ウラジーミル・プロップ『昔話の形態学』北岡誠司・福田美智代訳


魔法昔話がすべて限られたプロットによって構成されていることを明らかにした古典である。今回時間がなくてちゃんと読めなかったためメモとして書く。


著者は昔話や物語を研究する際にまず「昔話」とは何かを把握しないで個別研究にむかうのは不毛だという。たとえば一つの昔話を要約する際にすでに恣意性があらわれる。

・・・話の筋は、普通、こんなふうに規定されております。話のなんらかのある部分(それも、しばしば、単に眼についたにすぎず、偶然選ばれた部分)がとりだされ、「・・・に関する」という一句がつけくわえられます。大蛇との闘いが話の中で語られているとすれば、これは、「蛇退治に関する」話であり、コシチェイ〔不死の老人〕が現れる話は、「コシチェイに関する」話などなどというわけです。しかも、ここには、定義に用いられる要素を選ぶ上での単一の原則というものが、ありません。

そこで魔法昔話といわれる百をこえるテクストを対象に研究したところ得られた結論は。以下だという

一、昔話の恒常的な不変の要素となっているのは、登場人物たちの機能である。その際、これらの機能が、どの人物によって、また、どのような仕方で、実現されるかは、関与性をもたない。これらの機能が、昔話の根本的な構成部分である。
二、魔法昔話に認められる機能の数は、限られている。
三、機能の継起的順序は、常に同一である。
四 あらゆる魔法昔話が、その構造の点では、単一の類型に属する。


ここでいわれている機能が以下のものである。

「導入の状況」 α
? 家族の成員のひとりが家を留守にする 「留守」 Β
? 主人公に禁を課す 「禁止」γ
? 禁が破られる 「違反」 δ
? 敵対者が探り出そうとする 「探り出し」 ε
? 犠牲者に関する情報が敵対者に伝わる 「情報漏洩」 ζ
? 敵対者は、犠牲となる者なりその持ち物なりを手に入れようとして、犠牲となるものをだまそうとする 「謀略」 η
? 犠牲となる者は欺かれ、そのことによって心ならずも敵対者を助ける 「幇助」 θ
? 敵対者が、家族の成員のひとりに害を加えるなり損傷を与えるなりする 「加害」 A
?―a 家族の成員のひとりに、何かが欠けている。その者が何かを手に入れたいと思う 「欠如」 a
? 被害なり欠如なりが〔主人公に〕知らされ、主人公の頼むなり命令するなりして主人公を派遣したり出立を許したりする 「仲介」「つなぎの段階」 B
? 探索者型の主人公が、対抗する行動に出ることに同意するか、対抗する行動に出ることを決意する 「対抗開始」B
?? 主人公が家を後にする 「出立」 ↑
?? 主人公が〔贈与者によって〕試され・訊ねられ・攻撃されたりする。そのことによって、主人公が呪具なり助手なりを手に入れる下準備がなされる 「贈与者の第一機能」 D
?? 主人公が、贈与者となるはずの者の働きかけに反応する 「主人公の反応」 E
?? 呪具〔あるいは助手〕が主人公の手に入る 「呪具の贈与・獲得」 F
?? 主人公は、探し求める対象のある場所へ、連れて行かれる・送りとどけられる・案内される 「定義は二つの国の間の空間移動」 G
?? 主人公と敵対者とが、直接に闘う 「闘い」 H
?? 主人公に、標がつけられる 「標づけ」J
?? 敵対者が敗北する 「勝利」 I
?? 発端の不幸・災いか発端の欠如が解消される 「不幸・欠如の解消」 K
?? 主人公が帰路につく 「帰還」 ↓
??? 主人公が追跡される 「追跡」 Pr
??? 主人公は追跡から救われる 「救助」 Rs
??? 主人公がそれと気付かれずに、家郷か、他国かに、到着する 「気付かれざる到着」 O
??? ニセ主人公が不当な要求をする 「不当な要求」 L
??? 主人公に難題が課される 「難題」 M
??? 難題を解決する 「解決」 N
??? 主人公が発見・認知される 「発見・認知」 Q
??? ニセ主人公あるいは敵対者(加害者)の正体が露見する 「正体露見」 Ex
??? 主人公に新たな姿形が与えられる 「変身」 T
??? 敵対者が罰せられる 「処罰」 U
???? 主人公は結婚し、即位する 「結婚」 W

浅沼圭司『ゼロからの美学』


大学の時の先生で、凄い先生だという評判も聞いていた。しかし授業はとらず卒業してしまい、今ごろふとこの本を見つけ読んでみた。


学部生向けの美学の入門的な授業をもとに書かれたもので、とても平易に美学について解説されている。美学については特に音楽美学についてきちんと基本的なことくらいは身につけたいと思うのだが、この本に関しては精読して身につけようというというよりは美学の必要性・有用性を確認しちゃんと学ぼうという気持ちをかためる門前書として私は読んだ。色々な大学の美学入門のテキストとして使われてもいるのでもっと深くも読み込めると思うが、とりあえず『必読書150』にかかずらっているので軽く読んだ。


そのため本の全体的な要約や構成よりは面白いと思ったところを適当に引用していく。

あらゆる「存在するもの(存在者)」の根源に、神あるいは超越的な存在を想定するのは、ある意味では自然なことかもしれないが、「存在するもの」とはまた「かたちあるもの」にほかならないだろうから、このことは、すべてのかたちの根源として、神あるいは超越者が想定されていることを意味するはずである。いいかえるなら、あらゆる「かたちあるもの」の起源には、神ないし超越者という絶対的、根源的なかたちが想定されていることになるだろう。このようなかたちについての考えを「かたちの形而上学」と呼ぶことも、ある意味では可能だろう。

本はまず美学とは何か、美学の存在意義は何か、美学の基本的な考え方はなにかという問題にむきあう。オーソドックスな知見に通じ、かつポストモダン的な相対化の思考にも柔軟に対処している著者ならではの落ち着いたバランスのとれた考察がなされる。その中で基本的な美学の考え方としてプラトンを中心に考えるのだが、そこで「かたちの形而上学」という「かたちあるもの」の向こうに超越的なものを想定する思考を根本的な思考として紹介している。それ自体はプラトンの入門書などでどこでも書かれているありふれたものかもしれないが、この本ではその形而上学によって美学の基本的な思考を説明するときの鋭い単純化・形式化が鮮やかで問題がとても簡単に把握できるように思える。しかしそれは長い研鑚に裏打ちされているのだろうな、と思わせる慎重さも備えた上である。そのため語り口がやわらかく断定を控えるようなものになっているため刺激的でないとか退屈と感じる人もいそうだが、私は重みのある足取りを、しかしなめらかに書こうとする文体を面白く読んだ。


