仲正昌樹『松本清張の現実(リアル)と虚構(フィクション) あなたは清張の意図にどこまで気づいているか』


久しぶりに文学の研究書を読んだ。研究書とは言っても一般の読書人が楽しんで読める啓蒙的な本でもある。またビジネス社からの出版で定価952円は安い。お買い得であると思う。


思想史においてオーソドックス(変な奇をてらわない)かつ本格的な(最も重要な点をつかむ的を得た)手つきには定評のある著者が、唐突に(と私には見えた)松本清張の本を出したというので購入、久しぶりに文学の研究書で興奮し、かなりの量の本文をワードで打ち込み写してしまった。


著者は自分が松本清張に惹かれた理由を次のようにいう。

社会の不条理―本当は自分の方が不条理なのかもしれないが―が感じられて仕方がない時、根深いルサンチマン(恨み)を宿すキャラクターたちの逸脱と挫折を軸に展開していく松本清張ワールドは、非常に心地よいカタルシス(感情浄化作用)を及ぼしてくれる。「私」の内の暗い部分を拡張したような人物が、虚構の世界の中で「私の代わりに」思いっきり毒を吐き出してくれているおかげで、私の中の「毒」が少しだけ消えたような気がするのである。


人によってはずっこける人もいるかもしれないが、私はこのような目的で小説を必要とするのはよくわかる気がする。人によっては(『作家の値打ち』の福田和也氏など)現代の松本清張的存在と目する作家でもある宮部みゆきを私はそのような目的で読んでいたと思う。不条理に見える恨みを持つ主人公が書かれ、その恨みの対象であるいかにも無責任・無神経な登場人物が書かれ、事件が起り解決されるまでに恨みの対象は何らかの形で罰のようなものを受け、主人公は恨みをふっきることはできないものの何らかの形で浄化される―宮部みゆきの作品によく見られるこのような展開の小説を私は「ソフィスケイトされたルサンチマンの発散」として楽しんでいた気がする。


閑話休題。著者は上記のような実感は実感として、当然研究のアプローチをするときはその小説あるいは評論などの特性をふまえた分析をし、安易に作家・松本清張の「人間を見る達人」として持ち上げることはしない。

コアな清張ファンの中には、他の売れっ子推理小説家と何となく違う清張の魅力について、「清張さんの、人間の描き方は凄い。人物が生き生きしている。○○とか△△なんかには真似できない」という言い方をする人が多い。北九州の清張記念館が後援する形で、毎年二回研究発表会をやっている「松本清張研究会」に私も所属しているが、ここに集まって来る人の大半は、そういうタイプである。一般読者だけではなく、国文の研究者や評論家、ジャーナリストなど、文章のプロである人たちも、そういう言い方をする傾向がある。言いたくなってしまう気持ちが分からないではないが、もともと独文の研究者でもあり、テクスト論とか記号論をそれなりに勉強してきた私としては、偉大なる「清張さん」を、「人間を見る達人」と見立てて、伝記とか人柄に関する情報によってその偉大さを〝証明“しようとするタイプの古いタイプの文学研究は、一般的に「作家論」と呼ばれる。表現の仕方を知らない素人さんが、ついつい単純に美化するような台詞を口にして、かえって興醒めさせるのはある程度仕方ないとして、プロを自任する人たちが「人間を観察する達人としての清張」なんて、黴が生えたように陳腐な言い方をすべきではない。私は、そんなのは誉め殺しであると思っている。本当に「偉大な人間観察者」を求めているのなら、清張の推理小説なんかよりも、宗教とか占いの本でも読んだ方がいい。
清張の作品を、本当に生産的に評価しようとするのであれば、「彼の人間観察がすぐれている」ことを最初から金科玉条のような大前提にしてしまうのではなく、まず「『彼の人間観察がすぐれている』と、読者の目に映るのは何故か」という問いを立ててみる必要がある。大学一年生向けの文学の教科書に書いてあるようなことを復習するようで少し恐縮であるが、「人間」というのは、自分でも自分が分からないほど多面的な存在であり、どんなに文章がうまい著述家がどれだけ詳細にわたる描写を試みても、「一人の生きた人間」を、文章の中で全面的にリアルに「再現」することなどできない。特に文学作品である「小説」は、最初からフィクションの世界で展開するストーリーであることを前提にしているわけであるから、本当の「生身の人間」が描かれているはずはない。人物が「生き生きしているように」感じられたとすれば、それはフィクションの世界の中での「生き生きさ」である。
フィクションとしての文学作品というものは、外の世界の「現実」を模しているものの、それと完全にイコールではなく、作品の内部空間だけで通用する独自の法則(決まりごと)を備えており、それに従って個々の作品に固有の“現実”が再構成される。その再構成された“現実”に一貫性があり、なおかつ、そこに登場人物がその中にうまく収まっているように―それを観察している読者の目に―見える時に、その人物が「生き生きしている」わけである。作品の中の“現実”は、あくまでも「現実」そのものではなく、その中の特定の要素だけを抽出して再構成したものだから、何でもかんでも細かく描写しさえすれば、人物が“生き生きしてくる”というものではない。

