(第二部定理四七)


これは哲学やある種の文学など真・善・美・利などの諸価値のなかで認識(真)をもっとも重視するひとにとってはとても喜ばしい結論だろう。


ちなみにスピノザの三章の感情論は面白い。人間の感情を喜び・悲しみ・欲望の三要素の組み合わせですべて解明できるとして、実際何十もの感情を「証明」している。これは何となくTRPGなんかのゲームでの心理的なかけひきとかに応用できないかなとか思ってしまうくらい形式化されていて、なかなか実感にもあっていて盛り上がった。

パスカル『パンセ』前田陽一、由木康訳

パスカルモンテーニュを半年かけて通読していたせいかさくっと読めた。キリスト教の聖書などのこみいった話が中心となる後半はほとんどよくわからなかったが。

ブレーズ・パスカルは、一六二三年、フランス中部山岳地帯の都市クレルモンに生れた。

しかし晩年は激しい病の連続で、遂にその弁証論の完成を見ないうちに、一六六二年三十九歳の若さで他界した。


もうすぐ18世紀がくる。産業革命がくると思いながら読むと色々感慨深い。こうして古典を大股でたどっていくだけでもギリシャラテン語の古典の影響力の大きさ、暗黒時代といわれる時代の言及されうる書物のなさ、徐々にできあがっていく後世の人権や平等という概念の萌芽等、歴史が苦手な自分もようやく世界史をきちんと知るとっかかりを得た気がする。伝記というかそれぞれの古典の著作者が生きていた期間を毎回書くのはその辺の得るものがあるからだったりする。


この本はパスカルキリスト教の正しさと神なき人間の悲惨さを描いたキリスト教弁証論の草稿を、パスカルが完成される前に逝去したのち、さまざまな編者が再構成したものである。実際この本はある意味で編集の勝利といえるような本であり、今読まれているような編集がほどこされなかったら、『パンセ』はこれほど誰もが知る古典にはならなかったかもしれない。


というのは、パスカルキリスト教神学的な議論と、神なき人間の本質を考察したものの大きく二つにわかれる部分が、一般の人にとっては前者は近寄りがたく、後者はわかりやすいということだ。草稿ではこれらが雑然と混じって書かれていたため、一度は出版を断念されたこともあるらしい。それを編集でいくつかのテーマ別にわけ、なじみやすい言わばポップな部分から先に並べていくという編集の上で今読まれている『パンセ』はできたようだ。それが編集の勝利という意味である。


そういう訳で自分が面白く読んだところもわりと前半になるのだが、断章形式というか断片のパスカルの文章を読んで驚くのは、とにかく簡潔にして鮮やかな文章の表現力である。単純に文章がうまい。

