大西巨人中期作品について


一 目的―同時代の思潮と形式で寄り添い、主題で対立する構造

 大西巨人は自作について、前期・中期・晩期と区分けしている 。そこで大西巨人は代表作であり、二十年以上の年月をかけて書きつづけられた長編『神聖喜劇』をもって前期の終りと規定している。
この作品の最終巻が単行本で発表されたのが一九八〇年四月であり、その年大西巨人は六十一歳になる事を考えると、この区分は一般的な前期・中期・後期という概念とは違う尺度で測られているようだ。ただしそれは作者の主観的な分け方といいきれるわけではない。自らの作品においても他の読者と対等な立場の一人の批評家として接する作者が、質的な差異があると判断した上での分け方としてその区分は提出されていると思われる。この論考でも後に述べる理由から、作者の区分を踏襲し、その中期に公刊された小説作品―『天路の奈落』『地獄変相奏鳴曲』『三位一体の神話』『五里霧』『迷宮』『深淵』―を対象にする 。それらの作品に共通する特質を、それが公刊された一九八四年から二〇〇四年辺りの同時代の気質や文学界・文学観の変化を参照しながら明らかにすることが本稿の目的である。

 本稿で分析される事柄や結論の要旨を以下に書く。

二ではこの論文の分析の前提となる、作品が公刊された同時代の気質や、その時代の文学観の変容を社会学や文学理論などを援用して考える。同時代の気質においては「解離的」「非主体的」などが特徴的であり、文学観においては「反映論の批判」「言語が過剰に意味すること」「主題の重要性の希薄化」などが問題になる。それらを分析の前提として概観し、同時に過去の研究史についても概観する。
中期作品が公刊された一九八〇年代半ばから二〇〇〇年代半ばまでの社会の中の気質については、宮台真司東浩紀が示唆的な分析をしている。
宮台は日本の気質の変化を「成熟社会」というキーワードで述べている 。近代の過渡期には全員一致で明るい未来があると努力して一方向に目指す動機づけが必要とされるが、工業化などがある程度達成されれば、社会は成熟し、一つの目的に動員されることはなくなり、多様性が生まれる。その中で団塊の世代や左翼や教師など安易に全体性を志向する者は時代に取り残され、全体性や確固とした自我や目的をもたない「まったり」した若者の生き方こそ成熟社会にふさわしいとされる。
また東浩紀はその宮台の考えを受けて「動物化」という概念で時代の気質を分析する 。オタクを対象に東は、ポストモダンに生きる若者達を「解離的」という言葉であらわす。かつて一つの作品からマルクス主義や、近代的自我などの大きな世界観を読み込んでいた近代的な受容から、ほとんど動物的な身体反応(「泣ける」「笑える」)でのみ反応し、それらを大きな世界観には結び付けないような主体のあり方を「動物的」「解離的」と呼んでいる。

これらの分析で共通するのは確固とした自我や世界観をもたず、「解離的」、つまりその場その場で適当な主体を演じつつどれか一つに深入りはしないという気質が、ポストモダンや後期近代と言われる時代を特徴づけるものだということだ。この気質に「非社会的」「無感覚的」「無思想的」などの形容詞をつけてもさほど無理は無いだろう。
これらの気質が、大西巨人の中期作品が公刊された時代の風潮である。

次にこの時代の文学観の変化を見ておく。
松浦寿輝は一九六〇年に世界的に大きなパラダイム・チェンジがあったといい、その核心は「反映論」への批判だったと言う 。松浦は『新しい文学研究のために』と名付けられた座談会でこう述べている。

 最初に申し上げた一九六〇年代のパラダイム・チェンジというのは、ひとことでいうと「反映論」への批判だったと思うんです。ある作品が存在するとして、これは作者の実人生のこういう出来事の反映である、その作者を取り巻いていたこうした現実の反映であるというかたちでの作品のアプローチがそれまで主流だったんですね。

そこで「反映論」への批判として生まれてきたのが、テクスト分析やカルチュラルスタディーズやジェンダー分析などになる。これらは、言語が何かを表すための器としてだけでなく、それ自体過剰な意味をもち、またその言語の配置によって現実の感じ方(現実だとその言語を共有する者達が思っているもの)を作り出してしまうという意味で、言語=世界であるという「言語論的転回」をふまえた上でなされている。そして、大西巨人はむしろ「言語論的転回」以後をふまえた批評家によって再評価された作家である。その態度は単純化すれば何が書かれているかという主題・内容のみならず、どのように書かれているかの形式的な分析を重要視する。そのような文学観をずっと先取りしながら大西巨人作品は書かれていたが、中期作品ではそれらの文学観と向かい合って書かれた形式性も存在する。そのため、本稿でも作品を主題的、形式的と、主題・形式の相互作用と便宜的に分けて考える。
以上が、本稿で考察する上での前提となる背景である。

三では主に主題・内容的な側面から大西巨人の中期作品に共通する性質を分析する。中期作品の大まかな特色を挙げていくと、ほとんどの作が、初期作品とは対照的に戦後を主な舞台としている。また主題的には、戦後のはぐくんだ精神性・気質(歴史の無知や規範意識の消失など)を直接間接に書きつつ、それに過去の記憶、歴史の出来事を「歴史の偽造」にならぬよう厳格に調べ浮き上がらせてぶつけ、現代的な風潮にまっこうから抗う主体を書くというモチーフが、多くの作に共通している。そこでいう「主体」とは、自ら考え社会の不正や堕落した精神性に立ち向かい、自立した他の主体とのネットワークを作りつつ、法定闘争によって改善していこうとする社会意識と法的思考をもつ主体である。それがそれぞれの作品中の時代や公刊された同時代において成立しにくい主体であることはいうまでもない。

四、五では主に形式的な側面から大西巨人中期作品を分析する。

四では中期作品の引用形式を扱う。大西巨人の作品全般における形式的な特徴として有名なのは『神聖喜劇』等でも名高かった引用の形式が第一に挙げられるだろう。大西巨人の小説作品における引用の機能の特徴の一つは、主人公あるいは登場人物が、自分の現実の局面を考える際に、過去に読んだ書物・発言等を正確に引用した上で、自分の現実をその引用を使って解釈し現実の自分の行動を決めていくという在り方である。これを広義の「読書行為」とここでは呼びたい。その「読書行為」を登場人物に小説内で引用を想起させ解釈させることで「読者」の実演モデルの一つとして作品に組み込み、登場人物という一人の「読者」が現実のさまざまな困難に対して過去に読んだ書物や発言を想起し、それをもとに現実を解釈することで行動を決めていくという「読者」のドキュメントとしてもその作品を読めるようにしていることが、大西巨人作品の引用形式の機能の一つである。

そしてその「読者」の成長プロセスとは、前述の現代に成立しにくい自立主体を生成するプロセスである。ここで中期の特徴を述べたい。ある引用に対して主に主人公や登場人物一人が想起し解釈することが多かった初期作品に対して、中期作品ではある引用されたテクストに対して複数の登場人物が、その引用をもとに考え解釈し、互いの解釈のずれを議論する対話が生まれることが挙げられる。それは内容・主題的にも初期よりも強くモチーフとして出されている「自立主体のネットワーク」と見合った、「自立主体の生成プロセス」のみならず「自立主体のネットワークの生成プロセス」としても読めるように作品が作られているということである。中期の長編小説に導入されている推理小説的構成も、この点から見れば、ある謎を残されたテクストから複数の人物が読み解き、解明しようとするという意味で複数の「読者」の対話をうながす構成になっていると言える。

五では中期作品のもう一つの大きな形式的特徴である寓話性とリアリズムの混合を扱う。主人公が二度の記憶喪失のせいと思われる失踪をする『深淵』に顕著なように、部分部分の記述は徹底してリアリズム的に書かれているにもかかわらず、それが全体としては現実にありえない、どこか寓話的な感触をもっているのが中期のいくつかの作品に見られる特性である。また、とりたてて寓話仕立てにはなっていないものの、前述の同時代の気質を描いた上でそれとまっこうから対立する主体を共存させるという内容自体で、いわゆるリアリズムというよりは思考実験的なリアリズム的な世界から離れたものになっているともいえる。また引用、読者の組み込み、複数の読者の対話という形式的特性自体も、リアリズム的な世界を書くための手法から著しく離れているため、ここでもリアリズム的な世界は異化されている。この内容・形式それぞれの面における非現実性・超現実性を、統一するために必要とされたのが、推理小説仕立ての構成や、寓話性の導入だったと思われる。主題における思考実験的な反時代的主体の導入が、リアリズム的に書くほど、ある寓話性をひきよせてしまう構造と、形式における読者の組み込みという引用形式が、多声的なテクストの共存と、推理小説的な構成をひきよせる構造、この二つが、中期作品の寓話性とリアリズムの混交を形作るものになる。ただし、それは様々な人格や言葉が乱立し、それが統一されずそれぞれ自律的に動いてしまうという点で、同時代の気質に特徴的な「解離的」志向と作品の構造自体で似たものになっていることを指摘しなければならない。逆説的だが、大西巨人の中期作品は反時代的な主体を導入し、局所では厳密なリアリズム的記述をすることで、全体の作品としては分裂した構造を持ち、その構造が現代の気質とその構造において不思議な相似関係をもつのである。単純化していえば、「主題においては反時代的に、形式においては同時代によりそった構造」をもつのが大西巨人の中期作品になる。