テクスト論や文学理論的なものをかじってきた人なら常識的ともいえることではある。しかし多くのテクスト論者や文学理論を駆使している研究者(それはカルチュラル・スタディーズやポストコロニアル批評にいった人も含む)よりも、この本はオーソドックスで時に奇をてらったりせず、変なラディカルさを目指して難解でもなく一つ一つの作品の中心的なポイントをおさえていくことで、ほとんどの上記の論者の本よりも面白く重要な知識や示唆を与えてくれると思う。


まず著者は松本清張がどのような作家だったかの概略をこうまとめる。

推理小説というのはそもそも十九世紀に西欧諸国で発展した文学ジャンルであったが、「推理」をめぐるストーリーが成り立つためには大前提として、①主として金銭や社会的地位に絡んだ複雑な人間関係が市民社会において形成されてきたこと、そして、②人口が集中した大都市で人々の間の匿名性が飛躍的に増大してきたこと―が必要である。かなりの貨幣化された資産、特に株などの有価証券とか銀行預金など物質的な形を持たない資産を保有している人々が存在し、彼らの財産や取引関係を規制する法体系が整備されていなかったら、複雑なトリックを駆使して、強盗や殺人を実行する意味はない。貧乏人ばかりで、誰が何を所有し、誰が死ぬと誰が得をするのか、近隣の人々からガラス貼りで知られているような関係だと、隠蔽のための複雑な犯罪を行うこと自体が無意味であるうえ、そういう関係の中で生きる普通の庶民にはトリックの手段を購入するための金も、仕掛ける時間もないし、操作する警察の目を欺けるだけの科学的知識があるとも考えにくい。また、ほとんどの人が顔見知りの小さなコミュニティだと、犯人が群集の匿名性の中に溶け込んだ痕跡を消すというお馴染みの設定は成り立たない。余所者が入ってきたり、顔見知りが普段とは違う行動を取ったりしていると、すぎに誰かに気付かれてしまう。