 幾何学の精神と繊細の精神との違い。
 前者においては、原理は手でさわれるように明らかであるが、しかし通常の使用からは離れている。したがって、そのほうへはあたまを向けにくい。慣れていないからである。しかし少しでもそのほうへあたまを向ければ、原理はくまなく見える。それで、歪みきった精神の持ち主でもないかぎり、見のがすことがほとんど不可能なほどに粒の粗いそれらの原理に基づいて、推理を誤ることはない。
 ところが繊細の精神においては、原理は通常使用されており、皆の目の前にある。あたまを向けるまでもないし、無理をする必要もない。ただ問題は、よい目を持つことであり、そのかわり、これこそはよくなければならない。というのは、このほうの原理はきわめて微妙であり、多数なので、何も見のがさないということがほとんど不可能なくらいだからである。ところで、原理を一つでも見落とせば、誤りにおちいる。だから、あらゆる原理を見るために、よく澄んだ目を持たなければならず、次に、知りえた原理に基づいて推理を誤らないために、正しい精神を持たなければならない。
 すべての幾何学者は、もしも彼らがよい目を持っていたなら、繊細になれただろう。彼らは自分の知っている原理に基づいては、推理を誤らないからである。また繊細な精神の人々は、慣れない幾何学の原理のほうへ目をやることができたなら、幾何学者になれただろう。
 したがって、ある種の繊細な精神の人々が幾何学者ではないのは、彼らが幾何学の原理のほうへ向くことが全くできないからである。ところが幾何学者が繊細でないのは、彼らがその前にあるものを見ないからであり、また彼らが幾何学のはっきりしない粗い原理に慣れていて、それらの原理をよく見て、手にとったのちでなければ推理しない習慣なので、原理をそのように手にとらせない繊細な事物にぶつかると途方に暮れてしまうのである。このほうの原理はほとんど目に見えない。それらは、見えるというよりはむしろ感じられるものである。それらを自分で感じない人人に感じさせるには、際限のない苦労がいる。それらの事物は、あまりにも微妙であり、多数なので、それらを感じ、その感じに従って正しく公平に判断するためには、きわめて微妙で、きわめてはっきりした感覚が必要である。その際には、たいていの場合、幾何学におけるように秩序立ってそれらを証明することはできないのである。というのは、人はそれらの原理を同じ具合には所有していないし、そのようなことを企てたとしても際限ないことだからである。問題のものを、すくなくともある程度までは、推理の運びによってではなく、一遍で一目で見なければならないのである。そういうわけで、幾何学者が繊細で、繊細な人が幾何学者であるのは珍しい。なぜなら、幾何学者はそれらの繊細な事物までも幾何学に取り扱おうとするからである。そして、まず定義から、ついで原理から始めようとして、物笑いになる。それはこの種の推理の際のやり方ではない。といっても、精神が推理をしないというわけではない。ただ、精神はだまって、自然に、たくまずにするのである。なぜなら、それを表現するのは、すべての人の力を越えており、それを感じるのは、少数の人だけに限られているからである。
 繊細な精神の人々は、それに反して、こうして一目で判断するのに慣れているので、彼らには何もわからない命題が提出され、そこへはいっていくためにあまりに無味乾燥でそんなに詳しく見る癖がついていないような定義や原理を経なければならないとなると、驚きのあまり、おじけづき、いやになってしまう。
 しかし、歪んだ精神の持ち主は、決して繊細でも、幾何学者でもない。
 そこで、幾何学者でしかない幾何学者は、万事が定義や原理によってよく説明されるかぎり、正しい精神を持っている。さもなければ、彼らは歪んでいて、鼻持ちならない。なぜなら、彼らが正しいのは、よく明らかにされた原理に基づく場合だけだからである。
 また繊細でしかない繊細な人々には、彼らが、世間で一度も見たことがなく、また全く使用されていないような思弁的、観念的なことがらの第一原理にまでさかのぼっていくだけの忍耐力を持てないのである。

 雄弁とは物ごとを次のように話す術である。一、話しかける相手の人たちが苦労しないで楽しく聞けるようにする。ニ、彼らがそれに関心をいだき、したがって自愛心にかられて進んでそれについて反省するようにしむける。
 それはすなわち、一方では話しかける相手の人々の精神と心と、他方ではわれわれの用いる思想や表現とのあいだに、われわれがうち立てようと努める対応関係のうちに存するのである。そのことは、われわれが人間の心のあらゆる動機を知るため、次にそれに適応させようと欲する議論の正しい釣合を見いだすために、この人間の心というものを十分研究することを前提とする。われわれの話を聞く人の身になってみることが必要である。そしてわれわれの話に与える言いまわしを自分自身の心でためしてみて、その言いまわしが心に合っているかどうか、また聴き手が否応なしに承服されるようになるだろうとの確信が持てるかどうかを見なければならない。できるだけ単純な自然さのなかにとどまらなければならない。小さいものを大きくし、大きいものを小さくしてはいけない。何かが美しいだけでは十分でなく、それが主題にかない、よけいなものや足りないところがないようでなければならない。

 今ある快楽が偽りであるという感じと、今ない快楽のむなしさに対する無知とが、定めなさの原因となる。

正義、力。
 正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。
 力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。
 力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。正義のない力は非難される。したがって、正義と力をいっしょにおかなければならない。そのためには正しいものが強いか、強いものが正しくなければならない。
 正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。そのために、人は正義に力を与えることができなかった。なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だと言ったからである。
 このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。

敬意とは、「面倒なことをしなさい」である。
それは、一見むなしいようだが、きわめて正しいのである。なぜならそれは、「あなたにそれが必要になった場合には、めんどうなことを喜んでいたしましょう。なぜなら、今だって、あなたのお役に立たないのに、めんどうなことを喜んでしているのですから」と言う訳になる。それに加えて、敬意というものは、高位の人たちを区別するためである。ところで、もし尊敬ということが、安楽椅子に腰かけていることだったら、みなの人に敬意を表することになろう。したがって、区別をしないことになる。ところが、めんどうなことをさせられるために、実によく区別することになるのだ。

 好奇心は、虚栄にすぎない。たいていの場合、人が知ろうとするのは、それを話すためでしかない。さもなければ、人は航海などしないだろう。それについて決して何も話さず、ただ見る楽しみだけだけのためで、それを人に伝える希望がないのだったら。

