岡田暁生『西洋音楽史』


宮崎哲哉や稲葉振一郎など人文学的な論者からの高い評価が目立っていた本で、中公新書ということで手軽ということもあって読んでみた。


至高である(感化されやすすぎな馬鹿であるともいう)。


著者は西洋音楽史を書くにあたっての基本方針を以下のように述べる。

しからば音楽史の各時代へ向ける目の焦点距離を、いったいどのようなやり方で微調整するか。具体的にいえば私は、「クラッシックの時代」を語る場合にはその歴史化を、逆に「古楽/現代音楽の時代」を語る場合にはそのアクチュアル化を図りたいと思う。クラシックはできるだけ突き放して徹頭徹尾「歴史上の産物」として眺め、それが「なぜ/どこから生まれ、どこへ/どうして流れ去ったか」を考えたい。歴史的文脈に置くことで「異化する」といってもいい。一度その自明性を疑ってみたい。いずれにせよ、クラシックの「大作曲家」(バッハ、モーツァルトベートーヴェンシューベルトワーグナーブラームスマーラー等々)の「時代を超越した」偉大さや不滅性とやらを称揚するといったことは、私が一番行いたくないことである。
それに対して古楽/現代音楽の場合、なるべくそれらを、私たちにとって最もなじみのある「クラシックの時代」と関連づけるというアプローチをしたい。「中世」だとか「第二次大戦後」といったエポックを、それ自体で独立完結した音楽史の一チャプターとして眺めるのではなく、それらが「なぜ/どのようにしてクラシックの時代に流れて行ったのか」、あるいは「なぜ/どうやってクラシックの時代からここへ流れてきたのか」に思いを巡らせたい。それによって、これらの音楽が私たちにとって決して無関係ではないことを、少しでも読者に実感してほしいのである。

おそらくこのような意味で本書は、「音楽史」である以上に、「音楽の聴き方」についてのガイドであるといえるかもしれない。これは私が確信するところなのであるが、どんな音楽にも必ず「適切な聴き方」というものがある。聴き手の適切な感情の構え、適切な姿勢、適切な上演の場・・・・・・。どんなに素晴らしい音楽でも、場違いなところで聴けば台無しだ。尺八はコンサート・ホールで聴くものではないし、モダン・ジャズを早朝に聴いても気分が出ない。ミサ曲をバーで聴くなどもってのほかだし、グレゴリオ聖歌を学校の味気ない視聴覚室で聴かせても何の共感も得られまい。このように書くとまるで時代遅れのモダニスト呼ばわりされそうだが、別段私は、道徳的な意味でこのようにいうのではない。レクイエムをトイレで聴くのは冒瀆などといいたいのではない。「本場が一番」的なスノビズムとも一線を画したい。ただ私は、これまでの経験から、「場違い」だとどうしても音楽から得られる歓びが減じられてしまうという、いたってエピキュリアン的な動機から、このことがいいたいだけである。「いつどこでどう聴いてもいい音楽」などというものは存在しないのであって、「音楽」と「音楽の聴き方」は常にセットなのだ。
「ある音楽を聴いてもチンプンカンプンだ」という場合、ほとんど間違いなくその原因は、この「場違い」にあると、断言できる。私たちの聴き方が、近代のクラシック音楽のそれによってあまりに強くバイアスをかけられているせいで、多くの音楽が何かしら遠いもの、つまり歴史上の音楽に聴こえてしまうのだ。本書がしばしば―時として音楽そのものについて以上に―音楽の文化史的なバックグラウンドに言及するとすれば、それは「どんな人が、どんな気持ちで、どんな場所で、どんなふうに、その音楽を聴いていたか」を、可能な限り活写したいという気持ちからである。本書で見るように西洋音楽は、楽譜や録音といった、音楽をいつでもどこでも可能な限り正確に再生できるメディアを、高度に発展させてきた。ややもすると人々は、東京で聴こうがウィーンで聴こうがナポリで聴こうが、ベートーヴェンの《エロイカ》はいつも《エロイカ》だと思いがちである。だが私自身は、たとえ西洋音楽といえども、それはあくまで深く「場」に根ざした音楽、つまり徹頭徹尾「民族音楽」であると確信している。たとえそれが「世界最強の民族音楽」であるとしても。


「どんな音楽にも必ず『適切な聴き方』というものがある」、そしてあらゆる音楽がその影響力の大小を問わず「徹頭徹尾『民族音楽』である」こと。


つまりこの本のもたらす認識によって、音楽のあちらこちらにスモール・サークルを作ってのさばっているスノッブ(この言葉は教養のない人間があるようになりきって生半可な価値判断で知ったかぶりをしたり、知識争いをする俗物を揶揄した語でもある。書いてて学生時代の自分を思い出すと胸が痛い。)に、自分がはまっている音楽は「適切な聴き方」をしたから凄いと思え、それより価値のないと思う音楽は「適切な聴き方」をしていないから駄目だと思っただけで、まずそれらの音楽のポテンシャルを「適切な聴き方」によってある程度正確に把握してから価値判断をしているのか、とつきつけることが可能になる。そして私の知り合いの中でこの弊にはまっていない人間はいなかった。その弊を自覚している者すらである。