主題と形式を分け、それぞれの特質を分析し前述の結論を得た。そこで六・七において主題と形式の相互作用によって作品がどのような機能をもつかを検討する。

六では大西巨人作品の厳格主義的啓蒙性について考察する。大西巨人作品はしばしば「難解」といわれながら、実は予備知識をなるべく必要としない初歩的な知識からきちんと伝える啓蒙的な記述で貫かれている。むしろその啓蒙的記述において、わずかなミスも適当な記述も決してしてはならないという姿勢でいることが、「難解」や「厳格主義者」や「男性的論理性」という評価をもたらしていると思われる。大西は自らの文学の目指すところについて、「『人民のための文学』と『反俗の精神』とが同義語である場所」と書いている 。ここでいわれる「人民のための文学」という側面が、予備知識をなるべく前提としない啓蒙的な書き方になり、「反俗の精神」という側面が、安易なイメージや俗情に訴える情緒的な書き方を許さない「厳格主義的」な論理性につながってくる。

予備知識をなるべく前提とせず、きちんと読めば主題・形式等がわかるようになっている、その意味では大西巨人の作品は、中期作品の公刊された同時代における若い読者―解離的、無思想的、相対主義的、アパシー的、脱社会的風潮とされるーに背を向けずに向き合い、それらの人が読みうるように作られてものだともいえる。しかし同時にその啓蒙的な書き方を貫く姿勢、すなわちわずかな間違いでも「歴史の偽造」という最悪の罪を犯してしまうことであるという姿勢を示す記述に、同時代の風潮を体現した読者はとまどい、苦痛をおぼえるほかない。研究史における大西巨人への批判の多くが、この「厳格主義的」な記述に対して、俗情をとらえていない、読者が共感できないという形の批判であったことがそのことをよく示している 。

よく読む、正確に書くということが生半可ではない要求水準の高さとして存在し、それにのっとって書かれる大西作品は、読者に対して以下のような作用をする可能性がある。
大西作品を愛読し、その作品世界や、中の個々の主張に共感すればするほど、ほんのささいに見えるレベルにおいての「歴史の偽造」すら厳しく戒め、決してそういう犯罪をおかさぬように自分を律して、あらゆる局面で徹底的に歴史を学んでいかねばならぬという、作品からにじみでる姿勢を読者が自分のものとしなければならないというメッセージとして受け取る可能性だ。  
その読者を同時代の若い読者とするならば、二での分析のように大西作品に貫かれた主体的姿勢とはまるで反対の気質をもつ者たちである若い読者は「根本的な態度変更要求」をその作品の主張や内容ではなく、その記述される姿勢それ自体から感じることになる。その「根本的な態度変更要求」は、もちろん、大西作品の多くの登場人物の思想信条である「マルクス主義」などのイデオロギーにも関わってくる。しかしその「態度変更要求」は洗脳やアジテーションではなく、あくまで読者が自発的に作品を読み、それに共感するほど、その作品を貫く厳格主義的姿勢に自分の「根本的な態度変更要求」を読み取ってしまう、という形でなされる。
実際、作品中には特定のイデオロギーを読者に直接すすめたり、ことさらにあるイデオロギーを美化したりはしていない。ただこういう思想信条の者たちがいて、こういう行動をとったという過程が厳密に書かれているだけだ。しかし、その過程を書く姿勢自体に、思想の自由と批判精神を奨励した上で決して相対主義ニヒリズムにおちこまず、現実社会へのコミットを意志する主体であることが刻印されている。というよりそうした姿勢で書いていることをはっきり読者に示すように書かれている。
自発的に作品を読み共感し、そのような「主体化せよ」というメッセージを受け取る読者がどれだけいるかは別にして(その事は八で扱う)、戦後から現代を舞台に、随所に現代的な気質を書き込みながら、それと真逆の強い主体性をもった人物を配し、厳格主義的な姿勢で記述された作品は読者に対してある「根本的な態度変更要求」を持つ。それが大西のいう「『人民のための文学』と『反俗の精神』とが同義語である場所」としての文学であり、その文学のもつ「有意義な」読者への作用となるわけだ。

七では六をふまえた上で中期作品の特徴である複数の「読者」の対話を組み込んだ作品がどのように読者に対して作用するかを考える。現代の読者に対して主体化・根本的態度変更のメッセージを自発的に気づかせる、そのことが大西の中期作品の主題・形式の相互作用によってうまれる一つの効果であることは述べた。もちろんそれは直接的な洗脳やアジテーションではない。読者の自発的な作品をよく読む、その作品に共感するという能動的動作がなければ、そのようなメッセージはあらわれないのだから。

だがもしその主題・形式の相互作用によって生まれるメッセージに気づき、感化されたならば、大西巨人の中期作品はまた別の顔を見せることになる。そしてその別の顔も、主題と形式の相互作用において生まれてくる。
それは「広義の読書」を通じた「自立した主体」が、同じ「自立した主体」とのネットワークをどう作り、そこでどのようなコミュニケーションや行動をとっていくかの、実践指南のドキュメントという顔である。複数の「読者」の形式的組み込みによる対話性は、いくつかの研究にあるように作品をその主題とまったく違う形に読み替えることのできる言葉の過剰性をもつのと同時に 、「根本的な態度変更」を受け入れた現実の読者にとっては、その上でどう主体的に考え、ネットワークを作っていくかの実践指南書としての役割もこの作品達はもつのである。

これまでの分析から明らかになった大西巨人の中期作品の特質をまとめて述べると、それは反時代的であるが、形式においてはむしろ「解離的」「多声的」「複数的」な点で、時代の気質と相似的であり、主題において時代の気質とまっこうから対立する。そしてその時代によりそったように見える形式の構造自体が、実は主題で強調される「主体」を生み、その主体の実践を導くテキストとなりうる効果を秘めている。それが大西巨人の中期作品に共通する特質であり、時代から浮きつつも向き合った固有のスタイルの作品の在り方なのである。八では、これらを踏まえた上で、以下に述べるような大西巨人「五百年」の射程を述べ、論を締めくくる。

 ただし今までの分析のような特質を大西巨人の中期作品が持っていたとしても現実的な実効性はきわめて低い。その時大西巨人のいう五百年の単位で自分の作品の射程を考え、作るという姿勢の是非が問われてくるだろう。五百年度には人類は今よりもずっと進歩しており、その過程において自分の作品は有益な効果をもつべく遠い先の未来まで射程に含めて書く。その姿勢の上で、作られたことをふまえたとき、これまでの分析の反時代性―悪く言えば非現実性―をよくもわるくも複雑な内実を持つものとしてとらえることができるのではないか。


二 分析の前提―社会の気質と文学観の変化

 大西巨人村上春樹の『羊をめぐる冒険』の書評で 、この作品の中の精神性と、その舞台・発表された時代の特質を「文明の物質的諸分野における『高度の上昇』とその精神的諸側面における『原基への下降』とが、いかにもいよいよ『現代』を特徴づける。」と分析した。その認識は、大西巨人の中期作品におけるむかいあうべき時代や現実の気質においても同様であると考えられる。そこで大西が考えた時代の風潮がどのようなものであるかを、様々なアプローチからの分析を通じて概観してみたい。

 大西巨人の中期作品が公刊された一九八〇年代半ばから二〇〇〇年代半ばは、ポストモダン・後期近代などの名称で呼ばれる時代になる。この時代の気質は数多くの論者によって分析されているが、ここでは三人の論者による分析を参照することで、この時代の大まかな気質をとらえたい。

 浅田彰は『構造と力』、『逃走論』において、八十年代のニューアカデミズムと呼ばれるブームの火付け役となった 。またその著書の中のキーワードは、そのまま同時代を意味付ける解読格子として一般化した。そこで浅田が同時代―ポストモダンを意味付けるキーワードとして挙げたのが「パラノ/スキゾ」の二分法である。「パラノ」とはパラノイアの略称で、堅実に学び、安定した職場に就職し、家族を持ち財産を蓄えるような生き方を一つの典型とする「積分的=蓄積的?」な生き方であり、「スキゾ」とはスキゾイドの略称で、様々な人の生を一つの方向と価値観に収束させようとするイデオロギーをかわして、その場その場で適当に生活スタイルを選んでは変えつつ「逃走」しつづけるような主体を指す。浅田はこのような終わりなき「逃走」を続ける「スキゾ」的な生き方をこれからの時代に望ましい生き方として提出した。
このような「スキゾ」的主体のあり方は、経済的にバブルといわれ、マルクス主義などの巨大なイデオロギーがほぼ失墜し、パロディと空虚な放蕩が主にサブカルチャー分野で盛り上がりはじめた時期に主にサブカルチャーの分野で熱狂的支持を受けた。それは「ニュー・アカデミズム・ブーム」という形で八十年代に一世を風靡し、衰退した。

 浅田彰の分析が特に八十年代に強く機能していたものだとすれば、九十年代に大きな影響力をもって受容されたのが宮台真司の考察だろう。宮台真司はその著書のほとんどで、「成熟社会」というキーワードを使って当時の社会の変化を意味付けている 。近代の始めには全員一致で目指す経済的目標があり、社会の諸個人の志向やイデオロギーの統一が比較的成し易かった。しかし工業化などがある程度達成され、経済的余裕が生まれれば諸個人の生活スタイルや価値観は多様化し、かつてのような多くの人に共有されていた価値観、常識は不透明になっていく。このような後期近代の特徴を宮台は「成熟社会」と呼び、そこではあるイデオロギーの元に大衆を動員し、革命や大きな変化をおこそうとする集団を時代遅れであり、危険なものとして退ける(その代表例として宮台はオウム真理教を分析した)。代わりに大きなイデオロギーや信仰をもたず、高度経済成長期の有名大学入学から有名会社就職へのレールを行くことに価値を見出すようなものもつまらないと笑い、気ままかつ建設的な将来設計などを行わないで今ここの楽しさ(「強度」)に生きるスタイルを「まったり革命」と呼んで称揚した(その社会の変化に対応した「まったり」した主体の代表例として「コギャル」と呼ばれた女子高生等を宮台は分析している)。