美や芸術・文化とは何かということを考える美学の考えをいろいろと紹介する中で面白いと思ったのが遊びの意義を考察した箇所だ。

個人のあいだのことなった性や年齢などや、国家や民族や宗教などから生じる抗争は、人間にとって、じつは、本質的とさえいうべきものかもしれない。にもかかわらず、類として他と共存する―あらゆる差異を解消する―意外にその存在を維持することができないのもまた人間なのだろう。
いま述べたような、人間的な現実においてはいかんともしがたい差異とそれにもとづく抗争が、たしかに一時的であるのかもしれないし、また実際的ではないのかもしれないが、解消にもたらされるのが、あそびにおいてであり仮象においてである、そう考えることはできないだろうか―オリンピックの意義は、まさにこのことにあるのだろう。あそびは、仮象は、人間が他に対する差異―「個別性」―を実際に失うことなしに、他との「共生」を実現しうる、おそらくただひとつの機会であり、場ではないだろうか。とすれば、あそびや仮象は、人間にとって余分なものどころか、まさに不可欠のものであり、むしろすぐれて人間的なものというべきことになるだろう。つぎのように考えることもできる。現実的な世界で生きる人間は、個性を発揚し、自由を求める一方で、類的存在として社会(制度)のなかで、その「とりきめ」にしたがわざるをえなかった。人間は、こうして矛盾のただなかで、あるいは自由と制約に引き裂かれて、生きてゆかざるをえない。そしてこのことは、ひとびとにつよい緊張をしいるだろう。特別の状況においてではなく、ただ生きることが、それだけで、意識的にせよ無意識的にせよ、緊張をしいるのだから、その連続はやがて強度のストレスをもたらすだろう。存在する(生きる)ことそのものがもたらすストレスをなんらかの方法で解消すること、それもまた生きるためには不可欠のことなのだろうが、そのようなストレスを解消するものとしてあそびや戯れあるいは仮象があるのではないか。その意味でもこれらのものは、人間の生にとって不可欠のものといえるだろう。


わりとよく聞く話ともいえるが、遊び・文化・芸術の意義として何度もたちかえるべき基本だろう。


美学の具体的な分野についてもさらっとまとめられているがわかりやすい。

「美学」―「一般芸術学」―「個別芸術学」―「個別芸術史」―「個別研究(モノグラフ)」
 対象:一般的(抽象的)→個別的(具体的)
 方法:思弁的→実証的


この本の白眉と思えるところは、詩の解釈を実践的におこなってみせるところで、平仮名の多いなめらかで繊細さを感じさせる文体が活かされた官能的でいきとどいた分析が展開される。長い引用だが(自分の引用は必要限度を越えてるのではないかと少しびびっている。私としては必要な分を引用しているつもりだが・・・)紹介する。

感性的言語活動の特徴について、詩を例に、もうすこし詳しく考えてみよう。選んだのは、わが国の代表的な詩人のひとり、藤原定家の作品である。ところで感性的言語活動について考える場合、文学作品を例にすることは、方法として有効なのではないか。なぜなら、文学作品は言語(国語)にもとづきながら、あきらかに普通の言語活動とはちがう特徴をもつと思われるからであり、そのちがいのもっとも大きな原因となっているのが、感性的資質のゆたかさであると思われるからである。
   きえわひぬうつろふひとのあきのいろに
     みをこからしのもりのしたつゆ   『夏日侍 太上皇仙洞同詠百首慶 製和歌』
この歌にはじめて接したひとは、おそらくあるとまどいを感じるだろう。ここでは、問題をはっきりさせるために、漢字を用いずにすべて仮名表記にし、しかも濁点をはぶいているが、とまどいはそのせいだけではないはずだ。この仮名の連なりを個々の単語に分けることがまずむずかしいだろうし、単語に区分したとしても、こんどは単語のあいだの関係をとらえることが容易ではないだろう。この歌が、短歌に特有の「五・七・五・七・七」という音節構造をもつことは―ただし第三句は字余り―、だれにでもわかるだろうが、五つの句のあいだの(意味の)関係は、おそらく明瞭には把握しがたいだろう。この歌の意味を明確に(一義的に)とらえることは、むしろ不可能にちかいかもしれない。しかしそれは、かならずしも古語に関する知識の欠如だけによるのではない。なぜなら、定家の歌は、その当時においてさえ、「新儀非拠達磨歌」―あたらしいだけで、根拠のない、達磨大師のはじめた禅のように、とらえどころのない歌―として、その理解しにくさが非難されていたのだから。
 たしかにわかりにくい。しかし意味がとらえにくくても、いやとらえにくいからなおさら、この歌の聴覚的な性質が、ゆたかな音のながれが、ひとびと意識をとらえるのではないか。たとえば、第二句から第三句にかけての[o]という母音の連続―[ro][to][no][no][ro]―、おなじく第四句から第五句のはじめにかけての[o]音の連続―[wo][ko][no][mo][no]―。第二句から第五句までの二十七音節中、十の音節が[o]音を含み、そのひびきあいのなかで、音がゆたかにながれていく。上半句の、全体としてはやわらかな音の連続のなかに、硬質な音をひびかせてきわだつ[ki]の音、この音をふくんだ「きえ」「あき」という語は、意味のうえでも重要な役割をはたしているようだ。このような音の特徴は、けっして偶然のもたらしたものではなく、あきらかに作者によって作りだされたものであるが、このような聴覚上の特徴が、日常の会話は普通の文章にはみられない独自の魅力―聴覚にとっての魅力―を醸しだしているとは考えられないだろうか。単語に分解したり、あるいは意味の関係をとらえるまえに、この歌を声に出してよんでみたらどうだろう。おそらく独特な音のながれが意識され、それがこの歌にすでに一つのまとまり―かたちとしてのまとまり、「形式的統一」―をあたえていることが感じられるだろう。そしてこの聴覚的(形式的)なまとまり(枠組)によって、語と語のあいだに、単純な(一義的な)意味の関係をこえたつながりが作りだされる。
 語と語のあいだに、一般的な意味のうえの関係を見出すことはたしかにむずかしいが、「五・七・五・七・七」という音節構造によって、この文字の連なりが「短歌」という特別な言語活動であることが認識されると、おおくのひとは、中学や高校の国語の授業を思いだすなどしながら、短歌に特有の技法あるいはコードによる、普通の言語活動とはことなった語の関係―たとえば「縁語」や「掛詞」などによる、語のあいだのあたらしい関係―を探しはじめるのではないだろうか。そして、一つ一つのことばが、ただ一つの意味ではなく、複数の重なりあった意味で用いられていることにやがて気づくだろう。たとえば第二句冒頭の「うつろふ」という語には「人の心が他に動く」「花や葉が散る」「あせる」「影が映る」などという意味があるのだが(『岩波古語辞典』)、この歌では、これらの意味のすべてが重ねられており、そしてその重なった意味と、他の語のおなじように重なった意味とのあいだに、いくとおりもの関係が生じるだろう。このような語の関係―通常の約束にとらわれない自由な関係という意味で、むしろ語の「戯れ」というべきかもしれない―によって、「うつろふひとのあきのいろ」という語の連なりから、たとえばつぎのような意味が浮かびあがってくるだろう。こころがわりしたひと、ひとのこころのうつろいやすさ、木の葉の散り落ちる秋、あせゆく木々の紅葉、あるかなきかに映じる(映ろう)色、いまは失われてしまった愛のかすかな反映、など。「あきのいろ」は「秋の色」であり「飽きのいろ」でもあるだろう―ひととの関係に飽きてしまった、そのこころのふとした現れ、はじめのころの輝きを失ってしまった愛・・・・・・。「色」は「色情、色欲、情人、情事、そして形相、有形の万物」を意味するという(『岩波古語辞典』)。このような意味を、さきに読みとったものにさらに重ねてみよう。「うつろふ」は、「盛りの時が過ぎる」ことを、そして「色」はまた「容色」を意味するから、衰えはじめた容色とそれに飽きたひとのこころを読みとることさえできるだろう―すくなくともそう読むことを禁じるものはここにはない。「こからし」はいうまでもなく「こがらし」であり「木枯し」だが、「こがれ」というひびきをここから聞きとるなら、「焦がれ」という意味が現れてくるだろう。「恋い焦がれる」「焦がれ死ぬ」「恋いのゆえに命を落とす」「みをこがらし」―「身を焦がす」「恋いのゆえに身もこころも焼きつくす」そして「そのような燃えつきた身とこころに吹きすさぶ、冷たい風」など。「こからしのもり」―「こがらしの杜」は『枕草子』に駿河の地名として引かれているが、むしろ「吉野」や「志賀」あるいは「明石」や「更級」などのような、和歌の伝統のなかで、あるイメージと結びつけて用いられている、いわゆる「名所(歌枕)」の一つととるべきかもしれない。「もりのしたつゆ」はあきらかに「森の下露」なのだが、「もり」から「洩る」が、「つゆ」から「なみだ」がごく自然に読みとられるだろうから、「洩れ出る涙」とも読まれるだろうし、「下」はもともと表面に現れない、目につかない場所を意味するのだから、「下露」はひそかに流す涙ともとられるだろう。「もりのしたつゆ」はこうして「一目につかないようにこらえようとするのだけれど、こらえきれずひとりでにこぼれ落ちる(したたる)涙」を表しさえする。ここからまえにさかのぼって「うつろふ」から「うつ」を聞きとり、木枯しが森の木々をうつと読むこともできるだろうし、あるいは「うつろ」から「うつろなこころ」、消え去ってしまったあとの「うつろ(空虚)」のイメージを作り出すこともあるだろう。
 第一句「きえわひぬ」は「きえわびぬ」だが、「消え詫ぶ」は、さきとおなじ辞書によると「身も消えいる程に、気力を落とす。死ぬほどに元気をなくす」という意味をもつ。そしてこのような語の、意味の戯れのなかで、最後の語(つゆ)と最初の語(きえ)はやがて循環する関係におかれるだろう―「露、消え」「露と消え」、いうまでもなくここには死の暗示がある。そして「つゆ、きえわぶ」という連関から、涙が消えかねている、流すまいと思うのに流れる涙、そのことがもたらす侘しさ、つらさなども現れるだろう。こうしてことばの錯綜とした関係(戯れ)はかぎりなくつづき、さらにゆたかなイメージを織りなしてゆくのだが、ここではそのごく一部を例として示したにすぎない。