また毎回有益な文献の紹介や興味深いトピックを論じている死に舞氏の「センス競争は悪か?」という重要な問題を扱った考えなども、同じような問いにさらされるだろう。私は死に舞氏のセンス競争によって文化は広まってきたという考えには一理あると思うが、それは同時に上記のスノッブという俗物の見苦しいふるまいによってでもあり、そのことに対する自己批評、あるいはそのようなスノッブや別の形の「俗物」によってしか文化は広まりえないとするなどの痛みが語られていないところがまだ不十分だと思った。そしてその問題を考える上でもこの本に貫かれた音楽を「適切な聴き方」とセットで考え(逆にいえばどんな時でも通用する音楽や、このような聴き方の時もっとも凄いと思える音楽が一番だという「聴き方」の序列づけを否定して)、その「適切な聴き方」によって対象の音楽の魅力を認識しなければ価値判断も考察もできない(それ以前の話となる)とする認識は有益な示唆をあたえるはずである。


著者のこのような姿勢はくりかえし言及されるが、西洋芸術音楽とは何かをまず定義するところでもその姿勢と、その上での明快な西洋芸術音楽の定義がなされる。

本書は「西洋芸術音楽」の歴史である。いうまでもなく西洋にも、芸術音楽以外の多くの音楽(民族音楽の類)が存在していた。だがわれわれがここで辿るのは、俗に「クラシック」と呼ばれている芸術音楽のルーツだ。しからば芸術音楽とはいったい何なのか?歴史に入るより前に、まずはこの対象を規定することから始めよう。最初に私が強調しておきたいのは、本書で「芸術音楽」という時、それは断じて「質」―「芸術音楽=高級な音楽=西洋クラシック」といった―の問題を指しているのではないということである。むしろ芸術音楽とは、数ある音楽の「ありよう」(祭りや宗教で使われる音楽、映画音楽やコマーシャル・ソング、ダンス・ミュージックや軍楽等々)の中の、一モードにすぎない。「芸術音楽とは芸術として意図された音楽のことだ」と、とりあえずはいっておこう。つまり芸術として意図された音楽の中にもくだらないものはいくらでもあるし、芸術を意図していない音楽の中にも秀でもは多いということである。
しからば「芸術」としての音楽のありようとはいったい何なのか?端的にいえばそれは、「楽譜として設計された音楽」のことである。「設計=構成されるコンポジションとしての音楽」が芸術音楽だと考えれば、まずは民謡や民族音楽がそこから除かれる。それらは後から採譜されることはあっても、もとから「書かれた=設計された音楽」であったわけではない。ジャズのように即興性が高いものも同様だ。ポピュラー音楽もまた、しばしば楽譜に「書き起こされる」ことはあるにしても、ベートーヴェンマーラー交響曲のように隅々まで前もって楽譜上で設計される音楽とはいえない。ギター片手にボロンボロンと音を探るのではなく、紙の上で音の設計図を組み立てるという知的な性格を強く帯びているのが、芸術音楽である。どこか門外漢には容易に近づき難いという印象を与えるのも、民謡などに比べてはるかに複雑で大規模な楽曲を作ることが可能になるのも、すべて芸術音楽のこの「書かれたもの(エクリチュール・ルビ引用者注)」的性格によるものである。


「芸術として意図された音楽」とはやや曖昧に見えるが(その「芸術」の内実はそれぞれの時代の芸術観をふまえて各章でまた明快に説明される)、芸術音楽を「楽譜として設計された音楽」を看破しているところは凄い。客観性のないファンのようなひいきの価値判断をふくまずに、しかしその音楽の凄さや特長の要因をつかむ定義である(本書ではもっと正確に「それは『知的エリート階級(聖職者ならびに貴族)によって支えられ』、『主としてイタリア・フランス・ドイツを中心に発達した』、『紙に書かれ設計される』音楽文化」と定義されている)。