 浅田彰の分析はサブカルチャーの領域で最も受容され、宮台真司の考えはストリートカルチャーと呼ばれるものを支える人達(コギャル・チーマー・テレクラ等)を知的に分析しようとする層に受容された。その二人と密接な関わりを持ち、九十年代から現在にいたる時代の気質をまた違う面から分析したのが東浩紀である。
 東は『動物化するポストモダン』において、宮台における「コギャル」と並行する存在として「オタク」を対象とする 。そこでオタクの二次創作(同人作品やコスプレ)に注目し、その志向を「データベース的」世界観だという。すでに消費しつくされた神話や物語をパロディのような批評的意識もなく、ただ自分の「泣ける」「笑える」「萌える」といった身体反応を喚起するために「データベース」から選んで消費する。それにふさわしくオタクが作り出し、オタクが支持する作品は物語のレベルにおいても「神話」「伝奇」「純愛」「学園物」などの記号のイメージに忠実に書かれ、細分化されている。また視覚的にも「制服」「居候」「姉」「不治の病」などの記号の組み合わせによってキャラクターや容姿が造形され、その部分部分の「データベース」的に共有された特徴に「萌える」ことでオタクは作品を消費するというわけだ。
 東はそのような批評的シニカルさを欠いたパロディの氾濫と、それを身体反応的に消費しつくそうとする身振りを「動物的」「動物化」という言葉でとらえる。そのような「動物化」の傾向は、実はオタクのみならず、宮台の分析していた「コギャル」などにも当てはまり、浅田彰がブームを代表していたような八十年代ニューアカデミズムブームのような批評的パロディの時代がもっと進み、ポストモダンが進んだ結果、批評性を欠いたパロディを、自分が身体反応的に快楽を得られる要素をデータベースから選んで消費するというスタイルまで行き着いたのだ、というのが東の論である。

 この浅田彰宮台真司東浩紀、の三者はそれぞれ経済学者(ではあるが実質は思想家と両立した編集者)、社会学者、哲学者と違う領域の思想家でありながら、同時代の知的関心を持つ若者・若手知識人への影響力という点でそれぞれ代表的な論者であり、様々な領域の知のパラダイムもこれらの考え方におおむね沿って動いているといっても言い過ぎではないだろう。
ポストモダン、あるいは後期近代などと呼ばれる時代は個々の分析の違いを越えて「大きな物語イデオロギー)が失効し信じられなくなった時代」であり、それによって「一生をある価値観に沿って努力を蓄積し完成していく」ような生き方を嘲笑・否定し、「その場の気分・快楽にまかせて様々な生活スタイルを演じて今ここの強度に生きる」という生き方を肯定的にとらえる、という点で共通している。

 八十年代から現代にいたる時代の気質を三人の論者に代表させて概観してきた。そこで冒頭の大西の言葉に戻ろう。「文明の物質的諸分野における『高度の上昇』とその精神的諸側面における『原基への下降』とが、いかにもいよいよ『現代』を特徴づける。」という言葉で大西は現代の気質をとらえていた。「原基」という概念は、フロイトの言うところの、快感原則に従えば寝転んでいる状態、すなわち石のように死に近い無機物であるような状態を求めるという考え方に近いと思われる。つまりそこでは非能動的・非意志的・非人間的という含意がある。それが「文明の物質的諸分野における『高度の上昇』」、例えば近代の工業化の達成やコンビニエントな環境の整備、ネットワーク環境の充実などによってもたらされる豊かさによっていわば生かされている状態、それを大西巨人は先の言葉で言ったのであろう。
この大西の認識と先の三人の認識が、ある共通性をもっていることは見やすい。それは「原基」という言葉が精神分析学との隣接性を感じさせるように、「パラノ/スキゾ」という言葉や「動物化」を特徴付ける「解離的」という言葉が精神分析学と強い関係をもっているという点でも言える。またこれらの考え方で共通しているのは、確乎とした自我をもち、強い一貫性のある信念をもった人間主体のようなものが現代においてはほとんど不可能であり、「文明の物質的諸分野における『高度の上昇』」による環境の豊かさが、そのような意志や信念、努力と結びついた主体から、コンビニエントな環境に生かされながら「まったり」的に「動物」的に、その場の快楽にしたがって生きる在り方が主流になってきているという認識である。これは別の言い方をすれば確固としたアイデンティティをもたない主体、あるいは解離的にいくつものキャラクターを演じる主体性とも言える。
このような特徴を持つのが、大西巨人の中期作品が公刊された時代の気質である。

次にこの時代の文学観の変化についてある視点から考察する。
松浦寿輝は「新しい文学研究のために」と題された座談会において、六十年代に文学観に大きな変化があったと述べる 。

  最初に申し上げた一九六〇年代のパラダイム・チェンジというのは、ひとことでいうと「反映論」への批判だったと思うんです。ある作品が存在するとして、これは作者の実人生のこういう出来事の反映である、その作者を取り巻いていたこうした現実の反映であるというかたちでの作品のアプローチがそれまで主流だったんですね。

 そこで「反映論」への批判として生まれてきたのが、テクスト分析やカルチュラルスタディーズやジェンダー分析などになる。これらは、言語を何かを表すための器としてだけでなく、それ自体過剰な意味をもち、またその言語の配置によって現実の感じ方(現実だとその言語を共有する者達が思っているもの)を作り出してしまうという意味で、言語=世界であるという「言語論的転回」をふまえた上でなされている。

 これをふまえた上で、六十年代よりはるかに前に作品を発表し続けていた大西巨人は、言語論的転回をふまえた批評家―柄谷行人などーによって再評価され評価がかたまった作家である。つまり前述のような理論の流行や概念とは直接関係なく、作品自体が前述の文学観を先取りしたスタイルで作品が書かれていたということだ。それらの再評価は前期の作品『神聖喜劇』をもっぱら対象にしたものだが、中期の作品は前期から変わらぬ言語の過剰な行使が引き続けられつつ、現代の文学観とも向き合った形でかかれている。そのことをここでは指摘するにとどめ具体的分析は後の章で行う。

 最後に中期作品の研究史において概観する。
大西巨人の中期の作品についての学術論文はきわめて少ない。ほとんどが文芸雑誌の評論や、合評・大西との対談などが主になる。そこで有力な考え方は精神分析学的なアプローチで論じるものである。
斉藤環の「外傷性の倫理」 や石橋正孝の「鏡の国の永劫回帰」 などがそれらの論考になる。斉藤環は「『真実』とは外傷的なものではないか」と問い、大西の厳格性、『普遍性』を求める意志を、何かの外傷によっておこる症状として見る。そこで「歴史偽造の罪」に過敏に反応する点に注目し、その歴史の偽造をおこしてしまうもの「俗情」「記憶喪失」「性」などが大西にとって特別な強迫観念になっていると論じる。これは中期の大西巨人の作品における記憶喪失や痴呆症の問題や、性の描写の特異性を考える上で大きな示唆を与える。石橋は『深淵』を対象にその「合わせ鏡のように照応し合う要素間の対照性に基づく露骨なまでに徹底した形式性」を指摘する。これを援用した絓秀美の説明を借りれば「作家としてのデビュー作『精神の氷点』以来、一貫してその主要な舞台を「鏡山」(福岡と想定しうる)と呼ばれる場所に設定していること」「『鏡』山を境にして東側は概して現実的な地名で記され、西側(現実には九州地方)は『想像的』な地名で記される」という奇妙にして統一された設定の指摘は、精神分析ラカンの思想において「鏡」という概念がきわめて重要だったことを想起したとき、大西巨人作品と精神分析学の共鳴性を印象付ける。
また文芸雑誌の合評において、後に多言語ジャンルの混在という点で高く評価される大西作品の形式性についてまさにその多言語性にとまどい率直な違和感を表明しているのが「第百四回創作合評」における立松和平の発言で 、中期大西巨人作品を否定的に論じる者は、多くがこの大西作品の形式性にアクチュアリティ(時代の反映性)がないとし、そこで読み取れるイデオロギーをもはや時代遅れとして否定するパターンに陥っている。
もう一つが絓秀実が強調する小説的な言語の過剰さが作品を統一づけるように見える「ラディカルなリベラリズム」や「思想内容」を食い破り、錯乱させてしまう「政治の美学(芸術)化」に対して「芸術の政治化」を成している作家だとする評価である 。つまり「思想内容」を芸術化=美学化してある考えを浸透させようとする「政治の美学化」に、自らもそれと近づきつつも芸術として完成されることを言語の過剰さによって分解し錯乱させる「芸術の政治化」を行っているということだ。