こじつけと山形浩生のような精読→細部を過剰に読み込み新解釈を出すということを嫌う論者なら言いそうだが、私はとても面白く読んだ。著者の凄みをさらりと垣間見せているような感じがして、ともすれば平易すぎて物足りないと思わせるかもしれない読者をひきこむものになっている。

聖アウグスティヌス『告白』服部英次郎訳、岩波文庫


上下巻である。どちらも300ページ位ある。そして情けないことだが、アウグスティヌスについてほとんど知らなかった。表紙に「ローマ時代末期の最大の神学者・思想家アウグスティヌス」とあるので神学者なのかと思ったしだいである。


しかし読み終わってみると案外面白かった。『必読書150』では奥泉光が解説を担当していて、『告白』を日本の私小説と比較し、自己は他者との関係においてあるから自己を語ることは自己をかたちづくる他者との関係の考察にむかわなければならない、しかし私小説は私が私だから私があるという呑気な自意識の吐露にすぎない、というようなことを書いていた。


ここでこの『告白』内で他者としてあるのは、ありふれた隣人ではなく、「主」つまり神である。アウグスティヌスはこの本のなかで幾度となく「主よ」と呼びかけ、自らの罪を告白し、神を賛美するかたちで叙述を進める。この神という超越的な他者との関係によって自らを語り、またそのように語る自分のような神の被造物の原理となる記憶・時間等についての省察を組み合わせた構造にテクストはなっている。


アウグスティヌスの生きた年代、『告白』が書かれた時期について服部英次郎氏の解説から引く。


アウレリウス・アウグスティヌスは、三四五年十一月十三日、当時はローマ領北アフリカヌミディア州の農林業地帯の中心地であったタガステ(現在はチュニジアの首都チュニスに近いスーク・アリス)に生れた。


このアウグスティヌスの改心は三八六年、かれの三十二歳の夏の終わりのことであったが(後略)


これに対してアウグスティヌスは、四二一年から『ユリアヌス反駁』(原語割愛)全六巻を書いて、最後までその筆をやまなかったが、その最後の巻はついに死のために未完に終わった。


アウグスティヌスが、後代のキリスト教思想に及ばした影響はじつに甚大であって、一二世紀末に至るまで、中世思想の進路を定めただけでなく、十三世紀におけるアリストテレス哲学の受容(とくにトマス・アクィナスによる)後もなお存続したのであり、また十六世紀における改革者たち、ルターやカルヴァンもまたアウグスティヌスに負うところが少くなかった。アウグスティヌスのしっかりとした知性と深い霊的洞察がなかったなら、西洋のキリスト教思想は今日あるのとは違った形をとったことであろう。


アウグスティヌスの告白(Confessiones)が書かれたのは何年であるか、それは正確には定めがたいが、だいたい四〇〇年前後に―三九七年からおそらく間をおいて―書かれたものと思われる。その執筆の意図については、再論の書において、「告白の書全十三巻は、わたしの悪と善に関して、義で善である神を賛美する」としるされているが、ヒッポの司教として令名のますます高かったアウグスティヌスの過去と現在を知ることを願う人びとの希望にこたえて書かれたのであろう。それでは、アウグスティヌスのいう告白とは何であるか。告白といえば、ふつう、罪の告白であり、アウグスティヌスの書はかつて「懺悔録」と訳されていた。この書が罪の告白を多分に含むことは事実であるが、それはまた同時に神に対する感謝と賛美である。くりかえしていうと、罪の告白と賛美とは一つであって、これが「わたしの悪と善に関して、義で善である神を賛美する」といわれていることの意味である。すなわち、アウグスティヌスは、自分の罪深い生活のうちに神の恩寵がもっとも明らかにあらわれているのを認めて、感謝と賛美をささげたのである。したがって、かれの書は、近代人の「告白」の諸書とは厳密に区別されなければならない。それらが高慢と自己顕示の筆に成るものであるのに対して、アウグスティヌスの書はまったく謙虚の生むところのものである。


76年の生涯だったということか。改心が32歳で、神学者としての活躍はそれ以降となるのが遅めな感じがして面白い。それまでは弁論術にうちこみ、肉欲におぼれ、マニ教というカトリックとは違うキリスト教の別の流派にはまっていたりしたらしい。


上巻ではアウグスティヌスの半生が語られ、下巻では抽象的な神の被造物のもつ記憶や時間、『創世記』の首章についての注釈が語られる。


また解説からひけばアウグスティヌスにとっての絶対的他者である神とは以下のような存在のことを指すらしい。


アウグスティヌスによると、神は絶対的存在、絶対的善であるから、それに対するのは、まったくの無、善のまったくの欠如であり、そしてこの両者、すなわち、神と無とのあいだに被造物は位置する。被造物は、神によって無から創造されたのであって、神によって造られたかぎり、存在をもち、善といわれることができるが、無から造られたかぎり、存在と善とを欠いている。それは、存在と善とよばれるすべてのものを欠いてはいないが、しかし、神のようには、絶対的な存在と善とを持っていない。すなわち、被造物は相対的存在であり、いわば、無をまじえているのであって、たえず無に帰する危険を免れない。人間の生活全体がたえまのない欲求と幸福の追求であるのも、人間が被造物であって、その善をそれ自身のうちにもたずに、その外に求めねばならぬからであり、その存在の欠如をみたさねばならぬからである。すなわち、人間は被造物であるかぎり、欲求せねばならぬのであって、問題はその欲求をなにに向けるべきかということである。さて、この欲求の対象は神か、この世か、いずれかであって、神に向けられた欲求はカリタス(愛)とよばれ、この世に向けられた欲求は、クピディタス(欲望)とよばれるのであるが、そのうち欲求の本来の目的に到達するのはカリタスのみである。というのは、人間の欲求は、本来、その存在の欠陥をみたそうとするものであるのに、この世にむかうクピディタスは、人間よりもなお空しいものによってそれをみたそうとするからである。すなわち、それ自身よりもなお空しいものによってそれ自身の空しさをみたそうとし、それ自身もなお消滅的なものによってそれ自身の消滅性を免れようとするわけである。したがって、このような欲求をつづけるかぎり、人間はたえず一つのものから他のものへと追いやられて、けっして終局的な休息に到達して満足することはない。人間の欲求を終極的にみたすのはただ神のみであって、神のうちに満足を求めるものはその求めるものをじっさいに見出すのである。神は不変的な善であり、絶対的な存在であるからである。このような形而上学をいわば背景として考えると、『告白』巻頭の一句はその真意をいっそうよく理解されるであろう。すなわち、神は絶対的に欲求のないもの、休息そのもの、永遠の平和であるのに対して、わたしたちは、無から創造されたかぎり、消滅的なもの、欠陥のあるもの、たえず欲求するものであり、しかもその欲求を神に向け、休息を神のうちに見出すべきものである。つまり、神における休息が被造物の目標であるということが『告白』の根本思想なのである。