 人間のむなしさを十分知ろうと思うなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めてみるだけでいい。原因は、「私にはわからない何か」(コルネイユ)であり、その結果は恐るべきものである。この「私にはわからない何か」、人が認めることができないほどわずかなものが、全地を、王侯たちを、もろもろの軍隊を、全世界に揺り動かすのだ。
 クレオパトラの鼻。それがもっと短かったなら、大地の表面積は変わっていただろう。

人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢をとを知っているからである。宇宙は何も知らない。
だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。


まあどれも明快である。ちょっと嫉妬するくらいシャープに書いていると思う。書き写しわすれたが、有名なパスカルの賭けという、死後の世界があるかないかではなければ何もリスクはなく、あるなら生きているときに死後に悲惨な目にあうことをしているのは割りにあわないのであるほうに賭けておいたほうが得であり、不可避であるという一連の議論もでてくる。そこでの無神論者への攻撃の舌の鋭さもすごい。


パスカルキリスト教に救いをもとめない人間に希望がないと考えるので、実に身もふたもなく神なき人間の悲惨を明晰に書く。それがキリスト教を信仰しないひとにまで、現在も刺激を与え続ける認識や表現をしめしていることはとても面白い。

モンテーニュ『随想録<エセー>』松浪信三郎訳


今度は文庫本6冊分である。去年はこれとホッブスリヴァイアサン』でおわってしまった。


 ミシェル・ド・モンテーニュは一五三三年二月二十八日、父ピエール・エイクェムと、母アントワネットとのあいだの第三子として、エイクェム家の貴族領モンテーニュの館に生まれた。

時に一五九二年九月十三日、享年五十九歳と六ヶ月である。

とあるようにモンテーニュは16世紀の人であり、ルネサンス期のモラリストとしての代表的知識人といわれたりする。


この本は今にいたるまで氾濫するエッセイ形式の先駆けであり決定版のようなところがある。自分の経験を通してなにごとかを語るエッセイ本や、人間の傾向性やさまざまな諸相について常識的かつ中庸をえた認識を語ろうとする自己啓発本等のほとんどは、これを通読すれば必要なくなると感じさせる。


この書が今にいたるまで多くの読者を得て、影響をあたえつづけているのは、著者のある種の目線の低さにあると思う。


それほど、人間的な慎重さなどというものは、空しくあさはかなものである。われわれのあらゆる計画や、思慮や、用心を通じて、つねに出来事の結果を左右するのは運命である。

けれども、習慣の力の最も大きな結果は、習慣がわれわれをとらえて締めつけるところにある。したがって、その把握から自己を取りもどし、自己に立ちかえり、習慣の命令を理性的に反省することは、われわれには不可能である。

ところで、私の思うに、孤独の目的は、ただ一つ、もっとゆっくりくつろいで生きることである。

世のあらゆる迷妄のうちで、最も広く行きわたっているのは、名声と栄誉に対する心づかいである。われわれはそれに執着するあまり、富、平安、生命、健康というような効果的で実質的な幸福を棄てて、実体も捉えどころもない空虚な影、たんなる声を追い求める。

  名声はやさしい声で思い上がった人たちを魅惑する。それは美しく見えるが、こだまでしかないし、夢でしかない。いや、風のそよぎにも吹き散らされる夢の影でしかない。(タツソー『解放されたエルサレム』十四の六三)

人間にはいろいろ不合理な気分があるが、ほかのものはともかく、これだけは、それから脱却するのに、哲学者でさえも、最もおそらく、最も困難な気分であるように思われる。
それは最も頑固で執拗な気分である。《というのも、それは徳の道に深く進んだ人たちをさえも誘惑することをやめないからである。》(アウグスチヌス「神の国」五の一四)理性によってこれほどはっきりとその虚栄が非難されるものはあまりない。けれども、この気分は、われわれのうちにかくも深く根をおろしているので、そこから完全に脱却しえた者があったかどうか私は知らない。あなたがそれを否認するためにどんなことを言い、どんなことを信じても、すぐあとから、この気分はあなたの理性にさからって、とうてい抵抗しきれないほど根の深い或る傾向を生じせしめる。
事実、キケロの言うように、この気分を攻撃する人たちでさえ、それについて論じた自分の書物の表紙に、自分の名がしるされることを欲する。栄誉を軽蔑したということで、自分に栄誉を与えようとする。栄誉以外のすべてのものは、交換することができる。われわれは友人が困っていれば、われわれの財産やわれわれの生命を貸してやる。けれども、自己の名誉を譲ったり、自己の栄誉を他人に贈ったりすることは、あまり見られない。