またその西洋芸術音楽が大まかにどの地域が中心となり、それが時代とともにどの地域に移り変わってきたかという大きな地政学(?)的な捉え方も目からうろこである。

・・・古代ギリシャ・ローマ文明と後の西洋世界との間に深い断絶があることも、忘れてはなるまい。つまり古代ギリシャ・ローマ文化はゲルマン人の侵入によって一度解体されたのであって(西ローマ帝国の滅亡が四七六年である)、その後は諸民族が入り乱れ、しばらくは混沌とした時代が続いた。ヨーロッパが再び統一的な文化圏を形成するようになる(つまりヨーロッパがヨーロッパになる)のは、カール大帝(八〇〇年戴冠)フランク王国以後のことである。
カール大帝が統一したのは、今のイタリア北部とドイツおよびフランスのほぼ全域だった。つまり地域的にもそれは、アフリカ北部やイスラエルあたりまでを包含する環地中海文化圏であったローマ帝国と、相当に異なっていた。むしろ現代のEUの原型となったのが、カール大帝フランク王国だったというべきだろう。彼はさまざまな法制を整備し、支配地域のキリスト教化を進め、学者や芸術家を宮廷に招いて文化振興に尽くした。そした後は西洋独特の「書く音楽文化」の萌芽も、ここから生まれてきた。つまり芸術音楽のはじまりは、時代的にほぼ西洋世界の成立と一致しており、そしてこの西洋世界とはイタリア・フランス・ドイツの文化トライアングルのことだったのである。
ここから西洋芸術音楽についての重要な地域的定義が出てくる。つまり「芸術音楽」とは、イタリア・フランス・ドイツを中心を発展してきた音楽なのである。ロシアなどはいうまでもなく、中央ヨーロッパ文化圏から外れるイギリスなども、芸術音楽の歴史全体の中では、あくまで辺境にとどまり続けた。この「アングロサクソンは西洋芸術音楽の主流ではなかった」という点はとても大事で、実際イギリスからはなぜか「大作曲家」がほとんど現れなかったこと(せいぜいパーセルエルガーブリテンくらいか?)は瞠目に値する。対するに現代のポピュラー音楽帝国がアングロサクソン主導であることも興味深い。「西洋音楽史」の実体とは「伊仏独芸術音楽史」(EU音楽史とすらいえるかもしれない)に他ならないのである。


クラシックといわれるような音楽中心からポピュラー音楽中心の世界へなっていくのが、イタリア・フランス・ドイツのヨーロッパ中心の音楽からイギリス・アメリカ中心の音楽へのシフトとパラレルであるというのは、いわれてみればという感じで何かはよくわからないが得心のいく指摘である。それは漠然とした芸術音楽が、内実に近い形でそれぞれ意味を限定されつかまれたということでもある。


以下本書ではそれぞれの時代について同じように明快かつ虚をつかれる指摘で展開していく。個人的にはベートーヴェンの以下のような指摘はとても得心のいくものだった。

ハイドンモーツァルトには見当たらず、ベートーヴェンになって初めて現れるのは、この「右肩上がりに上昇していく時間の理念」である。コーダへ向けて、終楽章めがけて、いやましに昂陽していく音楽―ここにヘーゲルマルクスダーウィンを生んだ一九世紀的な進歩史観の刻印を見ることはたやすい。

・・・

この「限りない昂陽の追求」とでも呼ぶべき傾向と並んで、彼の音楽の中の消し去ることができない何か集団(マス)的な調子にも、注意をうながしたいと思う。それは―少々皮肉な言い方をするなら―シュプレヒコールを叫びながら行進していく群衆のごときノリだ。

・・・

《第九》が啓蒙の時代の「すべての人々に開かれた音楽」という理念の究極の到達点だったことは間違いない。「一〇〇〇人の第九」といった催しが照明しているように、ここでは万人が参加できる音楽の祝典が、本当に実現されている。

・・・

「音楽の万人への開放」という理念が本当に実現された時、それは「集団へ熱狂的に没入する快感」ともいうべきものと紙一重のものになったのである(晩年の弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタベートーヴェンが、あたかも《第九》終楽章への反動のように集団的熱狂を拒絶し、群集的なものから個人を徹底的に切り離して、誰とも分かち合うことができない孤独へ沈潜することを聴衆に求める秘境的な音楽を書いたことも、決して忘れてはならないが)。


私は「音楽の万人への開放」が「集団へ熱狂に没入する快感」につながることを美学的にあまり(場合にもよるが一般的にその現象自体を)醜いとも思わず否定もしないが、そういうものを嫌う人がいるのもよくわかる。そしてそのような私が主にロックから学んできたようなマスの音楽がベートーヴェンというビッグネームから用意されてきたものだというのを改めて本書がはっきり名言していたことが色々と刺激になった。


この本から私が学んだことは、結局音楽を言葉で語る、書くのならばその音楽を聞いたことのない者に対して、相手が自分と共有している知識や音楽、あるいは経験を使ってその音楽の特質・特別だと思える感触を伝えていこうとしなければ意味のある(公共性のある)対話にはならないし、純粋にその音楽の内実により近づいた認識を得るためにもその作業は不可欠であるということだ。語りえないものや、経験しなければわからない凄さを、どこまで誰でも手にできる道具でおいつめることができるか、凡庸な「公共性」をこえたものを記述できるとしても、それは上記の前提をふまえられてからのはなしではないだろうか。