横溝正史の全盛期が過ぎたのと前後して、『点と線』(一九五七)や『ゼロの焦点』(一九五八)で成功を収めた清張が推理小説家として知られるようになった昭和三十年代は、それまでの「探偵小説」あるいは「推理小説」の背景になっていた社会構造が大きく変化し、日本全体が資本主義的な都市空間と化していく時期であった。人口の都市への移動が進み、都市住民の間の匿名性が圧倒的に高まると共に、旧特権階級と庶民の間の「身分違い」についての意識もかなり希薄になり、階層の間の移動も可能になった。そこに、敗戦直後の混乱の余韻という要素も加わって、どこにでもいそうな“普通の人”たちの間で複雑怪奇な事件が起こっても不思議のなさそうな雰囲気が生じた。そこで、そうした普通の人たちが、一見して非常に手のこんでいるように見える「犯罪」へと至るまでの動機形成の過程を、社会批判的な視点を交えながら、描き出していく「社会派推理小説」と呼ばれる清張的なジャンルが生まれる余地が出てきたわけである。
 清張の「社会派推理小説」では、探偵役も、シャーロック・ホームズのような天才的な探偵ではなく、実直な刑事とか、被害者の身内とか、比較的“普通の人”であることが多い。はっきりした探偵役なしに、何となく、後味の悪い「解決」がなされてしまう場合もある。そうしたやり方は、複雑な「トリック」を、緻密な論理によって快刀乱麻を断つようにスパッと解明することに主眼が置かれたそれまでの推理小説の常識とはかなりかけ離れてはいたが、そうすることによって清張は、庶民の日常に極めて近いところで起こっているという設定のストーリーに、よりリアリティを与えることに成功したと言える。われわれの身近に、難事件を次々と推理力だけで解決していくシャーロック・ホームズがいるとは思えないからである。また、天才的な推理力によって「トリック」だけを瞬時に「解明」してしまったら、“解明”に向けてのストーリー展開の中で、もともと“普通の人”であったはずの犯人の「心」の中に犯行への動機、あるいはその遠因が生じてきたメカニズムを、社会構造や時代の変化に即してじっくりと描き出すことはできない。逆に言うと、「トリック」を瞬時に解明する名探偵がいたとしても、彼が、社会的背景も含めた広い意味での「動機」を瞬時に解明できるとは限らない。「トリック」の解明と「動機」の解明をシンクロ(同期化)させながらストーリーを展開していこうとしたら、いきおい、緩慢な推理にならざるを得ないのである。
ゼロの焦点』、『眼の壁』(一九五七)、『砂の器』(一九六〇〜六一)などの傘寿年代の代表作に見られる、清張ワールドの犯人たちの動機形成の典型的なパターンは、終戦時の混乱をうまく生き延びて、それなりの社会的な成功を収めることに成功した紳士淑女が、現在の成功を脅かしかねない暗い「過去」を隠蔽するために、「過去」に近づいた者を抹殺しなければならないと決意する、というものである。獲得したものを失いたくないがゆえに、頭をフルに使って複雑なトリックを思いつくのである。
 清張作品に、学者、芸術家、ジャーナリスト、会社員、官僚など様々の職業領域にあって、下層から上流へとかなり無理をしながら上っていこうとする“普通の人”が、上昇し続けるために凶悪な「犯罪」へと至る過程を描きながら、同時に、作品自体の中で「解決」されるべき「事件」の背後に、容易に“解決”することのできない「社会問題」あるいは「政治的問題」があることを暗示していることが多い。作品の「内部」で起こる解決不可能な「犯罪」についての推理を、戦後の日本に新たに生じてきた社会構造的な「問題」の探求・分析と結び付けていく手法を切り開いたのは、清張のオリジナリティと言ってよいだろう。その意味で、清張の“推理小説”は、「推理小説」という従来のカテゴリーの枠を超えて、「推理」の対象を拡大していると言える。彼の代表的なノンフィクション作品である『日本の黒い霧』(一九六〇)は、その逆に、現実の政治・社会問題の分析に、推理小説的な方法を導入することによって成立した。遡って考えてみると、“推理小説作家清張”が誕生する以前の初期の短編『西郷札』(一九五一)や『或る「小倉日記」伝』(一九五二)なども、過去の歴史の真実を解明する「推理」の過程を、小説という舞台設定の中で展開したものと見ることができる。
 複合的な謎解きとしての性質を持つ清張の「社会派推理小説」を読み終わった後、これで「全て」が一件落着したわけではなく、もっと奥にはっきりと全体像が把握できない「何か」が潜んでいるようなすっきりしなさが残る。作品の中で描き出された「事件」と同じようなものを生み出す可能性のある「何か」が身近にもひょっとしたらあるかもしれないと、自分は“普通の人”だと思っている読者に感じさせるわけである。ストレートに光が当たらない「何か」にまとわりついているものが、コアな清張ファンにとっては、清張の人間性の深さに見えるのだろう。私にはそれは、かなり計算して演出された“深さ”に思える。


