宮台真司他『バックラッシュ!なぜジェンダーフリーは叩かれたのか』


「この本は、ジェンダーフリー教育や男女共同参画社会へのバッシング、いわゆるバックラッシュを「嗤」いつつ、次なる局面に進むためのサーチライトを掲げるためにつくられた」というまえがきこの本は始まる。


つまり「ジェンダーフリーへのバックラッシュ」言説の論破とそれが生まれる背景の考察と「次なる局面」つまりバックラッシュなどの勢力を退けながら望ましき社会を作っていくために知っておくべき知識・認識の伝達という二つの目的があるということだろう。


そしてこの本は前者のバックラッシュ言説の論破と背景考察を鮮やかに達成しつつ、後者の次につくるべき望ましき社会をつくるための知識・認識の伝達を「ジェンダーフリーへのバックラッシュ」というテーマをはるかに超えるスケールで詰め込まれた過剰な書物となった。


前者では小山エミ荻上チキなどの論考が批判対象であるバックラッシュ言説の生産者である世界日報の記者、林道義自民党安部晋三山谷えり子のプロジェクトチームなどをほとんど完膚なきまでに論破している。また山口智美は「ジェンダーフリー」という言葉が日本で使われるようになった過程でおこった原典の誤読や、過度に心理的なバイアスがかかってきた歴史を見直し、記述する。また鈴木謙介バックラッシュ言説が生まれるまでの社会の変遷の図式はこんなに分りやすくていいのかというくらいクリアで鮮やかだ。


後者は何といっても宮台真司の過剰きわまりないインタビューが白眉だ。宮台は「素朴」な「生活のロジック・等身大のロジック・日常のロジック」と相反する「反生活のロジック・非等身大のロジック・非日常のロジック」で動く統治者=エリートによって社会はデザインされなければならないと説き、エリートに必要な知識・リテラシーを伝えようとする(近刊の本には『エリートのための教養』というタイトルをつけるそうだ)。同時にエリートたりえない「素朴」な大衆の不安につけこんだバックラッシュに対して、それを善導していくケアの必要性も説く。また斉藤環は「バックラッシュ精神分析」というテーマを足台に「精神分析フェミニズム」の関係や精神分析に対する非科学的という批判にまで自らの立場から答えを出そうとしている。


これらはバックラッシュというテーマの本に入っている論考としてはそのテーマを超えた過剰なものかもしれないが、しかしその過剰なトピックは今の知的問題において最もビビットで、興味深いものばかりだ。これらの過剰な言葉が入ったことでこの本のスケールと射程はとても大きなものになり、この本からは単に一つのバックラッシュ言説の解毒だけでなく、次なる局面を作るための知識・リテラシーをも学べる密度の高いものになった。


http://d.hatena.ne.jp/asin/4902465094
に言及すると入るのかしら。