以上が分析の前提となる、時代の気質、文学観の変化、研究史の概観である。


三 主題の分析―自立主体のネットワーク

 大西巨人中期作品に共通する主題についてこの章では分析したい。まず中期作品において同時代の文学作品の傾向とまったく違う特色をもつのが、確固としたイデオロギーを持ち、自立した上で社会にコミットしていく強い一貫性をもった「主体」が書かれていることである。
 まず自立をしている主人公とおぼしき登場人物が、それぞれの立場もありながら、常に社会正義を求め、そのために自分にできることをためらわず行動し、またその行動の過程において文化や学術から学ぶことを怠らない。つまり、社会から脱落したり、退廃的になったり、自分の内面の悩みに動きをとれなくなったり、シニカルに世を冷笑して生きるようなことがない。大西は前期の『精神の氷点』においては主人公水村をニヒリズムから姦淫と殺人まで行う悪徳の人物として造形していた。また中期にも作品中には『天路の奈落』における明石や『三位一体の神話』における葦阿のようなシニカルな悪徳の持ち主や、嫉妬深さから殺人にいたる存在が書かれている。しかし代表作『神聖喜劇』においても主人公東堂のニヒリズムからの脱却が主要主題の一つだったことを考えれば、中期作品における主人公のニヒリズムや退廃的であったり享楽的であったりすることのない強固な自我と信念と行動力を持つ主体性の造形は特筆に値する。特に中期作品公刊の同時代の風潮が、二章で見たようにむしろシニカルで享楽的で、非統一的な自我のあり方なのを考えれば、このような確固としたアイデンティティを持った主人公の造形は、反時代的・あるいは反動的なまでに時代の気質と対立している。

もう一つ中期作品、特に『三位一体の神話』以降の中期の後期作品に共通した特徴として目立つのが、ある前述の主人公のような主体の、リーダー的存在をもつ非組織的だが少人数のコミュニティのようなものが作られている主体のネットワークが書かれていることである。リーダー的存在とは、どこか大西巨人その人と重ねられるような人物として造形され、実際その登場人物が書いたとされるエッセイなどには大西巨人が批評やエッセイとして発表された文章がしばしば使われている。
三位一体の神話』における尾瀬路迂(小説家)、『迷宮』における皆木旅人(作家から英語教師へ)、『五里霧』における尾藤民人、『二十一世紀前夜祭』における真田修冊(小説家)、『深淵』における大庭宗昔(元大学教授、小説家)、丹生持節(元大学教授)がそのようなリーダーに当たる。このリーダーを中心に、まずリーダーの家族・親戚におけるコミュニティ、次に仕事仲間・友人におけるコミュニティにおいて、作中では特徴的なコミュニケーションが交わされている。
 例を挙げる。『迷宮』において皆木旅人は、友人である春田修三の息子大三に「離婚の自由」について基本的にいいことだが、それは「『離婚』の奨励だの賛美だのでは断じてない」と述べ、森鷗外の「釦鈕」という詩をすべて引用してその中の「はたとせの〔二十年〕 身のうきしずみ/よろこびも かなしびも知る/袖のぼたんよ/かたはとなりぬ」という一節を袖のぼたんを夫婦の比喩として読み、安易な離婚をいましめる。その後旅人は妻の路江と次のような会話を交わす。

  旅人が「いまね、鷗外の―。」と言いかけたら、路江は、聞こえていましたよ。また、『釦鈕』のことですね。」と笑って言って、大三にむかって「離婚についてのそういう考えは、一般論として、もとから私も聞かせられていましたが、とりわけ結婚十何年とか何十年とかの人が離婚問題について相談的に打ち明けると、皆木は、とかく『釦鈕』の詩を持ち出すのです。でも、長い間の結婚生活を打ち切ろうと決心した人には、また傍の者にはわからぬ・傍からはとやかく言うことのできぬ隠微複雑な事情が、あるのでしょうからねぇ。(中略)」
「そりゃ、そうさ。」西瓜の一切れを中皿に取った旅人が、いささか路江に反駁した、「だから、先方が、こちらの意見を強く要望せねば、私は、何も言わない。君〔路江〕もよく知っているように、相手が、こちらの考えを強く求めても、私は、めったに言わない。やたらな相手には、言わない。長らくの夫婦暮らしを破るというのは、いろいろ複雑微妙ないきさつの果てのことだろうさ。しかし、結局、『はたとせの〔二十年〕 身のうきしずみ/よろこびも かなしびも知る』間柄の二人が、どちらも『かたはとな』るのだからな。極力それは、そうならぬように、そうならぬようにしなければなるまいに。」
「ええ。それは、そうです。」西瓜を「お相伴し」ながら、路江は、さらりと同意した、「ほんとうに、長年の『身のうきしづみ/よろこびも かなしびも知る』はずなのですから、一組のどちらもが、おたがいに、・・・・・・以前いつぞやあなたのおっしゃったとおり、『実感的・体感的に』。」

 
この場面からもこの夫婦が、「離婚の自由」について旅人が単なる雑談ではなく、詩の一節をふまえてまで考えていたことを以前からよく話し合い、お互いの意見を議論し理解しあっていることは読み取れる。また注意したいのは『』の使い方である。この会話内で使われる『』は引用を当然表す。そこで旅人・路江ともに鷗外の詩を引用する。そこでだいたいこういう内容の詩であるとか、詩の中の単語や一言を言って詩をあらわすのではなく、正確にその一節を引用している。だとすれば最後の路江の発言である「以前いつぞや」旅人が言ったという『実感的・体感的に』という言葉も路江の記憶で再構成された発言でも、うろ覚えの発言でもなく、旅人の「以前いつぞや」の発言の正確な引用であるといえるだろう。この現実的に考えれば、表面的にも高度な夫婦の会話は、『』の使い方によってもっと厳密かつ繊細な議論や理解をしあっている家族コミュニティのコミュニケーションを描いているといえる。ここで語られる「離婚」についての考えも含め、またこのような厳密な引用や議論が持続的に長く行われていることが読み取れることも含めて、家族コミュニティにおいて、現実的にはなかなか実現しがたい確固とした主体同士の緊密な議論による結び付きがあることがわかる。
さらに『迷宮』では知世という旅人の姪もこのような会話を交わす場面があり、『深淵』でも大庭一家、丹生一家、それぞれの家族内で前述のような『』を使った相手の発言の正確な引用による厳密なコミュニケーションが交わされている。大西中期作品における「自立主体のネットワーク」という主題は、家族コミュニティにおいてこのような形で書かれている。
 またこのような家族コミュニティとともに、仕事仲間、知人、友人、教え子などで作られるネットワークでも、『』による相手の発言の正確な引用に基づいた厳密かつ、多くの文化教養を共有し解釈しあうことで現実的な問題を解釈・解決するコミュニケーションは全く同じやり方で守られている。しかもそのようなコミュニケーションによって『三位一体の神話』や『迷宮』では、リーダー的存在であった者の変死についての謎をその本人の発言や文章を正確な引用に基づいて複数の知人が議論し解釈しあうことで解明しようとするし、『深淵』では二つの冤罪事件についていかに行動するべきかを同様の会話の中で決定していく。社会的なコミットメント、それも冤罪や、自殺と処理された殺人を明るみに出すような現実に大きな変化をもたらす行動を、厳格かつ教養的かつ、そのような姿勢をもった者同士の会話や議論の中で決めていくという点で、そのようなつながりを「自立主体のネットワーク」と呼ぶことはさほど的をはずしていないと思われる。このようなコミュニティの在り方を大西中期作品の特に中期の中でも後半の作品では繰り返し書かれている。
 
二章での前提と照らし合わせれば、この自立主体のネットワークの在り方は、確固としたアイデンティティイデオロギーの保持、一貫した社会正義や普遍性の追及の意思、厳格な性の道徳の共有などの点で同時代の気質とはまっこうから対立する。大西巨人の中期作品(特に後期)は、その作品に共通するテーマである「自立社会のネットワーク」において、反時代的に同時代の風潮と対立する。


四 形式の分析1―「読者」の形式的組み込み

 ここでは大西巨人中期作品の形式性の分析、その中でも「読者」の形式的組み込みと呼べるような特徴的な形式性について分析する。
 ヴォルフガング・イーザーは、『行為としての読書』において「想定された作者」「想定された読者」という概念を提出した 。本書は目に見えるものや表面的な意味を括弧にくくり、不可視の構造や、色々な意味を生む枠組みを外して純粋にとりだせる要素を見出すという意味で、現象学的に読書行為そのもののメカニズムを分析したものである。イーザーは、実際の読書行為においては書かれたものと読者の間、つまり読者の解釈の中にしか読書行為はないとし、その読書行為を通して意味を見出していく中で意識無意識に関わらず読者は作者を想定する。ただしそれは読者の想定する作者であって実在の作者と重なるわけではない。その意味で読書行為においては「想定された作者」が必要とされる。大橋洋一はその点について『新文学入門』で次のように述べる 。

  文芸批評あるいは解釈で問題になる作者とは、じつはテクストの虚焦点として想定された作者のことであって実作者ではない。この作者は、歴史的存在としての実作者を捨象した観念的存在、アンドロイド的存在である。

同時にその時読書行為における読者もまた実在の読者そのものではない。テクストのみでは読書行為は成り立たず、読者の読むという行為の中にしかないとはいっても、そのテクストの書かれた言語によって、そのテクストを読みうる人を限定する。例えば日本語で書かれていて、また現代日本においては常識的にわかるような事を省略して書かれている場合、そのテクストは日本語を読め、現代の日本の文脈を把握している読者の存在を暗黙に前提している。その意味で読者も実在の読者ではなく、そのテクストを読む読書行為が成り立つためには読者もテクストの随所に書き込まれた「想定された読者」でなければならない。
以上がイーザーの「想定された作者」「想定された読者」概念の概略だが、受容理論の代表ともされるイーザーの読書論の概念は、大西巨人の中期作品と関わらせてみると、中期作品の大きな特徴が浮かび上がってくる。