そこで代表的な小説作品や、評論、ノンフィクション作品の具体的な検討にうつっていくのだが、これらの作品を分析しながら考えられるテーマが現在においてとてもアクチュアルなテーマのものが多い。

第二章の『日本の黒い霧』の分析においては、今にいたるまで最も大きな枠組みとして日本を規定している日米関係の密着の端緒となったGHQと戦後日本についての「黒い霧」につつまれた関係が書かれる。

GHQは、日本を民主主義国家として再出発させるためのレールを敷くことを本来の任務としていたわけだが、暗黙の内に、社会主義の浸透を可能な限り抑えて、新国家全体を米国の社会戦略に組み込むことを前提としていた。GHQによる間接統治は、民主主義的<秩序>創出という表の顔と、“米国のための秩序”の押し付けという暴力的な裏の顔を持つヤヌス的な性格のものだった。その二つの顔の間の矛盾が、GHQ=最高権力による<犯罪>を引き起こしたわけである。『日本の黒い霧』の中で松本清張がしばしば言及しているGHQ内での「G2(参謀第二部・作戦部)VSGS(経済科学局)」の対立構図はこの二面性が具体的な姿を取って現れたものと考えられる。清張によれば、GSが日本を民主主義国家として再建しようとする理想主義的なニュー・ディーラーたちの拠点であったのに対し、G2は日本占領を戦略的にのみ了解していた。GHQの占領政策は、両者の間の力のせめぎ合いの中で展開したのである。『朝日ジャーナル』(一九六〇年十二月)に掲載された後、『日本の黒い霧』が単行本として刊行された際に「あとがき」に代えて再録された「なぜ『日本の黒い霧』を書いたか」という文章の中で松本清張は、占領期に「下山事件」「白鳥事件」「帝銀事件」「松本事件」といった政治的意図に基づく権力の関与を思わせる<犯罪>が多発し、それらが事実上迷宮入りした理由について次のように推測している。

 アメリカが、日本の民主主義(それもアメリカの政策の枠内でだが)の行き過ぎを正したのは、日本を極東の対共 産圏の防波堤とはっきり意識したころにはじまる。
 しかし、一つの大きな政策の転換は、それ自身だけでは容易に成し遂げられるものではない。それにはどうしても それにふさわしい雰囲気をあらかじめ作っておかなければならぬ。この雰囲気を作るための工作が、さまざまな一 連の不思議な事件となって現れたのだと私は思う。GHQが朝鮮戦争を「予期」しはじめたのは、一九四八(昭和 二三)年ごろからであろう。
 その翌年は、朝鮮戦争の起る一年前だ。この年、マニラにあったCIA極東本部が日本に移ったことも、それを裏 付ける一つといえよう。この49年に、下山事件三鷹事件松川事件芦別事件などの鉄道に関する自己が発生 している。これらの事件がすべて鉄道に関連していることに注目されたい。軍作戦と鉄道とは不可分であり、輸送 関係は作戦の一つなのだ。
 事態収拾は占領軍という強権のために、日本国民には真相を知られることなくして行われた。日本側権力筋が協力 させられたからである。このことは占領中の日本では彼らの謀略がいともやすやすと行われる条件にあったことを 意味する。だから占領が解除(たとえ表向きでも)されたら、この「日本の黒い霧」に収められたような奇怪な事 件が嘘のようになかなった事実を素朴に考えるべきであろう。

ここからはっきり読み取れるように清張は、自由・民主主義に基づく新秩序を創設するという大義名分と、極東における米国の<封じ込め>戦略の間の矛盾という視点から一連の事件に迫ろうとしている。占領期の日本においてGHQは絶対的な権力を有していたが、自ら導入しようとしている民主主義の原則に露骨に抵触するような仕方で反共政策を断行すれば、安定した秩序を作り出すことはできない。「推理・松川事件」の中で清張は、四十八年一月にアメリカのロイヤル陸軍長官が、それまでの方針だった「日本の広範な非軍事化」を改め、「強力な日本政府を育成するにある。日本自身が自立出切るだけでなく、今後、極東に起る化も知れない新しい全体主義の脅威に対して、防壁の役目を果すのに充分に強力な、新しい民主主義を築き上げるにある」という歴史的な演説をしたことに注意を向けている。民主化と軍事ブロックへの組み込みという相矛盾する目的を追求するためには、権力の究極的実体であるGHQが抑圧者としての姿を表に出さないまま、世論をコントロールする高度なマニピュレーション、つまり(主にG2が担当する)謀略活動が必要になる。

