モンテーニュ『随想録<エセー>』松浪信三郎訳


今度は文庫本6冊分である。去年はこれとホッブスリヴァイアサン』でおわってしまった。


 ミシェル・ド・モンテーニュは一五三三年二月二十八日、父ピエール・エイクェムと、母アントワネットとのあいだの第三子として、エイクェム家の貴族領モンテーニュの館に生まれた。

時に一五九二年九月十三日、享年五十九歳と六ヶ月である。

とあるようにモンテーニュは16世紀の人であり、ルネサンス期のモラリストとしての代表的知識人といわれたりする。


この本は今にいたるまで氾濫するエッセイ形式の先駆けであり決定版のようなところがある。自分の経験を通してなにごとかを語るエッセイ本や、人間の傾向性やさまざまな諸相について常識的かつ中庸をえた認識を語ろうとする自己啓発本等のほとんどは、これを通読すれば必要なくなると感じさせる。


この書が今にいたるまで多くの読者を得て、影響をあたえつづけているのは、著者のある種の目線の低さにあると思う。


それほど、人間的な慎重さなどというものは、空しくあさはかなものである。われわれのあらゆる計画や、思慮や、用心を通じて、つねに出来事の結果を左右するのは運命である。

けれども、習慣の力の最も大きな結果は、習慣がわれわれをとらえて締めつけるところにある。したがって、その把握から自己を取りもどし、自己に立ちかえり、習慣の命令を理性的に反省することは、われわれには不可能である。

ところで、私の思うに、孤独の目的は、ただ一つ、もっとゆっくりくつろいで生きることである。

世のあらゆる迷妄のうちで、最も広く行きわたっているのは、名声と栄誉に対する心づかいである。われわれはそれに執着するあまり、富、平安、生命、健康というような効果的で実質的な幸福を棄てて、実体も捉えどころもない空虚な影、たんなる声を追い求める。

  名声はやさしい声で思い上がった人たちを魅惑する。それは美しく見えるが、こだまでしかないし、夢でしかない。いや、風のそよぎにも吹き散らされる夢の影でしかない。(タツソー『解放されたエルサレム』十四の六三)

人間にはいろいろ不合理な気分があるが、ほかのものはともかく、これだけは、それから脱却するのに、哲学者でさえも、最もおそらく、最も困難な気分であるように思われる。
それは最も頑固で執拗な気分である。《というのも、それは徳の道に深く進んだ人たちをさえも誘惑することをやめないからである。》(アウグスチヌス「神の国」五の一四)理性によってこれほどはっきりとその虚栄が非難されるものはあまりない。けれども、この気分は、われわれのうちにかくも深く根をおろしているので、そこから完全に脱却しえた者があったかどうか私は知らない。あなたがそれを否認するためにどんなことを言い、どんなことを信じても、すぐあとから、この気分はあなたの理性にさからって、とうてい抵抗しきれないほど根の深い或る傾向を生じせしめる。
事実、キケロの言うように、この気分を攻撃する人たちでさえ、それについて論じた自分の書物の表紙に、自分の名がしるされることを欲する。栄誉を軽蔑したということで、自分に栄誉を与えようとする。栄誉以外のすべてのものは、交換することができる。われわれは友人が困っていれば、われわれの財産やわれわれの生命を貸してやる。けれども、自己の名誉を譲ったり、自己の栄誉を他人に贈ったりすることは、あまり見られない。

それにしても、いかなる学派といえども、その賢者に対して、自分が生きようととするかぎり、理解も認識も承認もされていない多くの事物に従うことを許されないわけにはいかない。

ソクラテスは、道徳と生活に関するもの以外のすべての学問について、同じように言った。彼は、人からどんなことをたずねられても、つねにまず質問者をしてその現在と過去の生活状態を語らせ、それを吟味し判断した。というのも、彼はその他の学習をすべて副次的で余計なものと考えていたからである。

《せっかく学んでも、その人を有徳ならしめるのに何ら役に立たなかったようなそれらの学問は、私にはあまり興味がない。》(アルスティウス『ユグルタ』八五)

人間は、彼のあるところのものでしかありえないし、自己の能力に応じてしか思考することができない。プルタルコスの言うように、たんに人間でしかない者どもが、神々や半神について語ったり論じたりしようと企てるのは、音楽について無知な者が、歌い手を判断しようとしたり、一度も戦場に出たことのない者が、武器や戦争を論じようとして、自分の知識外にある技術の効果を、ほんのわずかの推測で理解したつもりになるのよりも、いっそうはなはだしい思いあがりである。

この考えは、私が天秤に銘として刻みつけているように、「私が何を知っていよう?」Que scay-je ? という疑問形によっていっそう確実に把握される。


凡庸な一生活者の通俗的であるかもしれない情動や傾向の諸相が、ほとんどすべてを網羅しているのではと思わせるほど書かれ、ある種の保守的な態度や平穏な安息を求める平凡さを形づくっている。しかしそれらの文言は、当たり前すぎて忘れがちなものごとを基礎づけ(「人の行動は意図で判断される」など)、半端な革命や急進性を無効にする明察を導く。


またこの本は自己を見つめ、自己を語ることである種の普遍性を語りうる、という今でも多くの人をひきつけるタイプの思考・表現形式を確立したところが古典として残る由縁だと思う。


私の考え方は自然的である。私はこれをつくるのに、いかなる学説の助けも求めなかった。けれども、私の考え方はきわめて無力なものであるが、私がこれを話して聞かせたいと思ったとき、そして、これをいくぶんでも整った形で人前に出すために考察と実例でこれを支えなければならなくなったとき、私は、偶然にも、これがあれほど多くの哲学的な実例や考察と合致しているのを見いだして、われながら驚いた。私の生活がいかなる範疇に属するかということを、私は、私の生活がすでになしとげられ、使いふるされるまで、知らなかったのだ。
 新しい型だ。予期せずに、偶然に生じた哲学者だ!

<ほとんど誰でも、私のように、自己をみつめるならば、自己について同じことを言うであろう。説教者は、話しているうちに自分の胸に生じてくる感動が、ますます確信へ向かって自分を元気づけてくれることを知っている。また、怒っているときには、われわれが冷静な分別を保っているときよりも、自分の主張を擁護するのにいっそう懸命になり、いっそう熱烈な確信をもって、自分の主張を心に刻みそれを抱擁するものである。


その他にも自国と違う共同体や国の諸相が多く述べられていたり(人食い人種や、女性だけの共同体など)、性愛・恋愛の様々な傾向性が記述されていたり、為政者や軍人の戦争中のふるまいや戦術の帰結、為政のさまざまなあり方と教訓などが全篇くり返し多くの紙幅をとって考察されていたり、ある宗教者の擁護を文庫本一冊分くらいくりひろげたりと、内容はきわめて豊富であり、それらが上記の目線の低さと、しかしやはりモンテーニュ自身の地味なようでやはりすごい明察によって非常に実感にも即した人生の大半を記述しているかのような書物になっている。