イーザーのいう「想定された作者」「想定された読者」概念は読書行為一般の理論であり、地域や作品を選ばない(その理論の有効性や整合性は別問題として)。しかし、その概念を通して大西巨人の中期作品を考えると、大西巨人は作中においてそのような「想定された作者」「想定された読者」というものを意識的かつ特異な形で作品中に組み込んでいることがわかる。
 『三位一体の神話』の末尾では次のような記述がある。

月刊文芸雑誌『山』一九八八年十一月号(十月七日発売)
所載・唐陘弘仁筆「文芸時評

  最後に、私は、物在都の作品(『天門』秋号)に触れておく。私が題名を書かずに、ただ「物在都の作品」とまず書くのには、理由がある。十三年前・一九七五年の仲秋に物故した尾瀬路迂の遺作『三位一体の伝説』三百余枚〔四〇〇字詰め原稿用紙〕は、未完結ながら出色の秀作と大方から評価されてきたが、このたび物在都という無名(年齢も性別も何も少なくとも私には不明)の新人が、三百余枚〔同前〕を書き加えて完成した。(中略)
  なお『天門』秋号の「編集後記」によれば、物在都は、「故尾瀬路迂氏と因縁の浅からぬ作者」ということである。その作者名を私はペンネームと信ずるが、もしそうなら、尾瀬が『三位一体の伝説』の主要な作中人物たちの名前をシェークスピアの『オセロー』から取ってパロディー化して用いたようなーたとえば「巨勢朗」が「オセロー」の、「伊亜剛」が「イアーゴー」の、「禾司央」が「伽視オー」の、もじりである、というようなー(後略)

 『三位一体の神話』という作中で、尾瀬路迂という作家の書いていた『三位一体の伝説』という未完の作品を物在都という作家が完成させた作品を、引用のように「文芸時評」(もちろん架空である)を丸ごと引用する形で、批評している所である。それだけで十分複雑だが、先に確認したイーザーの視点から見るとさらに複雑な内実を明らかにする。
ここでこの「文芸時評」を書いている唐陘弘仁は、『三位一体の伝説』の登場人物が、『オセロー』の登場人物の名前のもじりであることを指摘する。しかし絓秀実が指摘するように 、『三位一体の神話』の登場人物も、同じように「尾瀬路迂」→「オセロー」、「葦阿胡右」→「イアーゴ」と『オセロー』の登場人物の名前のもじりだと読めるのである。ならば『三位一体の神話』という作品内の架空作品である『三位一体の伝説』は、少なくともその作品の登場人物の『オセロー』のもじりの点において重なり、共通する点があるといえる。では『三位一体の神話』の作者の大西巨人と『三位一体の伝説』の尾瀬路迂、物在都はどうか。
またそれをイーザーのいう「想定された作者」概念から見たとき、読者が『三位一体の神話』を読むときに「想定された作者」は、作中の『三位一体の伝説』という(『三位一体の神話』と相当重なると想定しうる)作品を書いた作者尾瀬路迂として、作中に組み込まれて読者に提示されるのである。それだけではない。その『三位一体の伝説』の登場人物のもじりを見破る唐陘弘仁とは、『三位一体の神話』における登場人物のもじりを見破れという作中に組み込まれた「想定された読者」の具現化した姿に他ならず、その具現化した「想定された読者」の「文芸時評」が独立とした一遍として引用(しかしこれも架空の、大西巨人によって書かれたものである)され、『三位一体の神話』はこの「文芸時評」によってしめくくられるのである。
 これを辿るだけでも大西巨人の中期作品の異様な形式性が見えてくる。前述したようにイーザーの「想定された作者」「想定された読者」概念は、特に異様な形式性をもった文学作品などには限定されない読書行為一般に当てはまるメカニズムの現象学的考察だった。しかし大西巨人の中期作品では、その「想定された作者」「想定された読者」の機能を実際の登場人物として作品の中に具現化して組み込み、まさに読書行為の実演を作中において行わせるのである。その効果や意味は後の章で分析するが、この形式性が、異様なものであり特徴的であることは確かだろう。

 このような「想定された作者」「想定された読者」の組み込みは他の作品でも(特に『三位一体の神話』以降の作品に顕著に)あらわれる。「想定された作者」については、しばしば言われるように三で分析した「自立主体のネットワーク」のリーダー格の人物が書いたとされるエッセイが大西本人が過去に発表したものそのままであったり一部改変のものだったりすることにあらわれている。また「想定された読者」の組み込みは「想定された作者」以上に特化して書き込まれている。ここでは『迷宮』を例に挙げてみる。

  知世は、旅人から「路上での野犬のような死」についての談話を印象的に聞いた夜のあと、彼女の記憶を辿って旅人(秋野香見)の作物を読み返し、たとえば『尼僧物語』(フレッド・ジンネマン演出、ピーター・フィンチ、オードリー・ヘップバーンら出演)にたいする批評文の左記一節に、いまさらながら深く感動した。

   この作品は一つの破戒・一人の破戒尼の物語りである、と先に私は書いた。しかし、私自身は神を持たぬ人間であるけれども、もし仮りに私がそういう言い方をするならば、これは、一人のキリスト教者の神の前に恥じざる「破戒」であって、彼女の「破戒」を、よし宗門の人々は否認するにしても、神は積極的に是認するのではないか。ロベルト・ロッセリーニ演出『無防備都市』の中で「正義のためにたたかう者を裏切れ、とは、神は言いたまわぬ。」と断言して対独抵抗のコミュニストと協力した・そしてそのためドイツ軍から銃殺された神父を、あたかも私が思い合わせる。
 この最終的に僧衣を脱ぎすてた(いまや三十歳前後の)多少窶れの目立つガブリエル・ヴァン・デル・マル〔オードリー・ヘップバーン演〕が、たとい修道院外の反独抵抗運動において明日の日たちまち路上の無残な死を野犬のように死のうとも、それこそがたいそう有意義な生と死であり得ること・人はそのような際そのように(神の道を、また人間の道を、また祖国とその民族との道を、正しく踏み締めつつ)生きて死ぬべきであることを、私は、固く信ずる。

紛う方なく、そこには「路上での野犬のような死」のことが―そのような「死」の積極的な肯定が―述べられている。しかも、読む者(知世)の心に、筆者旅人の烈々たる「生への意志」が、ひしひしと迫って来る。このような文章の筆者・こういう思想の持ち主が自殺を、とりわけ厭世自殺などを、するはずはない、というのが、知世の信念だった。

 これは、『迷宮』の登場人物である皆木旅人のエッセイとされるものを丸ごと引用した上で、登場人物の知世がそれに共感し、解釈し、それを元に皆木の変死に対する自分の認識と行動を決めていく場面だが、まさに具現化された「想定された作者」のエッセイを、そのエッセイにふさわしく読まれるべき「想定された読者」の具現化である知世が読み取る、という大西巨人中期作品の特徴的な形式性があらわれていると思われる。


五 形式の分析2―寓話性とリアリズム

 『深淵』は石橋正孝や絓秀実のいうように日本の西側と東側でほぼ鏡像的な登場人物・事件がおこる大西本人によれば「おとぎ話」である 。しかも大西はそれに付け加えて「『おとぎ話』というのは、言い換えれば、リアリズム小説ではないということだ。それは、リアリズムを無視しているということじゃない。(中略)部分部分はリアリズムの極致のようなものを目指して書いているところがある。けれども、全体として見ると、『おとぎ話』になっているというのが『深淵』の特徴」という。
 部分部分の厳密な記述とは、辞典の引用や、戯曲形式、単なる発言も、『』によって正確にくりかえし引用されるという多ジャンルの言語の混在がその厳密な記述とリアリズムを形作っているということだろう。そのような部分をもちながら、現実にはほとんど起こりえない事件や偶然が起こることで全体としては「おとぎ話」のような寓話性を持つのが『深淵』の特徴だが、そこで言われる「部分部分」における「リアリズムの極致」と、全体としての「寓話性」は他の大西中期作品を特徴づける要素でもある。多ジャンルの言語の混在による厳密な記述は中期作品以前から大西巨人作品を貫く要素であるし、短編集の『五里霧』『二十一世紀前夜祭』などでは、そのような厳密な記述は貫きながら、「底付き」や「走る男」「待つ男」のような寓話的というほかない短編が書かれている。この大西巨人の部分部分の厳密な「リアリズムの極致」と作者がいうような手法と、しばしばあらわれる寓話的な要素の関係を、ここでは「リアリズムの極致」を目指した手法の方に注目して考察したい。

大西巨人の作品が、部分部分において「リアリズムの極致」を目指した厳密な記述が貫かれ、またそのために辞書・辞典の丸ごとの引用、戯曲形式の導入、短歌・詩の頻繁な引用と、登場人物のお互いの発言までを『』で間違わぬよう引用しつつ議論をさせていく手法などで書かれていることは述べた。しかしそのような要素はたしかに厳密な記述を可能にするが、逆にリアリズムを阻害する一面をもっている。現実をそのまま写し取ったようなリアリティを与える形式がリアリズムだとしたら、多ジャンルの混在、それも辞書の引用や長い戯曲形式はそのようなリアリズム世界をこわしてしまうようなものがある。『天路の奈落』においては後半を大部分を戯曲形式の議論が占めている。それはある前衛党の犯罪(麻薬密売など)とそれが引き起こしたトラブルに関する会議の忠実な再現であり、ある意味で会議の議事録を思わせながら、途中の野次なども詳しく書き込まれている。その場の雰囲気を戯曲形式抜きでは再現できないような形で書かれたといえる。

  ・・・・・・今夜の会議における鮫島の第四回発言、その要所要所が、鏡子の脳裡にだんだん生き生きとよみがえってきた。・・・・・・

 言葉は、ある人々にとっては真実を闡明にするために存在し、ある人々にとっては真実を隠蔽するために存在する。
一現代人『仮面断想』 

  《議場では、鮫島ほか数人が、挙手して発言許可を求めている。》

 前山議長代理(本日の会議における議長団の一人)議長から諸君にお諮りする。おわかりのとおり、会議は、予定閉会時刻を、もう一時間近くも超過しております。議題に関する意見もおおかた出尽くし、討論もほぼ十分に行われたことでもあり、だいたいこのへんで―次ぎの鮫島君の発言くらいを最後にして―論議を締め括りたい、と議長は思うが、諸君はいかが?