下山事件によって国鉄労働者に対する大幅な人員整理が大きな抵抗なく実行され、白鳥事件松川事件は、(当時中核自衛隊などによる軍事闘争戦術を取っていた)共産党に大きな打撃を与えた。こうした謀略が可能であったのは、本当の権力であるGHQが陰に隠れたまま、最終判断能力のない(ということが一般の国民にも知られていた)日本側権力筋が捜査に当たっていたからである。清張はこの二重権力構造に<日本の黒い霧>発生の源を見たのである。GHQが解体されて、日本の国家権力が全ての責任を負わねばならない状況になると、そうした捜査は不可能になる。「なぜ『日本の黒い霧』を書いたか」では、新安保闘争の時期にも当局にしてみれば事態を収拾するための“事件”が欲しかったところだろうが、実際に起らなかったのは、<オールマイティーな占領政治>がなくなったからであろうと推理されている。GHQは民主国家日本の秩序の根源であると同時に、自らはその秩序の拘束を離れた超法規的な存在、まさにオールマイティーな神のような超越者だったのだ。戦後日本の「強力な、新しい民主主義」はこの“神”によって創造されたのである。

GHQが「理想主義的なニュー・ディーラーたちの拠点」であったGSと「日本占領を戦略的にのみ了解していた」G2のヘゲモニー争いによって、時に矛盾した方針を戦後直後の絶対的権力をもって行使していたと見る視点は、現在アメリカの占領政策やその中で生まれた日本国憲法を、理想主義的な理念を盛り込んだ肯定的なものと評価するか、アメリカや戦勝国の利害の中で都合よくでっちあげられ現在に色々な弊害を起こしている否定的なものと評価するかで苛烈に議論が分かれていることを考えるとき、きわめて重要な視点に見える。私は不勉強ながらGS、G2位はどこかで知っていたかも知れないが、それがこんな現在につながる意味をもつとは思いもしなかった。