神は欠けることがなくまったき善であり、人間は不完全でそれが欠如しており自らの外部に欲求する。その欲求が神にむけられれば愛で、別のものを対象とすれば欲望となり、まったき善は神を愛することによりのみ得られ、それは永遠の平和、休息である、と。


アウグスティヌスカトリックに反発し、当時首席をとるなど優れた知性で学問をおさめた。しかしそのような上記でいえば欲望にふりまわされた果てに神という超越的な存在を改めて見出し、その超越的な存在を前提とし、その絶対的他者と語り合うことで不完全な人間の原理を考察する。このような形が神学的、あるいは「超越的」と呼ばれる思考なのだろうな、と思った。たしかに『告白』を読んでも、超越的な議論は明快に世界の割り切れなさを説明してくれる。その魅力はよくわかった。実証主義などはそのようなものを一蹴し、仮説と検証をもって事実を積み上げていくが、新たな実証主義の波となり今論壇的には力をもっている生物学や臨床心理学のような成果をちらっと見ても今なおそれで世界が割り切れた気がしないという感覚は残る。そのようなものに飽き足らぬ人にとってこのような超越的な議論はやはり求心力があるだろう。今では神学的な議論が一般的に通用するとはいいがたいが、しかし超越的なものはないが、超越的なはたらきをしたり超越的なものをどうしても求めてしまうようなメカニズムを見る「超越論的」な議論はまだ力を持っている。このような議論が派生しているもっとも大きな源流の一つとして、この本を読んでおくと見通しが立ちやすくなりそうだという手ごたえはあった。

プラトン『饗宴』久保勉訳

正直つかみどころがないというのが最初の印象だった。なので訳者の序説を引き写しつつ検討してみた。

まず第一に、この対話篇―これがプラトンの真作であることについては誰も疑いを抱いた者はない―が書かれた年代については、本篇中の一個所(193a)から推定して、単にそれが紀元前三八五年以後(それも恐らくあまり長くはたたなかったろう―およそ三八三―五年―と推定されるのであるが)でなければならぬと主張しうるだけである。

次に、その形式からいえば、この対話篇には、『ファイドン』におけると同様に、間接説話法が用いられている、しかもそれは二重の間接説話なのである。すなわちプラトンは、アポロドロスが一六年ばかり前(紀元前四一六年)に若い悲劇詩人アガトンの催した祝勝宴における列席者の一人アリストデモスからそれについて聴いたところをふたたび二三の友人に物語ったことにしている。ところがそれがいつの事であるかは明らかではないが、諸種の暗示から推して、プラトンはその年代をおよそ紀元前四〇〇年頃に置こうとしているものと思われる


成立年代と作中年代はこの辺りらしい。そして特徴的なのがここで語られている饗宴に参加したアリストデモスから聞いた話をアポロドロスが物語るという伝言ゲームか?的な語り形式になっているということだろう。

さらにまた二重の間接話法の形式を採っているのもやはり詩的自由のためではないかと思われる。しかし他方において、プラトンが用意周到にも説話者として特にアポロドトスとアリストデモスのごとき熱心ではあるが、空想ないし創作の能力の欠ける弟子を選び出し、しかも疑わしい点に関しては一々親しくソクラテスについてこれを質させているのは、その物語るところが少なくとも要点に関するかぎり忠実な信頼するに足るものであることを暗示しようとしている証拠と見られる。とりわけアルキビヤデスがソクラテスについて語る場合には、幾度も念をおして真実ありのままを語ろうとする意図を明言させているが、彼の証言はソクラテス自身の沈黙によって裏書きされているのである。かく観来れば、本編が、プラトンの諸他の対話編と同様に、一種の『詩的』創作であることは争い難いとはいえ、したがってここに物語られるような祝勝宴がはたして実際催されたかどうかは疑わしいけれども、少くともソクラテスの人物性行に関してはやはり歴史的真実を伝えんとする意図をもつことは明らかであると思う。また実際、プラトンが本篇中の人物に語らせていることは少くともいずれもきわめて真実らしいという印象を与えるのである。したがって時代錯誤のごときも慎重に避けられている。要するに本来詩人でもあるプラトンがその詩的天分を最高度に発揮せる本篇は順歴史的意図をもって書かれたというよりも、むしろ単なる史実を超えて観念化された、すなわち本質的意味における真実を伝えようとしているのである。それは真実の歴史に属する具体的細目(特にソクラテスの言行においては)を含むことはあっても―ここでも史実の上に多少の手心が加えられることもあるであろうが―全体としてはやはり観念化された真実を伝えんとする歴史小説と比較することもできるであろう。


訳者は二重の間接話法についてこのように解説しているが、要点においてソクラテスらの人物像らを伝えるのに信頼に足るものでありつつ、プラトンの創作的自由を確保するための技法と考えても二重の間接話法にするというのは迂遠にすぎるという感じはいなめない。むしろ現在までの文学理論やポストモダン(高橋哲也『デリダ』で紹介されているデリダによるきわめて見事なプラトンパルマコン読解など)を通じてみると、テクストの「語り手」論や不透明な言語による伝達によって過剰な意味が生まれてしまうことによる全く別の読解が可能になるテクスト性の理論から見てとても読解欲をそそられる作品だと思わせるものになっている気がする。


本題にもどすと、訳者のいう『饗宴』の概要は以下のように書かれている。

内容の上から見るならば、この対話篇は前、中、後の三段(又は三幕)に分けることができる。すなわち最初の五人のエロス賛美演説と、ソクラテス―ディオティマの愛の説と、最期にアルキビヤデスのソクラテスに対する賛辞である。前段の五人の演説が大体において当時の学者(哲学者やソフィスト等)や教養ある人々の間で行われていた説であることは、これを現に伝わっている文献によって一々指摘することはできぬけれども、およその推測を下しても大過ないであろう。

前置きの話に出るアリストデモスとの戯談交りの会話においてプラトンはまず快活で機知に富んだ社交好きのソクラテスを、それからアガトンの家へ行く途中突然街道を外れて近所の家の入り口へゆきひとりそこに立って何事かを考え込んで動かぬところ(174d-175c)を描くことによって思索家としての師の特徴を示そうとしている。(同じような逸話は後段アルキビヤデスの話にも出るのである。なお同じ話の中には美しき若者に対する愛情を解する者としての、また戦場における勇士としてのソクラテスの面目の躍如としている場面もある。第三幕の末尾では彼が酒にも郡を抜いて強い様が描かれている。かくしてプラトンはその師の全貌を描出したのである。同じ人のこの両面がいかに著しい対照をなしていることよ!)