《大多数の「異議なし。」もしくは「賛成。」という叫び。》

前山 では、そのように議事を運ぶことにします。〔鮫島を発言者に指名する〕鮫島主悦君。
鮫島 〔起立する。〕議長は、「議題に関する意見もおおかた出尽くし、討論もほぼ十分に行われた。」と言ったが、私はそうは思わない。(中略)

《「そんなことは、いままでの討論の中で十二分に示されたじゃないか。」とか「明石君の筋道が通った説明を、君は、聞かなかったのか」とか「常任地方委の公式見解は、先ほど同志塚本が指摘したとおり、一昨日の『平和の旗』にちゃんと載っとるよ」とかの野次》

 鏡子という登場人物の回想としてこの会議の様子が、戯曲形式で書かれるのだが、その時に冒頭にエピグラフのような一文が存在し、《》で書かれた各自の発言以外の議場での様子や野次の記述においては、リアリズム的にいえばむしろ一つ一つを正確に聞き取れないはずの、同時におこった複数の野次までがきちんと「」で書かれていることなど、厳密な記述であるのと同時に、リアリズム小説的な世界を形作るためには余計であったり、過剰な要素が書き込まれているのがわかる。それだけではなく、回想という形でなされるこの戯曲形式の会議は長く書かれ、しかも何回かに分かれて、間にまた鏡子のその会議に関する考察などが挟まれ、また回想され戯曲形式で会議の様子が書かれる度にエピグラフのようなものが付け加えられるのである。そのような小説内でのみ可能な時間・場面・ジャンルの錯綜は、リアリズム的小説でも使われるとはいえ、引用のように厳密に、またエピグラフのような(戯曲ではよく使われる)ジャンルの特色が出た手法なども書き込まれることで、リアリズム的な世界をある意味で阻害し、現実を写しとったようなリアリズム世界というよりは、小説世界だからこそできる錯綜と多ジャンル混在からくるリアリズムにおさまりきらない世界を描き出してしまっている。

 つまり大西巨人作品における厳密かつ「リアリズムの極致」を目指したような記述自体が、リアリズムを阻害し、ある寓話性や小説的な世界を招きやすいよう書き方がされているということだ。その上で、現実には起こりえないような事件や偶然を配した『深淵』のような「おとぎ話」が可能になっている。それは単に設定による超リアリズム的な世界なのではなく、大西作品に特徴的な厳密な「リアリズムの極致」を目指したような書法によって、準備されている世界なのである。


六 主題・形式の相互作用1―厳格主義的啓蒙の機能

 六と七では今までの主題・形式の分析をふまえて、それらの相互作用から読み取れる大西巨人中期作品の特質を明らかにしていきたい。
 大西巨人のほとんどの作品に貫かれているのは、厳格主義的な啓蒙性である。一般に難解な作家と知られる大西巨人は、実は何かの知識や素養をもっていなければ読めないような自閉的な作品を書くことはない。むしろどのような予備知識も持たない読者でも読みうるように使われる言葉、言及される人物・作品についての基礎知識やそれらに言及することで何を言いたいのかを過剰なまでに書ききろうとする。『迷宮』において皆木旅人が春田大三について「死に方」についての考えを述べるきわめて長い場面を引用する。

「君との間で墓のことなどを話題にするのは、これが初めてだからね。かねてより何度も固く私は、〝私が死んでのち決して墓を建てない〟ように路江にも天志にも言っている。墓のことだけじゃなく、〟私が死んでも、葬儀その他は、いっさい無用。とりあえず、火葬には、しなければなるまいが。〝というのが、二人にたいする私の最終要望だ。『そもそも〝我が墓〟なかるべき人間』というは、そこに由来する。」
「はぁ……?」
「もう十六、七年前に亡くなった八代市川団蔵という歌舞伎俳優のことを、その死に方のことを、君は、知らないか。」
「そうだろうなぁ。ただし、私も、舞台の団蔵については、ほとんど知らなかった。―話は別だが、大三君は、上原専禄について、どのくらい知識・関心があるだろうか。」
「関心は、ひととおりありますが、恥ずかしながら、実際には、あまり知らないのです。著書も、『大学論』とか『世界史における現代のアジア』とか、ほんの二、三冊、それもかいなでにしか、読んでいません。」
「晩年は、世間から隔絶した生活を送っていて、その死も、たしか三、四年後に一般に知られるまで、遺族が、遺言を守って公表しなかった、ということを、僕は、漠然と承知していますが、それも、それだけの皮相な知識に過ぎません。そのことが新聞で報道されたのは、僕は高校二年生になったばかりのころだったでしょう。」
  旅人は、「私も、上原氏の業績について、くわしくは知らない。著書は、いくらか読んで、いろいろ啓蒙されもしたが、またその見方・考え方に不賛成もいろいろある。私が特に関心を持つのは、・・・・・・そうだ、しばらく待ちなさい。」と言って、こんな場合によくそうしたように―おそらくは当面の話題に関係のある書物か何かを取り出すために―書斎のほうへ出て行った。五、六分後、もどって来た旅人は、日日新報社編『現代日本人物事典』〔日日新報社一九八二年刊〕という分厚い書物とニ、三葉の新聞切り抜きとを春田の前の卓上に置いて、「上原専緑については、その事典に大過なく感銘に纏めて記されているようだから、念のため一読したまえ。八代市川団蔵についても、簡略な記述が出ている。記事の切り抜きは、二人がおのおの死が報道された新聞からのだ。そちらも、参考のために、見出しだけでも、見るのだな。もっとも、私が主に関心があるのは、二人それぞれの死に方にたいしてだがね。」と説明した。

   *

  旅人がたぶん意識的な低声で路江と雑談している間に、春田は、事典の二項目および切り抜きの一葉を通読し、切り抜きの残余を飛び飛びに読んだ。
  八代市川団蔵〔一八八二年五月十五日〜一九六六年六月四日〕の項目は、左のように記述されていた。

  歌舞伎俳優。東京都生まれ。本名は市川銀蔵。七代市川団蔵の二男。屋号は三河屋。一八八六年〔明治十九年〕浅草〔東京都台東区〕の中村座で初舞台。市川茂々太郎、四代市川九蔵を経て、一九四三年〔昭和十八年〕歌舞伎座で八代団蔵を襲名。九蔵時代の大正期〔一九一〇年代前半〜一九二〇年代半ば〕には小芝居に出演し、座がしらの役どころを勤めて人気があった。大歌舞伎に出て、中村吉衛門一座に所属して以後は、もっぱら脇の老け役を演じたが、いぶし銀のように地味で実直な芸風と古格伝承の堅実な芸の持ち主として得がたい俳優だった。一九六六年〔昭和四十一年〕四月、劇界を引退ののち、四国八十八ヵ所遍路の旅に出、その帰途に瀬戸内海へ入水。

  また上原専禄〔一八九九年五月二十一日〜一九七五年十月二十八日〕の項目は、左のように記述されていた。

   歴史学者。京都の商家の生まれ。一九二二年〔大正十一年〕東京高商〔のちの東京商大、現一橋大〕卒。一九二三年から一九二六年までウィーンに留学、A・ドープシュ教授についてドイツ中世史を修め、一九二九年〔昭和四年〕東京商大教授。敗戦後の一九四六年から一九四九年まで同大学長。一九六〇年三月、停年前に一橋大教授を辞任。この間、一九五七年、国民教育研究所(日教組創設)の研究委員会議長、国民文化会議の議長などを引き受けたが、安保闘争以後における革新政党労働組合の混迷状態に失望を深め、一九六四年に辞任。以後すべての公職から離れて世界史認識の問題と日蓮の研究とに没頭、夫人の死(一九六六年)の衝撃から発する現代医療の在り方への根底的批判、回向による死者との共闘の訴えなど、緊迫感あふれる発言を続けた。まもなく世間との交際をいっさい断ち、病没の事実も遺言によってしばらく伏せられていた。
   戦前は厳密な史料操作に基づくドイツ中世社会史・経済史の研究に専念したが、戦後は日本再建の課題を世界史の激変動向中に据えて探り、その解決の道を国民大衆自主的世界史像の形成に求めた。〔中略〕上原の世界史理論は、マルクス主義の普遍的発展法則に基づく社会構成論を批判し、複数地域世界それぞれの個性的・主体的展開とその複合的構成の重視ならびに近代主義の伴いがちな西洋中心の克服をめざすものであった。〔後略〕

