ホッブス『リヴァイアサン』、水田洋訳

 読むのに半年かかった。文庫本四巻はたしかにボリュームがあるが、もちろんこつこつ読んで半年ではなく、30ページ読んでは一週間放り出し・・・という感じでおおいにさぼりまくりながら何とか読みきりはした。例によって注釈は全飛ばしである。

ホッブスのプロフィールを解説より抜粋する。

 トマス・ホッブスThomas Hobbes,1588-1679は、ブリストル近郊のマームズベリに、国教会牧師の子として生まれた。

 こうした物情騒然というときにホッブスは生まれ、その九一年の生涯(とくにその前半)は、けっして平穏ではなかった。最大の事件は、いうまでもなくイギリス革命(一六四〇年―六〇年)であり、その革命のまっただなかに、『リヴァイアサン』が出版されたのである(一六五一年)。ホッブスはそのときすでに六三歳だったのだが、それまでにかれは、どのような道をあゆんできたのだろうか。

 長期議会は、一六四〇年一一月三日に開会された。ホッブスは、数千ポンドの財産をのこして、そのごまもなくフランスにわたったらしく、一六五一年までの一一年を、亡命者としてくらすことになる。このあいだにかれは、共通の友人メルセンヌをつうじて、デカルトと知りあったし、また『哲学要綱第三部 市民について』(一六四二年)の出版によって、大陸での評価を確立していった。『市民について』は、ラテン語で、著者名はイニシャル(T・H)だけで、小部数が印刷されただけであったが、フランス人の医者(ただしすでに廃業)サミュエル・ソルビエールSamuel Sorbiere,1610?-70は、これを高く評価して、アムステルダムで一六四七年に三つのラテン語版、四九年に二つのフランス訳の出版に成功した。この本は、一六五四年六月一六日のローマ法王庁禁書目録にあげられたにもかかわらず、パリとアムステルダムで版をかさねたのである。
 メルセンヌはまた、ピエール・ガセンディPierre Gassendi,1592-1655をホッブスに紹介した。デカルトが『市民について』を危険な書物と非難し、さらにはホッブズの感覚論が剽窃であるとして絶交するにいたったのとちがって、ガセンディとホッブズは、オーブリによれば、「完全な友好関係にあったloved each other entirely」。ガセンディには、政治学の著作はないが、神学と自然哲学において、ホッブズをひきつけるものがあったようである。


デカルトの同時代人で面識もあったそうだ。16世紀から17世紀を生き、イギリス革命(清教徒革命と名誉革命をふくめてこう呼ぶらしい)のまっただなかに、今にいたるまで知識人に使われ続ける古典『リヴァイアサン』を著したわけだ。

リヴァイアサン』は全四巻あるが、今言及されるときは、ほとんど数十ページくらいの部分ばかりな気がする。その部分は高名な「万人の万人に対する闘争」などと言われたりするくだりである。

《人びとは生れながら平等である》自然は人びとを、心身の諸能力において平等につくったのであり、その程度は、ある人が他の人よりも肉体においてあきらかにつよいとか、精神のうごきがはやいとかということが、ときどきみられるにしても、すべてをいっしょにして考えれば、人と人とのちがいは、ある人がそのちがいにもとづいて、他人がかれと同様には主張してはならないような便益を、主張できるほど顕著なものではない、というほどなのである。すなわち、肉体のつよさについていえば、もっとも弱いものでも、ひそかなたくらみにより、あるいはかれ自身とおなじ危険にさらされている他の人びととの共謀によって、もっとも強いものをころすだけの、つよさをもつのである。
 
《諸政治国家のそとには、各人の各人に対する戦争がつねに存在する》これによってあきらかなのは、人びとが、かれらすべてを威圧しておく共通の権力なしに、生活しているときには、かれらは戦争とよばれる状態にあり、そういう戦争は、各人の各人に対する戦争である、ということである。すなわち、戦争は、たんに戦闘は、たんに戦闘あるいは闘争行為にあるのではなく、戦闘によってあらそおうという意志が十分に知られている一連の時間にある。だから、戦争の本性においては、天候の本性においてとおなじく、時間の概念が考慮されるべきである。というのは、不良な天候の本性が、ひと降りかふた降りの雨にあるのではなく、おおくの日をいっしょにしたそれへの傾向にあるのと同様に、戦争の本性も、じっさいの闘争にあるのではなく、その反対にむかうなんの保証もないときの全体における、闘争へのあきらかな志向にあるのだからである。そのほかのすべての時は、平和である。


人間は平等である。少なくとも戦争において個々の能力の差は、例えば一人で何百人を相手にしても勝てるほどの差はない。大きく見れば人間はだいたい同じ程度の能力であり、ゆえに平等かつ、自分が生き残るためには何をしてもよい「自然権」をもつ。これが現在ますますその価値を高めているように見えるホッブスの国家論の出発点だ。そこで各人の権利をある程度譲り渡し巨大な一つの権力がそれを掌握することで秩序をつくり、常に戦争状態に気をとがらしていなければいけない状態から解放し安全をもたらすのが国家、ホッブスのいうコモンウェルス(市民的、政治的・教会的権力)となる。

その他文庫本4巻分いろんなものがつまっている。例えば後半2巻はいわゆる教会的権力に対する批判が延々とのべられるが、国家論として名高い古典の半分が宗教批判についやされている事実は今の現状と照らしてみても何か普遍的な問題をえぐりだしているように感じられる。それらも細かく引用して書こうと思ったが、ウィルス性胃腸炎とかで心身ともに疲れてていつまでたっても書けない。やっつけであげる。