宴席におけるエロス(愛)についてのソクラテス含め六人(+乱入者一人)の演説と対話の記録(ただしここで語られる宴席では参加者が順に演説をしているということになっており、この六人はその中でアリストデモスが記憶に残っているものをアポロドトスに伝え、その伝えられたことをアポロドトスが語っているという形式になっているので実際の演説者はかなりいたことになる。ややこしい)を二重の間接話法で語られるというのがこの作品の中身である。


その前提となるアテナイの貴族的な生活において驚いたのが、ソクラテスなどアテナイ市民が、哲学者や医者、劇作者、政治家などとともに戦士であるということである。実際の兵士として戦場に立っていたものが他方ではこのような高踏的な宴席をしていると考えると、この時代の哲学者などの凄みを少し垣間見えるような気がした。


演説者はそれぞれはじめから、ファイドロス、パゥサニヤス、エリュキシマコス、アリストファネス、アガトン、ソクラテス、乱入してエロスではなくソクラテス賛美をはじめるアルキビヤデスの六人+一人である。


内容はそれぞれの論者がエロスについての様々な面を照らしていき、それをソクラテスがそれらは意見であって真実ではないと一蹴し、自分がディオティマという婦人から教えをこうた話を述べながらエロスを善きものへの愛でありそれは最終的には「智慧への愛」となると論じるにいたる、となる。


このソクラテスが自分の前に演説したアガトンに質問しながら相手の論をつぶしていく様は何というか・・・いやらしい。

『では、人は自ら欠いていて所有せぬものを愛求するものだということにわれわれは意見が一致した訳だねえ?』
『そうです、』と彼(引用者注・アガトン)はいった。
『するとエロスは美を欠いていて、それを持っていないことになるねえ?』
『必然に、』と彼は答えた。
『では、どうだろう?君は美を欠いていて、まるでそれを持たぬものを美しいと呼ぶわけか?』
『いいえ決して。』
『こういう次第でも、君はやっぱりエロスは美しいという意見なのかい。』
そこでアガトンはいった。『ソクラテス、僕のさきほどいったことは、どうも自分でもまるで分らなかったのかも知れませんね』
『でも君の話しぶりは実に立派だったよ、アガトン(とソクラテスは対えた)。だが、もう一つ一寸したことをいって貰いたい。善きものははまた美しくもあると君には思われないか。』
『ええ、そう思われます。』
『ところが、もしエロスが美しきものを欠いており、しかも善きものが美しいとしたら、彼はまた善きものをも欠いていることになるね。』
ソクラテス(と彼は答える)、僕は貴方に反対することができません、あなたの仰っしゃる通りでしょう。』
『いや、むしろ真理に対しては(とソクラテスはいう)、親愛なるアガトンよ、君は反対することができないのだよ。ソクラテスに反対するのは何もむずかしいことではないのだから。』


めちゃくちゃ嫌なやつであると思ったのは私だけだろうか?
この調子でソクラテスはアガトンをやり込めるのだが、面白いのは自らもディオティマとの対話を語るとき、ディオティマに同じようにやり込められていくさまを語るのである。

「では簡単に、人間は善きものを愛求する、とこういってしまってはいけないでしょうか。」
「いいですとも」と私(引用者注・ソクラテス)は答えた。
「ではいかがでしょう?(と彼女はいった、)人々は善きものを所有することをもまた愛求すると付け加える必要は無いでしょうか。」
「必要がありましょう。」
「それから(と彼女は言葉を続けた)、単にそれを所有することだけではなく、さらに所有することも、でしょう?」
「それもつけ加える必要があります。」
「では、(と彼女はいった)要するに、愛とは善きものの永久の所有へ向けられたものということになりますね。」
「全く仰っしゃる通りです、」と私は答えた。


相手の質問にたいして言うとおりだと答えるしかなくなる姿がとても先のアガトンとの対話に似ている。そしてソクラテスが語るエロス論はこのディオティマの考えを紹介することでなされているのでこの作品内でさまざまな考えを止揚する最終回答のようなものはとくに有名でもなさそうな婦人であるディオティマによってなされているといことになる。こういう所もテクストの解釈欲を駆り立てるところの一つだろう。


輪郭だけをなぞるようにきたが、なかなか自分なりに読みこなすということはできなかった。もう少し勉強した後で再挑戦したいものの一つだ。

アリストテレース『詩学』(松本仁助・岡道男訳)


要するに、『必読書150』(柄谷行人など『批評空間』という雑誌で活躍した批評家達や、彼らが在籍していた近畿大学の文学部の同僚である文学者・造形作家などが集まって作った主に人文科学・文学のブックリスト)である。

人文科学書50の最初が『饗宴』で、読んだが「ほえー」ってなもんだった(でも近々[研鑽]は書く)。次に挙げられていたのがこれである。詩、叙事詩・喜劇・悲劇など(特に悲劇)を理論的に考察し本質を説いた所であり、その詩を最もすぐれて成り立たせるための方法を挙げた技術論でもある。文芸を研究・批評するのはもちろん鑑賞して楽しむためにもこの古くもオーソドックスな前提は欠かせないだろう。たとえその技術論を成り立たせている前提、基本概念(詩は普遍性を描き、それぞれの形式には最もすぐれた固有の本質があり、それを立ち上がらせるための最もすぐれた方法がこれだ!)が今では徹底的に批判されているものだとしても。


岩波文庫ホラーティウスの『詩論』と一緒になって出ていたものを買ったが、本文と同じ位の(字が小さいから文字数は多い)注を見てため息。本文は100ページ弱だが注をふくめて倍になる。しかも注では原語がばんばん出てきてこういう意図でこう訳したということが書かれていたので、自分の能力に鑑みてばっさり飛ばした。


といいながら注をいくつか引用してみるのだが、このテクストのキー概念になるのが、「ミュートス(筋)」と「ミーメーシス(再現)」という概念である。この二つの概念についた注を引く。

(3)「筋」は、ミュートス(*本文原語)の訳。ミュートスという語は一般に、言葉、演説、物語、作り話、伝説、神話などを意味する。アリストテレースは、この語を一般的な意味(物語、フィクション、伝説、神話)で使用しているほか、さらにこの意味を深める形で、「(もろもろの)出来事の組み立て」(六章1450a4f.)、すなわち、(物語などの)構造とその原理という彼独自の意味で用いている。本書では、後者の場合、一般的な意味と区別するため「筋」という訳語を使用するが、「およその内容」という意味での「筋(あらすじ)」と混同してはならない。アリストテレースのいう筋は、悲劇の目的(テロス)であり原理(アルケー)である。つまり悲劇にその形態(構造)をあたえるものである(六章1450a22f.,38f.)。それは、(完結した一つの)行為の再現(ミーメーシス)であって(六章1450a3-5)、ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で生じる、不幸から幸福へ、または幸福から不幸への変転(メタパシス)を含むものである(七章1451a9-15)。筋には単一的なものと、複合的なものとがあり(一〇章1452a12-21、一三章1452b30-33)、また、別の分類によれば、単一なものと、二重のものとがある(十三章1453a12)。筋の要素としては、認知(アナグノーリシス)、逆転(ペリペテイア)、苦難(パトス)があ
げられる(十一章1452a22-b13)。