  切り抜きの一つ(『日日新報』一九六六年六月五日号夕刊)は、(引用者後略)

この後に続けて二つの新聞記事が同じように丸ごとの引用という形で書かれる。これだけの引用、ここで出される固有名詞等をまっ
たく知らない読者でも問題にしない啓蒙的記述が、事典の引用という過剰なまでの詳しさで語られているのがわかる。これだけの引用をふまえていながら、ここで旅人が語ることは、市川団蔵および上原専禄の「両者おのおのの死に方」に対してのみであり、そこから市川団蔵が死後に墓を求めなかったことと、上原専禄の遺族が、専禄の死後数年間もその事実を隠しおおせたことへの共感と自分もそうありたいという希望を語ることだけなのである。これがどれだけ異様なことかは、他にこのような形で書かれる小説がまずないことから明らかだが、しかし読者が予備知識をもっていなくても、たしかに作品の読解、登場人物の思想を理解する上で十分な基礎知識が作品内にほぼ完全に書き込まれていることは間違いないだろう。

 このような過剰なまでの厳格主義的啓蒙性は、大西巨人の作品においてほぼ共通して見られるものだが、このような形式を取ることの意味は何か。それを二で考察した認識を通して考えてみたい。

 二において大西巨人の中期作品が公刊された一九八〇年代から二〇〇四年の時代の気質は、一貫した自我ではなく、分裂・解離した自我であり、確固とした信条・思想をもち、行動を積み重ねていくような生き方を嘲笑し、今ここの強度を求めてその場その場で変化していくような在り方になっていることは述べた。そのような気質は、大西巨人の中期作品にも何度も書かれている。
 『五里霧』所収の「縹富士」で尾藤民人は中学校の学園祭の催しのためのアンケートと称した自らの名前を「臣人」と誤記した手紙を受け取る。

  「尾藤民人」が「尾藤臣人」と(「民」を「臣」と)」誤記せられた郵便物の尾藤に来ることは、ときたまある。もっとも、そういうことは、戦前戦中には、ほとんどなかったのであり、戦後現在に、もっぱら属するのである(ここでは、ダイレクトメール類は、なにしろ論外)。
  (中略)
  ・・・・・・尾藤は、右封書の不行き届き・不都合を簡明穏便に指摘説明した上で、”この手紙(アンケート)は、文化祭のために行われる  
ということであるが、(1)物をたずねる先方の氏名をちゃんと認識して正確に書くこと、(2)差し出し人の氏名をきちんと(紛れないように)明記すること”(3)一般に―こういう物をたずねる手紙の場合はなおさら―文字を丁寧にしたためること、たとえば以上の三項が「文化」のアルファでありオメガである、と私は〔尾藤〕は信ずる。普通こんな手紙には、私は、返事を出さない。しかし、君は、弱年の(前途の長い)人だから、この旨のみを返事する。”という意味のことを記述し、返信用封筒に入れて投函した。・・・・・・
 ……その際、尾藤は、返書(便箋)の宛名を「廣野正冶様」と(「ヒロノ」の「ヒロ」を正字で)書いた。そのほうが礼儀にいっそう適っている、と尾藤は、考えるものの、それは彼自身の好みを出ないものかもしれない、ともまた考える。……

 この返信を出した一週間ばかり後に、もう一度その学生からの返信が来る。ここで一応は反省の弁と再度の依頼がくるが、その手紙の末尾において以下のような文が書かれている。

・・・・・・ところが、結尾に「イタチの最後っ屁」のように「『僕の名前は”広野”であって”廣野”ではない。』と言って広野君が怒っていました。」という文句が、書かれていた。
(中略)

・・・・・・「県」「与」「円」「弥」は「縣」、「與」、「圓」、「彌」の当用漢字字体(新字体)であるが、「円」は「圓」の俗字として戦前にも用いられた。尾藤は、地名(固有名詞)「エン阿弥」について電話で与野市役所広報課に念のため問い合わせ、もともと「エン」が「圓」であったことを、まずたしかめた。さて尾藤は、返信用封筒裏面に、「埼玉縣與野市圓阿弥六−六−五/尾藤民人」と楷書の正字で書き、その封筒に「宮崎敏夫」の手紙(便箋)を入れ、ほかには何も書かずに、投函した。・・・・・・

 相手の名前を誤記し、手紙の形式もわかっていない若年者からのアンケートに尾藤民人は、間違いを正す返信を出す。その叱咤に表向き反省を示した再度のアンケート依頼を出しながら、漢字の新字体をめぐる間違いをそうと気づきもせずに、揚げ足を取るように返す若年の姿がここには書かれている。ここでは、自分が間違っていることすらわからず、また間違いに立脚して何とか相手への意趣返しをしようとする若者の姿が書かれている。注目すべきはここで大西と重ねられる作家が、怒り呆れながらも、二度にわたって(二度目は諦めの入った皮肉なやり方とはいえ)このような「処置なし」といえるような若者への啓蒙をやめずに続けているところである。この場面はおそらく大西中期作品の啓蒙性がもつ、現代の読者への作用の寓話のように読める。それを本当に読む若者がいるかはべつとして、このような知識も教養もなく、しばしばそれに気づいてもいないような読者を相手にしたとき、いかなる予備知識も作家・っ作品は当てにできない。しかし大西巨人作品は、難解とはいえ、それをきちんと読めればその作中にあらわれる様々な教養をかなりの範囲基礎知識から伝えるように作られている。つまり見た目の難解さとは裏腹に、大西作品における厳格主義的啓蒙性は予備知識や共通前提をもたない現代の若者のような読者でも理解しうる―ただしその時にいささかの媚びも内容の高度さに対する妥協もない形で―可能性をもたらしているのである。
 これは大西巨人がしばしば口にするありうべき文学の定義とも一致する。大西は自身が目指すべき文学の定義について「『人民のための文学』と『反俗の精神』とが同義語である場所」と定義している 。この中の『人民の文学』の側面が、予備知識を必要としない啓蒙性に、『反俗の精神』の側面が、にもかかわらず同時代の読者などに媚びたり、内容を薄めたりせず、また安易なイメージや情緒によって対象を正確に理解し書くことを阻害するようなことをしない厳格主義的な記述にあらわれているわけだ。

 大西巨人の中期作品が、今まで考察してきたような形で、特異ではありながら同時代の気質をとらえ、それと向き合ってもいるような主題・形式をもっていることは述べた。そう考えれば、三で分析した「自立主体のネットワーク」というテーマはまさに反時代的なありうべき個人と個人のネットワークの提示という啓蒙性として捉えられるだろうし、四で分析した「想定された読者」の作品への組み込みは、現実の読者に求められる読者としての働きを実演するモデルとして捉えられるだろう。それらの主題・形式の要素は全て厳格な啓蒙性のための働きとして捉えることができる。おそらくこれが大西巨人中期作品を貫く、主題・形式の相互作用によって目指された機能である。

 ただし大西は直接に読者にある考え方を説得(ないしは洗脳)しようとしているわけではない。小説内では確かに強烈な思想や主張が書かれるが、それは作中のそれぞれの登場人物の考えであることが細密に書かれており、基本的には、様々な考え方を持つものが、さまざまに行動した結果、状況がこうなった、という過程が厳密に書かれているだけである。読者はそこから直接には自分に対して「〜あれ」というメッセージは受け取らない。
 しかし仮に読者の大西中期作品を評価し、その中の思想や登場人物の在り方に共感していくならば、その思想や登場人物も共有し、またその作品自体が書かれるときに貫かれている形式的態度―厳格的な正確さと論理性を持とうとする倫理性を感じないではいられない。読者がその作品にのめりこめばこむほど、作品はその主題のみならず、その書かれ方(形式性)において読者に厳格な倫理性を要求してくるのだ。なぜなら作品も作中人物もそのような姿勢なしには生まれないように造形されており、それらに共感し自らも学ぼうとするならば、作品や作中人物に貫かれている厳格な倫理を共有せずには不可能だからである。読者が自発的に作品を読み、それに共感し学ぼうとしたとき、その作品の書かれ方、作中人物の造形のされかた自体に貫かれている厳格な倫理的態度を共有することが求められる。それが大西巨人の中期作品が読者に対してもたらす可能性のある作用である。
その時共有することを求められる厳格的な倫理性とは、二で分析したような同時代の主体とはまっこうから反する括弧とした自我と信念をもちそれに従って行動を積み重ねていく主体であることはいうまでもない。大西巨人の反時代性とはここにある。そしてその現実的な実効性はほとんどないとはいえ、大西中期作品は、不安定かつ複数的な自我の同時代の気質をもつ読者に対しても読みうるように作られたものであるとはいえる。