また第5章では『落差』という小説作品を通じて歴史教科書の問題をあつかっている。

 九〇年代の後半頃から、戦後の「歴史観」の修正、「歴史教育」の見直しがしきりと論議されている。「自由主義史観」を標榜する西尾幹二藤岡信勝等は、日本の近代史の中に「帝国主義」、「植民地支配」といった負の要素があることを強調してきた戦後の歴史観を「自虐史観」として否定し、(天皇を中心とした)「国民」としての自覚・自立化の歩みとして近代化過程を捉えるべきだと主張している。こうした[「自由主義史」=「国民の歴史」]派と、戦後民主主義において培われてきた諸価値に基軸を置く歴史観を維持していこうとする陣営の間での攻防に、旧従軍慰安婦に対する補償問題や、加藤典洋高橋哲哉の間での「記憶の主体」論争、「日の丸・君が代」法制化論争、靖国参拝問題、竹島問題、中国への反日デモへの対応などが絡んできて、「歴史」をめぐる大きな論争の様相を呈している。
 自由主義史観派は、「自虐史観」の温床として「歴史教育」を攻撃のターゲットにし、「新しい教科書をつくる会」を結成して、既成の歴史教科書の記述を左翼的に偏向していると批判したうえで、中学校社会科の「歴史」と「公民」の教科書を自ら編集し、二〇〇一年及び二〇〇五年の検定に相次いで合格している。実際の採択率は彼らの期待よりもかなり低かったが、韓国や中国からは歴史の歪曲であるとして反発を受けている。「つくる会」グループはこれまで自分たちの編集した教科書を「検定」に合格させるための地均しのキャンペーンとして、その「パイロット版」として位置付けられる『国民の歴史』(西尾幹二著、扶桑社)をはじめとする自由主義史観関連図書の大々的な販売キャンペーンを展開し、各種メディアで既成の歴史教科書の左翼的“偏向”を攻撃してきた。
 こうした「つくる会」の運動には様々な利権が絡んでいると言われている。マスコミを動員しての大々的なキャンペーンに人々の関心が集まれば、出版社はそれに乗じて売り上げを伸ばせるし、運動の主催者たちには印税・講演料が入ってくる。延いては、彼らの知名度を上げ、論壇における影響力を増大させることに繋がる。しかも「教科書」には、「教育」という領域に固有の特殊な利害が含まれている。先ず、「検定」を通過して「教科書」として「採用」されれば、学校に大量に納入して、自動的に収益を上げることが可能になる。当然のことながら、中学校で使われる「教科書」の選択権は、直接的な“読者”である生徒にはない。文部省の「検定」に通り、都道府県の教育委員会によって設定された「採択区」ごとの所定の手続きを経て「採択」された「教科書」が、生徒たちに“上”から割り当てられることになる。現行制度では、義務教育に対しては、「義務教育教科書無償措置法」に基づいて国の費用で「教科書」が支給されているわけであるから、教科書会社や執筆者たちは、いわば公共事業によって食っているゼネコンと同様に、税金から巨額の収入を得ることになる。その権益に参与できるか否かは、「検定」と「採択」にかかっているわけだから、「つくる会」が文部(科学)省や各地の教育委員会に対して直接的・間接的な働きかけを行っていることには、或る意味で、経済的な必然性があるのである。
 それに加えて、子供たちの頭脳に(本人には選ぶことのできない)「教科書」を通して特定の歴史観・価値観を「刷り込む」ことに成功すれば、それは、将来の読者やファンを確保することに繋がっていく。「つくる会」の人たちは、自分たちの教科書の基本的スタンスについて、「単純な善悪でのみ歴史を裁こうとする姿勢を排除し」、「子供たちが日本のおかれていた立場を理解し、先人の不断の努力に対する敬意をもつように工夫し、その歴史を教訓として現代・未来の国際社会のなかで、国を愛し諸外国と共存していく力を養う」と述べているが、裏を返せば、(左翼リベラル派の歴史学ではなく)自分たちの描き出す、愛国的な「歴史」に共感するような体質の人間を「養成」しようと画策しているわけである。無論これは、「右の教科書」を作る人たちだけではなく、「左の教科書」を作る人たちについても言えることである。今ではさほど目立たなくなったが、これまで左翼の学者・教師たちが、自分たちの思想・主張を代弁する教科書や副読本を巧みに利用して、それを試みているのである。しかも「つくる会」の主要メンバーの中に、「左」から「右」へと“いつのまにか”「転向」した人たちがいることに象徴されるように、核になっているはずの「思想内容」自体もかなりイメージ商品化している。
 子供のために為されているはずの「教科書」編集の陰にこうした利権やヘゲモニーをめぐる争いを、いち早く文学作品という形で描きだしたのが松本清張の『落差』である。この作品が読売新聞に連載された昭和三十六年から三十七年(一九六一六二)というのは、教科書問題を軸にして戦後教育の様々な問題が噴出していた時期である。昭和二十五年(一九五〇)をもって戦前からの「国定教科書」は完全に廃止され、「検定教科書」という日本独特の制度に移行したが、この結果、教科書の「検定」基準をめぐる政治的対立が生まれてきたのである。
 主に問題になったのは、イデオロギーや思想が反映しやすい社会科、特に「日本」という国の在り方が直接的に記述される歴史の教科書である。昭和三十年(一九五五)六月に、(当時の)民主党衆議院の行政監察特別委員会で、「労働者の生活の悲惨さ」をやたらに強調する「教科書」が出回っていると批判した。同党が「うれうべき教科書の問題」なるパンフレットを発行し、偏向教科書追放キャンペーンを展開したのを受けて、文部省は検定基準を「厳重」にするという名目の下に、検定審議会委員を入れ替えた。これによって、八種の社会科教科書が「偏向」という理由で不合格にされた。「偏向」の指摘は、(委員の一人とされる)「F氏」の名で為されたので、ジャーナリズムはこれを「F項パージ」と呼んだ。「F項パージ」によって損害を受けることを恐れた各教科書会社は、それまで代表的な「進歩的学者」としてもてはやしていた日高六郎長洲一二、勝田守一といった人たちを執筆人から排除することにした。文部省がその後も、記述における「立場の公正さ」を確保するという名目の下に「検定基準」を強化していったのに対し、日教組歴史科学協議会などが教科書の自由化を求める運動を組織し、「教科書」をめぐる左右対称ムードが生まれてきた。安保闘争と三池闘争が激化し、清張が『日本の黒い霧』を執筆していた昭和三十五年(一九六〇)には、国会と新聞・雑誌・テレビなどを舞台にして、文部省が「検定」を通して「ネオ皇国史観」を押し付けようとしているとする和歌森太郎などの進歩的知識人と、(F氏と目されていた)高山岩男などの文部省側の学者・調査官の間で論争が展開された。「落差」が単行本として刊行された昭和三十八年には家永三郎の「新日本史」が検定不合格となり、その二年後に、有名な家永教書訴訟が始まっている。