(8)ミーメーシス(*本文原語)の訳。ミーメーシス(動詞はミーメイスタイ*本文原語)はふつう、なんらかの対象を模倣・模写することによってその模像をつくること、およびその結果として生じる模像関係をあらわす。それは、模倣、模写のほか、ものまねをすること、俳優が役割を演じること、(手本などを)見ならうことなどの意味を含む。プラトーンはこの語を彼の哲学についても用いたが、それを文芸について用いるときは模倣、模写の面を強調し、芸術的模倣、模写によってつくられた感覚像は物事の本質(真実)をあらわすことができないと考えた(『国家』)。これにたいしアリストテレースは、『詩学』において、ミーメーシスという語をより積極的な意味で使用している。すなわち詩は、ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方でなされる行為のミーメーシスを通じて、普遍的なことを目指すことができる(ミーメーシスの対象である行為が「ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で」なされるというのは、行為のミーメーシス、すなわち筋(ミュートス)が「ありそうなこと」と「必然的なこと」の原理、内的統一の原理にもとづいて組みたてられることを含意する)。詩は、普遍的なこと、起る可能性のあることを語るゆえに、個別的なこと、実際に起ったことを語る歴史にくらべて、より哲学的であり、より深い意義をもつものである(九章151b4-7)。またそれは過去、現在のこと、人々がそうであると語ったり考えたりすることのみならず、そうあるべきことも描くことができる(二五章1406b10-11)。アリストテレースにとってミーメーシスの基準は、事物が模倣・模写されているかどうかという点だけにあるのではない。本訳ではミーメーシス(およびその関連語)は、「ものまねする、手本を見習う」などの意味で用いられる場合を除き、「再現」(representation)という訳語で統一したが、しかしこの語の本来の意味は「模倣・模写」であることを忘れてはならない。「ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で」という句については七章注(5)参照。


カッコ内の数字とアルファベットが何を指すのかさっぱりわからなかったが仕方なく写し、原語は自分のワープロソフトでどう出したらいいかよくわからなかったので割愛した。
この「筋」と訳されるミュートスと「模倣・模写」という本来の意味をもちつつ「再現」と訳されたミーメーシスという二つがこのテクストの中心概念になっていると思われる。


ここで「筋」とされている概念は、ちょっとだけ文学研究をかじってきた者からすると「プロット」のことかしらと思った。いわゆる筋立てであり、石原千秋先生(習った人なので先生づけ)によると継起的(それから〜それから〜)に起った出来事をたどっていくのがストーリーであるのにたいして、因果関係(なぜ〜どうして〜)から構成された出来事の関係がプロットであるという。注や本文でいえば「ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で」ということになる。プロットは特に定型的なエンターテイメントを書こうとするときにまず叩きこまれる技術であり、現在にいたるまでそのいくつもの定型的なプロットをもつ物語こそが多くの人を小説や物語の読書に向わせ、感動したり感情を動かされたりする一番大きな力であることは(それを通俗的なものとして否定するとしても)否めないところだろう。渡部直己は『必読書150』においてこの『詩学』が今でもほとんど通用してしまうことに偉大さとともに「情けない」という一語をたたきつけていたが、フィクションを書く上で王道中の王道を書いた最古の古典の一つを読むことによって、非常にこのプロット(と読んでいいかわからないが)の力を実感的に納得できたことは大きな収穫だった。


そうすると、そのプロットの定型的な組み合わせとはだいたい何であるかを知り体得してたいていの物語のパターンを見てとれるようになりたいと思うのが人情である。プロットの定型的な組み合わせを精細に研究した人といえばプロップやグレマスといった人が有名で、プロップなど31の要素(「禁止」「捜索」「密告」「主人公の変身」など)の組み合わせとして昔話の構造をあぶりだしたが(プロップ、グレマスも近々[研鑚]で書く)、『詩学』においても非常に簡潔な形でその組み合わせや要素が書かれている。それは注にもあるが「認知」、「逆転」、「苦難」である。「認知」はソポクレス『オイディープス王』においてオイディプスが出生の秘密を知るなどのその物語の確信となる事実を知るという出来事であり、同時にオイディプスのそれは主人公の境遇を大きく転換してしまう「逆転」を伴うものでもある(このような逆転をともなう認知こそもっともすぐれたかたちだとアリストテレスはいう)。「苦難」はホメロスオデュッセイア』におけるオデュッセウスの放浪そのもののような障害とのたたかいの過程のことだ。

この三つの要素の組み合わせによって筋がつくられるというシンプルかつ鋭い形式化から学べることは多かった。


次に「再現(ミーメーシス)」だが、こちらは少しややこしい。注にあるようにそれは「模倣・模写」であると同時に、「ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で」普遍的なものへと到達できるという考えにもとづいた「再現」でもある。また『詩学』から離れると宮台真司がよく話題にするある人から人などに対する「感染」をあらわしたりもするので意味がとりにくくなるが、ここでは『詩学』の注の意味で考える。


この再現(ミーメーシス)についてアリストテレスはこう述べる。

 一般に二つの原因が詩作を生み、しかもその原因のいずれもが人間の本性に根ざしているように思われる。
  (1)まず、再現(模倣)することは、子供のころから人間にそなわった自然な傾向である。しかも人間は、もっとも再現を好み再現によって最初にものを学ぶという点で、他の動物と異なる。(2)つぎに、すべての者が再現されたものをよろこぶことも、人間にそなわった自然な傾向である。このことは経験によって証明される。なぜならわたしたちは、もっとも下等な動物や人間の死体の形状のように、その実物を見るのは苦痛であっても、それらをきわめて正確に描いた絵であれば、これを見るのをよろこぶからである。
  その理由は、学ぶことが哲学者にとってのみならず、他の人々にとっても同じように最大のたのしみであるということにある。―ただし哲学者以外の人々が学ぶことにあずかる程度はかぎられているが。―じじつ、人が絵を見て感じるよろこびは、絵を見ると同時に、「これはかのものである」というふうに、描かれている個々のものが何であるかを学んだり、推論したりすることから生じる。人が実物を見たことがない場合、絵がよろこびをあたえるとすれば、それは、絵が再現であるからではなく、仕上げの巧みさ、色彩、あるいはこれに類する他の原因によるものであろう。
 再現することは、音曲とリズム―韻律がリズムの一部であることは明らかである―とともに、わたしたちの本性にそなわっているものであるから、最初は、これらのことがらに生まれつきもっとも向いている人たちが、即興の作品からはじめて、それをすこしずつ発展させ、詩作を生み出した。
  しかし詩作は、作者固有の性格にしたがって二つにわかれた。すなわち比較的まじめな性格の作者たちは立派な行為、すぐれた人間の行為を再現したが、割合軽い性格の作者たちは劣った人間の行為を再現した。前者が賛歌と頌歌をつくったのにたいし、後者ははじめ諷刺詩をつくったのである。


とてもわかりやすく書かれているが、ものすごい大胆な力業で多くのことを定式化している。この複雑で困難な問題をきわめて明快に定式化したところが、このテクストが今にいたるまで大きな影響力をほこる古典となった理由なのだろう。

私はポストモダン的といわれる考え方に強く影響された批評家や学者から文学についての考え方を学んだので、このようなメインストリームの考え方をよく理解もしないまま、反射的に眉に唾をつけてしまうことがままある。人間や創作の背後に疑いえぬ真実、普遍性を想定し、そこから整合的な定式を導きだしていくような考え方は、疑わしい!というわけである。


しかし疑う前にその王道になった方法の必然性や、その方法によって問題がきわめて明快に整理され見えてくるものがあるという魅力をきちんとおさえなければ、いくら眉に唾をつけても空疎な懐疑にしかならないだろう。そういう意味で力業といったが、その力技の威力に私は圧倒された。


引用部分で、再現は人間にそなわった本性であり、再現すること、再現されたものを見ることを人間は喜ぶ。それは経験的にわかると断言されている。そうですかー、としか言いようがない。たしかに自分の経験的な実感としてはその通りである。

そしてそう想定すれば「すなわち比較的まじめな性格の作者たちは立派な行為、すぐれた人間の行為を再現したが、割合軽い性格の作者たちは劣った人間の行為を再現した。前者が賛歌と頌歌をつくったのにたいし、後者ははじめ諷刺詩をつくったのである」というような「おいおい」といいたくなるような人間の性格類型と文芸のジャンルの相関関係の定式なども導きだせる。恐ろしいのはこれも「経験的には」たしかにだいたいそうかもしれないと思わせる説得力をもっていることだ。