それにしても、いかなる学派といえども、その賢者に対して、自分が生きようととするかぎり、理解も認識も承認もされていない多くの事物に従うことを許されないわけにはいかない。

ソクラテスは、道徳と生活に関するもの以外のすべての学問について、同じように言った。彼は、人からどんなことをたずねられても、つねにまず質問者をしてその現在と過去の生活状態を語らせ、それを吟味し判断した。というのも、彼はその他の学習をすべて副次的で余計なものと考えていたからである。

《せっかく学んでも、その人を有徳ならしめるのに何ら役に立たなかったようなそれらの学問は、私にはあまり興味がない。》(アルスティウス『ユグルタ』八五)

人間は、彼のあるところのものでしかありえないし、自己の能力に応じてしか思考することができない。プルタルコスの言うように、たんに人間でしかない者どもが、神々や半神について語ったり論じたりしようと企てるのは、音楽について無知な者が、歌い手を判断しようとしたり、一度も戦場に出たことのない者が、武器や戦争を論じようとして、自分の知識外にある技術の効果を、ほんのわずかの推測で理解したつもりになるのよりも、いっそうはなはだしい思いあがりである。

この考えは、私が天秤に銘として刻みつけているように、「私が何を知っていよう?」Que scay-je ? という疑問形によっていっそう確実に把握される。


凡庸な一生活者の通俗的であるかもしれない情動や傾向の諸相が、ほとんどすべてを網羅しているのではと思わせるほど書かれ、ある種の保守的な態度や平穏な安息を求める平凡さを形づくっている。しかしそれらの文言は、当たり前すぎて忘れがちなものごとを基礎づけ(「人の行動は意図で判断される」など)、半端な革命や急進性を無効にする明察を導く。


またこの本は自己を見つめ、自己を語ることである種の普遍性を語りうる、という今でも多くの人をひきつけるタイプの思考・表現形式を確立したところが古典として残る由縁だと思う。


私の考え方は自然的である。私はこれをつくるのに、いかなる学説の助けも求めなかった。けれども、私の考え方はきわめて無力なものであるが、私がこれを話して聞かせたいと思ったとき、そして、これをいくぶんでも整った形で人前に出すために考察と実例でこれを支えなければならなくなったとき、私は、偶然にも、これがあれほど多くの哲学的な実例や考察と合致しているのを見いだして、われながら驚いた。私の生活がいかなる範疇に属するかということを、私は、私の生活がすでになしとげられ、使いふるされるまで、知らなかったのだ。
 新しい型だ。予期せずに、偶然に生じた哲学者だ!

<ほとんど誰でも、私のように、自己をみつめるならば、自己について同じことを言うであろう。説教者は、話しているうちに自分の胸に生じてくる感動が、ますます確信へ向かって自分を元気づけてくれることを知っている。また、怒っているときには、われわれが冷静な分別を保っているときよりも、自分の主張を擁護するのにいっそう懸命になり、いっそう熱烈な確信をもって、自分の主張を心に刻みそれを抱擁するものである。


その他にも自国と違う共同体や国の諸相が多く述べられていたり(人食い人種や、女性だけの共同体など)、性愛・恋愛の様々な傾向性が記述されていたり、為政者や軍人の戦争中のふるまいや戦術の帰結、為政のさまざまなあり方と教訓などが全篇くり返し多くの紙幅をとって考察されていたり、ある宗教者の擁護を文庫本一冊分くらいくりひろげたりと、内容はきわめて豊富であり、それらが上記の目線の低さと、しかしやはりモンテーニュ自身の地味なようでやはりすごい明察によって非常に実感にも即した人生の大半を記述しているかのような書物になっている。

ホッブス『リヴァイアサン』、水田洋訳

 読むのに半年かかった。文庫本四巻はたしかにボリュームがあるが、もちろんこつこつ読んで半年ではなく、30ページ読んでは一週間放り出し・・・という感じでおおいにさぼりまくりながら何とか読みきりはした。例によって注釈は全飛ばしである。

ホッブスのプロフィールを解説より抜粋する。

 トマス・ホッブスThomas Hobbes,1588-1679は、ブリストル近郊のマームズベリに、国教会牧師の子として生まれた。

 こうした物情騒然というときにホッブスは生まれ、その九一年の生涯(とくにその前半)は、けっして平穏ではなかった。最大の事件は、いうまでもなくイギリス革命(一六四〇年―六〇年)であり、その革命のまっただなかに、『リヴァイアサン』が出版されたのである(一六五一年)。ホッブスはそのときすでに六三歳だったのだが、それまでにかれは、どのような道をあゆんできたのだろうか。