七 主題・形式の相互作用2―複数の「読者」の対話

 六では大西巨人の中期作品が同時代の気質とまっこうから対立する主体の倫理性を持ち、自発的に共感的にその作品を読む読者に対してはその主体の倫理性を共有せよとその作品の在り方自体で呼びかけてくるという意味で反時代的だと述べた。
 だが大西巨人の中期作品の特質を考える上で反時代性だけに注目することはできない。ある意味で大西巨人の中期作品は同時代の気質ときわめて近い構造を持っているとも言えるからだ。
 大西巨人作品の多ジャンルの文章の混在は有名だが、このような多ジャンル的な作品は、あるジャンルの視点からだけ見れば余計な部分が多く入っている純粋でない作品ということもできる。例えば一元的な視点である人物の内面を描いていくというリアリズム文学の主要な書き方から見れば、作中の物語の流れや登場人物の心の動きを辿る上で邪魔になる事典や引用の多用はリアリズムという方法で純粋に統一された作品からみればまったく混沌として読むに耐えないような錯乱をしているということになるかもしれない。実際大西巨人の作品は、部分部分の詳細な書かれ方や、引用の厳密さによって、全体を貫く物語を辿ることを阻害し、場合によってはその部分が独立して全体の物語とは別個に存在してしまうこともしばしばある。そのような多ジャンル性を内包して書かれた作品と、リアリズム的手法で統一されたような作品を、仮に自我の比喩で表してみれば、前者を複数の自我が混在する主体、後者を強い単一の自我を持つ主体といえるだろう。これはやや唐突な比喩だが、作品の語り手を一つの人格と見なせば、その語り手の語る言語が一つのトーンに統一されている単一ジャンルの形式性によって統御されている作品を単一の強固な自我を持った主体、まったく違う語り口の言葉や違うジャンルの形式性にのっとった言葉が入れ替わり立ち代り語り手の言葉として語られる作品を複数の自我が混在した主体という比喩で考えることはできるのではないかと思う。
 そう考えれば、大西巨人の作品はその多ジャンルが混在し、まったく違う形式性にのっとった言葉が入れ替わり立ち替わり語られる点において、むしろ「分裂的」「解離的」と語られるような形式性を持っている。それを複数の自我の混在した主体という比喩であらわしたのは、そう言うことで大西巨人中期作品の不思議な同時代の気質との構造的類似が見えてくるからである。大西中期作品の公刊された同時代の気質の特徴を言い表す言葉こそ「分裂的」「解離的」「複数の自我の混在した主体」というようなものであった。大西巨人の中期作品は、その主題、あるいはその主題と書かれ方の厳格的な倫理によって読者に作用する可能性のある反時代的メッセージとは裏腹に、その多ジャンル混合的な作品の構造においては同時代の気質とむしろ類似するのである。
 単純化すれば同時代の気質と、形式(構造)において類似し、主題においてまっこうから対立する、それが大西巨人の中期作品の特質である。
 ただし六で考察したようにその形式の類似も、最終的な読者への作用としては、内容における反時代性に見合った厳格的な啓蒙性を機能させるように作られている。その意味で作品の構造に同時代の気質と類似した「分裂的」「解離的」な性質を抱えつつも、最終的には同時代の気質にまっこうから対立し、可能性としてはそのような同時代の主体にすら読みうる厳格的な啓蒙性を備えた作品として大西巨人の中期作品は書かれている。

 最後に大西巨人の中期作品の特質として、四で考察した「想定された読者」を具現化し作品に組み込むという手法が、一人の読者だけではなく複数の読者同士の対話として作られている点を分析したい。
 『三位一体の神話』において父尾瀬路迂の死を自殺とは納得できない娘、咲梨雅(えみりあ)が、作中で独立した一遍として書かれている『尾瀬路迂先生急逝の顛末』を読者として解釈した意見を恋人の枷市和友に話す。

 「父の遺骨を私がまだ手元に置いているのは、一面では、たしかに私の怠慢、ずるずるべったり、踏ん切りのなさのせいですが、他面では、どうしても私が父の死を自殺とは従来信じ得なかった・現在も信じ得ないことのせいです。すでに枷市さんも読んで御存じのとおり、そのことは、その理由とともに、山路宗一さんの『尾瀬道路迂先生急逝の顛末』の中に、かなりくわしく、間違いもほとんどなく、書かれています。」とえみりあは、「その疑問」の説明に取りかかった。
 (中略)
 また、えみりあは、たとえば「遺書」の終わりの「さいわいにも私には、係累(家族)もほとんどない。唯一の係累にとっては、社会的・経済的な自立が、目前の可能でもある。私は、私の自裁が他人に害を及ぼさないことを信ずる。」という表明についても、人々(厚見夫妻や山路母子や警察官たちやそのほか大ぜい)のそれとは別様の見解を抱いてきたことを枷市に告げた。
 (中略)
(たとえばそこに、山路宗一が「遺書」について「尾瀬先生の文体一般に比べて相対的に、必ずしも十分には論理的整合を全うしていな」くて「いくらか舌足らずの尻切れトンボ的である」と感じたことの具体的原因が存在する)、とえみりあは、ここでも考えた。


 この会話の中でも実際に作中に独立した一遍として書かれている記事や遺書の文面が正確に引用され、それに対してえみりあや山路宗一が別々の解釈をそれぞれ読者として下していることが読み取れる。このような一つの作中に書かれた記事・エッセイ・正確に引用された発言を、複数の人物がそれぞれの視点で解釈し議論する場面は大西巨人の中期作品全般においてしばしばあらわれる。それを複数の読者の対話と呼ぶのは、それぞれが解釈を下し議論する元になる文章や発言が、まさに作中に独立の一遍として書かれているものについてだったり、誰からも正確に引用されるという意味でテキスト化した発言についてだったりするからである。しかもこのような作中に書かれたテキストを複数の登場人物が読者として解釈し、議論することで『三位一体の神話』『迷宮』『深淵』では、その作中の変死、冤罪事件、記憶喪失などの重大な問題に対して登場人物がどう行動していくのかの決定をし、結果謎の解明にいたるようになっているのである。
これは三で分析した「自立主体のネットワーク」の具現化であり、それを作中に書かれたテキストを元に議論することで作中の謎を解明していくという点で、読者が、読み解釈することによって現実の自分の問題における対処を決めていくという読書行為の実演であるともいえる。そのような読者の対話は、六の分析にあるような大西中期作品に共感した読者にとっては、自らが厳格な倫理性をもちながら「自立主体のネットワーク」を作っていくうえでの実践指南の実演という意味をも持つだろう。それが、複数の読者の対話を作中に組み込むという大西中期作品の一特質の意義だと思われる。


八 結論―真の反時代性と「五百年」

 大西巨人は自身の作品の射程や、世界の展望についてしばしば「五百年」という単位を口にする。例えば「《面談》大西巨人 新作長編『深淵』をめぐって」ではこう言っている 。

  物事を考えるにはね、五百年ぐらいを一単位として捉える必要がある。私は、五百年ぐらい経てば世の中も少しは増しになるだろうと考えていたが、それも近頃はどうもあやしいような気がしてきた(笑)。まあ、それは別としても、現在の尺度でのみ物事を見ていてはいけないと思う。

 また「座談『言論・表現公表者の責任』」でも「五百年」という単位で次のように述べている 。

  五百年ぐらい経ったら「五」(引用者注、正しい考えを持つ人の十人中の割合。今現在を「一・五」としている。)ぐらいにはなるかも知らんが、まあ、いまの場所で腰を落ち着けてやるということでしょうね。
 (中略)
  コッホだったか、最初、結核菌を体に注射するというんでとても評判が悪かった、痛いんだから(笑)。それで、しかし後になってそれが正しいということが分かる。そういうふうなことを堅持してやることだな。

 これらの発言に見られる認識が、大西巨人が自身の作品を書き発表する上で前提となっている認識であることは間違いないだろう。そこでは、今現在において、あるいは今現在の尺度においてたとえ受け入れられなくても、五百年の尺度で見たとき、正しくまた意義のあるものを書き発表してくべきであり、また発表した作品は五百年の年月に耐えうるように作られるべきだというわけだ。
 大西巨人の中期作品についていくつかの視点から本稿では分析した。形式的に時代の気質と類似し、主題的に時代の気質とまっこうから反し、しかし主題・形式の相互作用によって全体としての読者への作用としては、反時代的な厳格な倫理性の共有を求めるような特質を持っているという結論を得た。またそれを現代の気質を持った若者のような知識・教養・信念などの欠けた者でも読みえるような厳格主義的な啓蒙性と、一度読者が共感し深みにはまれば、望ましき「自立主体のネットワーク」を現実に作り上げるために必要な倫理・教養・姿勢の実践指南としての、「想定された読者」の作中への組み込み、そのような「読者」を複数組み込むことで議論し自分の行動を決めていくネットワークの提示するような形式性を持っているという結論も出した。
 しかしこれらの結論が仮に言えたとしても、同時代においてのアクチュアリティ、実際に作品がそのように機能する可能性はきわめて低い。いかに啓蒙的であっても大西巨人中期作品は難解であり古風であり、リゴリスティックと受け止められ、多数の者が真剣に読むようなことが同時代におこることは難しいと思われる。
 しかし大西巨人は先のような「五百年」の尺度において、同時代にたとえ受け入れられなくとも、五百年の尺度で見たときに、自分の作品と、その中で語られる現代には実現が非常に難しいように思える「自立主体のネットワーク」のようなありうべき個人と社会の在り方のビジョンが、必ず多数に認められ、読まれうる日がくると願い、このような作品を書き続けてきたのだろう。
 その「五百年」という尺度で考えることはあやうい面も持っている。つまり、「五百年」には皆わかるときがくる、ということで現在から逃避しているという可能性もあるからだ。本稿では、大西巨人の中期作品を同時代と向かい合い、類似するところも相反するところもありながら、アクチュアルであるということを明らかにしようとしたが、現実にそのような効果が実現する見込みは薄い。それが明らかになるためには、実際に五百年の時間が過ぎるのを待つほかないが、そのような「五百年」の尺度を持つことによって、大西巨人は、決して同時代から逃げず、むしろまっこうから対立し向き合うような異様な作品を書くことができたのは確かであると思われる。