このような再現のもっともすぐれた作者はホメロスだとアリストテレスはいう。

 ホメーロスは、これらのものすべてを最初に、十分な仕方で用いた詩人である。じっさい彼の二作品について見るなら、『イーリアス』は単一な構成であって苦難をあつかい、『オデュッセイア』は複合的な構成であって―なぜなら全体を通じて認知がおこなわれるからである―性格をあつかっている。さらにこれに加えて、語法と思想の点においても、ホメーロスはほかのすべての者にまさっている。


ここでなぜホメロスが最もすぐれているかの根拠とされているのが「筋」の巧みさということである。「ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で」組み立てられた筋が、作品全体において統一的に展開されている、そのような「再現」こそが人間の本性であり、普遍的なものに到達しうるものであるから、となるわけである。


私はホメロスはもちろんこの時代までの文芸自体読んでなく比較できない無教養人であるが、とりあえずこのテクストが現代にいたるまでのフィクションのもっとも大きな求心力をもった要素について明快にとらえている(今にいたるまでそのような影響をあたえた)ことはわかる。そしてそのようなメインストリームを提唱した最初期の古典を読むことによって実感的に理解することは、ピントがはじめて合ったと思わせるような充実感をもたらすことを知った。これが古典の力か。やはり『必読書150』なのである(経済学、法学に理系的な基礎教養が弱いとはいわれてるし、そこは補わなければならないのでしょうが)。

岡田暁生『西洋音楽史』


宮崎哲哉や稲葉振一郎など人文学的な論者からの高い評価が目立っていた本で、中公新書ということで手軽ということもあって読んでみた。


至高である(感化されやすすぎな馬鹿であるともいう)。


著者は西洋音楽史を書くにあたっての基本方針を以下のように述べる。

しからば音楽史の各時代へ向ける目の焦点距離を、いったいどのようなやり方で微調整するか。具体的にいえば私は、「クラッシックの時代」を語る場合にはその歴史化を、逆に「古楽/現代音楽の時代」を語る場合にはそのアクチュアル化を図りたいと思う。クラシックはできるだけ突き放して徹頭徹尾「歴史上の産物」として眺め、それが「なぜ/どこから生まれ、どこへ/どうして流れ去ったか」を考えたい。歴史的文脈に置くことで「異化する」といってもいい。一度その自明性を疑ってみたい。いずれにせよ、クラシックの「大作曲家」(バッハ、モーツァルトベートーヴェンシューベルトワーグナーブラームスマーラー等々)の「時代を超越した」偉大さや不滅性とやらを称揚するといったことは、私が一番行いたくないことである。
それに対して古楽/現代音楽の場合、なるべくそれらを、私たちにとって最もなじみのある「クラシックの時代」と関連づけるというアプローチをしたい。「中世」だとか「第二次大戦後」といったエポックを、それ自体で独立完結した音楽史の一チャプターとして眺めるのではなく、それらが「なぜ/どのようにしてクラシックの時代に流れて行ったのか」、あるいは「なぜ/どうやってクラシックの時代からここへ流れてきたのか」に思いを巡らせたい。それによって、これらの音楽が私たちにとって決して無関係ではないことを、少しでも読者に実感してほしいのである。

おそらくこのような意味で本書は、「音楽史」である以上に、「音楽の聴き方」についてのガイドであるといえるかもしれない。これは私が確信するところなのであるが、どんな音楽にも必ず「適切な聴き方」というものがある。聴き手の適切な感情の構え、適切な姿勢、適切な上演の場・・・・・・。どんなに素晴らしい音楽でも、場違いなところで聴けば台無しだ。尺八はコンサート・ホールで聴くものではないし、モダン・ジャズを早朝に聴いても気分が出ない。ミサ曲をバーで聴くなどもってのほかだし、グレゴリオ聖歌を学校の味気ない視聴覚室で聴かせても何の共感も得られまい。このように書くとまるで時代遅れのモダニスト呼ばわりされそうだが、別段私は、道徳的な意味でこのようにいうのではない。レクイエムをトイレで聴くのは冒瀆などといいたいのではない。「本場が一番」的なスノビズムとも一線を画したい。ただ私は、これまでの経験から、「場違い」だとどうしても音楽から得られる歓びが減じられてしまうという、いたってエピキュリアン的な動機から、このことがいいたいだけである。「いつどこでどう聴いてもいい音楽」などというものは存在しないのであって、「音楽」と「音楽の聴き方」は常にセットなのだ。
「ある音楽を聴いてもチンプンカンプンだ」という場合、ほとんど間違いなくその原因は、この「場違い」にあると、断言できる。私たちの聴き方が、近代のクラシック音楽のそれによってあまりに強くバイアスをかけられているせいで、多くの音楽が何かしら遠いもの、つまり歴史上の音楽に聴こえてしまうのだ。本書がしばしば―時として音楽そのものについて以上に―音楽の文化史的なバックグラウンドに言及するとすれば、それは「どんな人が、どんな気持ちで、どんな場所で、どんなふうに、その音楽を聴いていたか」を、可能な限り活写したいという気持ちからである。本書で見るように西洋音楽は、楽譜や録音といった、音楽をいつでもどこでも可能な限り正確に再生できるメディアを、高度に発展させてきた。ややもすると人々は、東京で聴こうがウィーンで聴こうがナポリで聴こうが、ベートーヴェンの《エロイカ》はいつも《エロイカ》だと思いがちである。だが私自身は、たとえ西洋音楽といえども、それはあくまで深く「場」に根ざした音楽、つまり徹頭徹尾「民族音楽」であると確信している。たとえそれが「世界最強の民族音楽」であるとしても。


「どんな音楽にも必ず『適切な聴き方』というものがある」、そしてあらゆる音楽がその影響力の大小を問わず「徹頭徹尾『民族音楽』である」こと。


つまりこの本のもたらす認識によって、音楽のあちらこちらにスモール・サークルを作ってのさばっているスノッブ(この言葉は教養のない人間があるようになりきって生半可な価値判断で知ったかぶりをしたり、知識争いをする俗物を揶揄した語でもある。書いてて学生時代の自分を思い出すと胸が痛い。)に、自分がはまっている音楽は「適切な聴き方」をしたから凄いと思え、それより価値のないと思う音楽は「適切な聴き方」をしていないから駄目だと思っただけで、まずそれらの音楽のポテンシャルを「適切な聴き方」によってある程度正確に把握してから価値判断をしているのか、とつきつけることが可能になる。そして私の知り合いの中でこの弊にはまっていない人間はいなかった。その弊を自覚している者すらである。


また毎回有益な文献の紹介や興味深いトピックを論じている死に舞氏の「センス競争は悪か?」という重要な問題を扱った考えなども、同じような問いにさらされるだろう。私は死に舞氏のセンス競争によって文化は広まってきたという考えには一理あると思うが、それは同時に上記のスノッブという俗物の見苦しいふるまいによってでもあり、そのことに対する自己批評、あるいはそのようなスノッブや別の形の「俗物」によってしか文化は広まりえないとするなどの痛みが語られていないところがまだ不十分だと思った。そしてその問題を考える上でもこの本に貫かれた音楽を「適切な聴き方」とセットで考え(逆にいえばどんな時でも通用する音楽や、このような聴き方の時もっとも凄いと思える音楽が一番だという「聴き方」の序列づけを否定して)、その「適切な聴き方」によって対象の音楽の魅力を認識しなければ価値判断も考察もできない(それ以前の話となる)とする認識は有益な示唆をあたえるはずである。