現在論争をよんでいる「つくる会」の問題とその利害を説明しつつ、それに先行し『落差』が描かれた同時代に起った教科書の事件を絡めて、まさにその歴史教科書を右より左よりに書き分けて設けてきた大学教授を登場人物として焦点化した『落差』という小説が分析される。この現在のアクチュアルな問題と、それに先行する過去の歴史的事件と、その歴史的事件と同時代でおそらくそれを契機に書かれたのであろう小説作品を平易で簡潔でありながら見事に関係づける手並みは、造詣の深さと問題の核心をたしかにつかむシャープさを感じる。もちろん文学研究者でもこのような歴史背景の叙述はあるが、ポイントをどうも外していたり、細かいところを過大に意味づけたりしていることも多い。上記の引用からもわかるようにその辺りのポイントのツボがきっちり押さえられた上で、作品を分析しているところがこの本が、素朴に見えながらなかなか真似のできない深みをもっている点だと思う。


また日を改めて書けたら書きたいが、他にも歴史研究者にも認められる歴史をあつかったノンフィクションや小説を多数書いている清張が、古事記日本書紀を通じてなぜこの呪縛から日本なり日本語なりが現在まで逃れられないのかといった問題や、天皇制と二・二六事件を通じてこの日本独特の体制と二・二六事件がなぜ起り、それがどう利用されて敗戦までの体制が作られていったのか、またいわゆる推理小説や大衆小説のカテゴリーに入るであろう松本清張と当時純文学での代表的存在の一人だった三島由紀夫の対比から当時の文学空間の主題の住み分けを論じたり、「トラベル・ミステリー」の草分けである清張の作品における「旅」の記号学を展開したり、メディア論や間テクスト論の視点から論じたりと内容が詰まっている。これで952円である。


個人的にはこの本によって松本清張という作家の巨大さをある程度感じられ、作品を読もうという気になれた。また、これらの天皇制や古事記・日本書記までさかのぼる日本語の問題にとりつかれ、また日本の歴史上の物語や口承を色濃く受け継ぎ、トラベル・ミステリーではないが地方の土地の歴史と方言が極めて重要な意味を持つ舞台設定で、二・二六事件や日米関係と深いかかわりを持ち極右とも極左とも言われた「純文学」の作家、中上健次をかつて読んでいたのを思い出し、この本で著者が的確にまとめてくれたポイントをふまえて読み直せば、ある意味で松本清張の純文学的立場から、あるいは20世紀の文学観のラディカルな変容を受け止めた立場からなお清張的な問題をも抱え込んだ作家として読み直せる、と身震いした。その意味でも個人的だがこの本は拾い物だった。