『時をかける少女』を見て


私信でちらっと『時をかける少女』見た感想を書いた。一応アップ。見てない方には意味がわからない説明不足なものだが、主人公の女の子が火をだしかけた家庭科の授業での失敗を避けるべく、時をさかのぼって高瀬君という男の子に自分のポジションを代わってもらい、なぜか高瀬君が主人公と同じような失敗をして、その後いじめられる→反撃→さらにやられる→キレて主人公に消火器投げつけ主人公の友達の女の子を怪我させる、という作品内の出来事に焦点を当てて書いたものになっている。

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 ちなみに『時をかける少女』見たんですが、僕はあれを「高瀬君だけが正しかった映画」としてのみ肯定します(笑)主人公や主人公格のキャラにだけ都合のいいように作られた物語構造というメタな領域の力によって、自分がそれを彩る脇役としてわりを食うだけの存在であることを彼だけが認識し、聡明にも自分を脇役に任命した主人公を告発し、その他の登場人物が気づきもせずに不公平なルールにもとづいて住まわされている虚構世界が目指す「さわやかに感動」とか「主人公のみずみずしい元気さに心洗われる青春映画」という物語構造に引っかき傷を残すべく、消火器を投げつけ関係の無い女子(といってもこいつは高瀬君の正当な反撃を「そんなことするから・・・」とソフトに抑圧する加担者ですが)にけがをさせるという「後味の悪い」=物語構造の目指すカタルシスに対するノイズを現出させる、誇り高き抗いと敗北を喫するわけです。ビバ!高瀬!