 長期議会は、一六四〇年一一月三日に開会された。ホッブスは、数千ポンドの財産をのこして、そのごまもなくフランスにわたったらしく、一六五一年までの一一年を、亡命者としてくらすことになる。このあいだにかれは、共通の友人メルセンヌをつうじて、デカルトと知りあったし、また『哲学要綱第三部 市民について』(一六四二年)の出版によって、大陸での評価を確立していった。『市民について』は、ラテン語で、著者名はイニシャル(T・H)だけで、小部数が印刷されただけであったが、フランス人の医者(ただしすでに廃業)サミュエル・ソルビエールSamuel Sorbiere,1610?-70は、これを高く評価して、アムステルダムで一六四七年に三つのラテン語版、四九年に二つのフランス訳の出版に成功した。この本は、一六五四年六月一六日のローマ法王庁禁書目録にあげられたにもかかわらず、パリとアムステルダムで版をかさねたのである。
 メルセンヌはまた、ピエール・ガセンディPierre Gassendi,1592-1655をホッブスに紹介した。デカルトが『市民について』を危険な書物と非難し、さらにはホッブズの感覚論が剽窃であるとして絶交するにいたったのとちがって、ガセンディとホッブズは、オーブリによれば、「完全な友好関係にあったloved each other entirely」。ガセンディには、政治学の著作はないが、神学と自然哲学において、ホッブズをひきつけるものがあったようである。


デカルトの同時代人で面識もあったそうだ。16世紀から17世紀を生き、イギリス革命(清教徒革命と名誉革命をふくめてこう呼ぶらしい)のまっただなかに、今にいたるまで知識人に使われ続ける古典『リヴァイアサン』を著したわけだ。

リヴァイアサン』は全四巻あるが、今言及されるときは、ほとんど数十ページくらいの部分ばかりな気がする。その部分は高名な「万人の万人に対する闘争」などと言われたりするくだりである。

《人びとは生れながら平等である》自然は人びとを、心身の諸能力において平等につくったのであり、その程度は、ある人が他の人よりも肉体においてあきらかにつよいとか、精神のうごきがはやいとかということが、ときどきみられるにしても、すべてをいっしょにして考えれば、人と人とのちがいは、ある人がそのちがいにもとづいて、他人がかれと同様には主張してはならないような便益を、主張できるほど顕著なものではない、というほどなのである。すなわち、肉体のつよさについていえば、もっとも弱いものでも、ひそかなたくらみにより、あるいはかれ自身とおなじ危険にさらされている他の人びととの共謀によって、もっとも強いものをころすだけの、つよさをもつのである。
 
《諸政治国家のそとには、各人の各人に対する戦争がつねに存在する》これによってあきらかなのは、人びとが、かれらすべてを威圧しておく共通の権力なしに、生活しているときには、かれらは戦争とよばれる状態にあり、そういう戦争は、各人の各人に対する戦争である、ということである。すなわち、戦争は、たんに戦闘は、たんに戦闘あるいは闘争行為にあるのではなく、戦闘によってあらそおうという意志が十分に知られている一連の時間にある。だから、戦争の本性においては、天候の本性においてとおなじく、時間の概念が考慮されるべきである。というのは、不良な天候の本性が、ひと降りかふた降りの雨にあるのではなく、おおくの日をいっしょにしたそれへの傾向にあるのと同様に、戦争の本性も、じっさいの闘争にあるのではなく、その反対にむかうなんの保証もないときの全体における、闘争へのあきらかな志向にあるのだからである。そのほかのすべての時は、平和である。


人間は平等である。少なくとも戦争において個々の能力の差は、例えば一人で何百人を相手にしても勝てるほどの差はない。大きく見れば人間はだいたい同じ程度の能力であり、ゆえに平等かつ、自分が生き残るためには何をしてもよい「自然権」をもつ。これが現在ますますその価値を高めているように見えるホッブスの国家論の出発点だ。そこで各人の権利をある程度譲り渡し巨大な一つの権力がそれを掌握することで秩序をつくり、常に戦争状態に気をとがらしていなければいけない状態から解放し安全をもたらすのが国家、ホッブスのいうコモンウェルス(市民的、政治的・教会的権力)となる。

その他文庫本4巻分いろんなものがつまっている。例えば後半2巻はいわゆる教会的権力に対する批判が延々とのべられるが、国家論として名高い古典の半分が宗教批判についやされている事実は今の現状と照らしてみても何か普遍的な問題をえぐりだしているように感じられる。それらも細かく引用して書こうと思ったが、ウィルス性胃腸炎とかで心身ともに疲れてていつまでたっても書けない。やっつけであげる。