著者のこのような姿勢はくりかえし言及されるが、西洋芸術音楽とは何かをまず定義するところでもその姿勢と、その上での明快な西洋芸術音楽の定義がなされる。

本書は「西洋芸術音楽」の歴史である。いうまでもなく西洋にも、芸術音楽以外の多くの音楽(民族音楽の類)が存在していた。だがわれわれがここで辿るのは、俗に「クラシック」と呼ばれている芸術音楽のルーツだ。しからば芸術音楽とはいったい何なのか?歴史に入るより前に、まずはこの対象を規定することから始めよう。最初に私が強調しておきたいのは、本書で「芸術音楽」という時、それは断じて「質」―「芸術音楽=高級な音楽=西洋クラシック」といった―の問題を指しているのではないということである。むしろ芸術音楽とは、数ある音楽の「ありよう」(祭りや宗教で使われる音楽、映画音楽やコマーシャル・ソング、ダンス・ミュージックや軍楽等々)の中の、一モードにすぎない。「芸術音楽とは芸術として意図された音楽のことだ」と、とりあえずはいっておこう。つまり芸術として意図された音楽の中にもくだらないものはいくらでもあるし、芸術を意図していない音楽の中にも秀でもは多いということである。
しからば「芸術」としての音楽のありようとはいったい何なのか?端的にいえばそれは、「楽譜として設計された音楽」のことである。「設計=構成されるコンポジションとしての音楽」が芸術音楽だと考えれば、まずは民謡や民族音楽がそこから除かれる。それらは後から採譜されることはあっても、もとから「書かれた=設計された音楽」であったわけではない。ジャズのように即興性が高いものも同様だ。ポピュラー音楽もまた、しばしば楽譜に「書き起こされる」ことはあるにしても、ベートーヴェンマーラー交響曲のように隅々まで前もって楽譜上で設計される音楽とはいえない。ギター片手にボロンボロンと音を探るのではなく、紙の上で音の設計図を組み立てるという知的な性格を強く帯びているのが、芸術音楽である。どこか門外漢には容易に近づき難いという印象を与えるのも、民謡などに比べてはるかに複雑で大規模な楽曲を作ることが可能になるのも、すべて芸術音楽のこの「書かれたもの(エクリチュール・ルビ引用者注)」的性格によるものである。


「芸術として意図された音楽」とはやや曖昧に見えるが(その「芸術」の内実はそれぞれの時代の芸術観をふまえて各章でまた明快に説明される)、芸術音楽を「楽譜として設計された音楽」を看破しているところは凄い。客観性のないファンのようなひいきの価値判断をふくまずに、しかしその音楽の凄さや特長の要因をつかむ定義である(本書ではもっと正確に「それは『知的エリート階級(聖職者ならびに貴族)によって支えられ』、『主としてイタリア・フランス・ドイツを中心に発達した』、『紙に書かれ設計される』音楽文化」と定義されている)。


またその西洋芸術音楽が大まかにどの地域が中心となり、それが時代とともにどの地域に移り変わってきたかという大きな地政学(?)的な捉え方も目からうろこである。

・・・古代ギリシャ・ローマ文明と後の西洋世界との間に深い断絶があることも、忘れてはなるまい。つまり古代ギリシャ・ローマ文化はゲルマン人の侵入によって一度解体されたのであって(西ローマ帝国の滅亡が四七六年である)、その後は諸民族が入り乱れ、しばらくは混沌とした時代が続いた。ヨーロッパが再び統一的な文化圏を形成するようになる(つまりヨーロッパがヨーロッパになる)のは、カール大帝(八〇〇年戴冠)フランク王国以後のことである。
カール大帝が統一したのは、今のイタリア北部とドイツおよびフランスのほぼ全域だった。つまり地域的にもそれは、アフリカ北部やイスラエルあたりまでを包含する環地中海文化圏であったローマ帝国と、相当に異なっていた。むしろ現代のEUの原型となったのが、カール大帝フランク王国だったというべきだろう。彼はさまざまな法制を整備し、支配地域のキリスト教化を進め、学者や芸術家を宮廷に招いて文化振興に尽くした。そした後は西洋独特の「書く音楽文化」の萌芽も、ここから生まれてきた。つまり芸術音楽のはじまりは、時代的にほぼ西洋世界の成立と一致しており、そしてこの西洋世界とはイタリア・フランス・ドイツの文化トライアングルのことだったのである。
ここから西洋芸術音楽についての重要な地域的定義が出てくる。つまり「芸術音楽」とは、イタリア・フランス・ドイツを中心を発展してきた音楽なのである。ロシアなどはいうまでもなく、中央ヨーロッパ文化圏から外れるイギリスなども、芸術音楽の歴史全体の中では、あくまで辺境にとどまり続けた。この「アングロサクソンは西洋芸術音楽の主流ではなかった」という点はとても大事で、実際イギリスからはなぜか「大作曲家」がほとんど現れなかったこと(せいぜいパーセルエルガーブリテンくらいか?)は瞠目に値する。対するに現代のポピュラー音楽帝国がアングロサクソン主導であることも興味深い。「西洋音楽史」の実体とは「伊仏独芸術音楽史」(EU音楽史とすらいえるかもしれない)に他ならないのである。


クラシックといわれるような音楽中心からポピュラー音楽中心の世界へなっていくのが、イタリア・フランス・ドイツのヨーロッパ中心の音楽からイギリス・アメリカ中心の音楽へのシフトとパラレルであるというのは、いわれてみればという感じで何かはよくわからないが得心のいく指摘である。それは漠然とした芸術音楽が、内実に近い形でそれぞれ意味を限定されつかまれたということでもある。


以下本書ではそれぞれの時代について同じように明快かつ虚をつかれる指摘で展開していく。個人的にはベートーヴェンの以下のような指摘はとても得心のいくものだった。

ハイドンモーツァルトには見当たらず、ベートーヴェンになって初めて現れるのは、この「右肩上がりに上昇していく時間の理念」である。コーダへ向けて、終楽章めがけて、いやましに昂陽していく音楽―ここにヘーゲルマルクスダーウィンを生んだ一九世紀的な進歩史観の刻印を見ることはたやすい。

・・・

この「限りない昂陽の追求」とでも呼ぶべき傾向と並んで、彼の音楽の中の消し去ることができない何か集団(マス)的な調子にも、注意をうながしたいと思う。それは―少々皮肉な言い方をするなら―シュプレヒコールを叫びながら行進していく群衆のごときノリだ。

・・・

《第九》が啓蒙の時代の「すべての人々に開かれた音楽」という理念の究極の到達点だったことは間違いない。「一〇〇〇人の第九」といった催しが照明しているように、ここでは万人が参加できる音楽の祝典が、本当に実現されている。

・・・

「音楽の万人への開放」という理念が本当に実現された時、それは「集団へ熱狂的に没入する快感」ともいうべきものと紙一重のものになったのである(晩年の弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタベートーヴェンが、あたかも《第九》終楽章への反動のように集団的熱狂を拒絶し、群集的なものから個人を徹底的に切り離して、誰とも分かち合うことができない孤独へ沈潜することを聴衆に求める秘境的な音楽を書いたことも、決して忘れてはならないが)。


私は「音楽の万人への開放」が「集団へ熱狂に没入する快感」につながることを美学的にあまり(場合にもよるが一般的にその現象自体を)醜いとも思わず否定もしないが、そういうものを嫌う人がいるのもよくわかる。そしてそのような私が主にロックから学んできたようなマスの音楽がベートーヴェンというビッグネームから用意されてきたものだというのを改めて本書がはっきり名言していたことが色々と刺激になった。


この本から私が学んだことは、結局音楽を言葉で語る、書くのならばその音楽を聞いたことのない者に対して、相手が自分と共有している知識や音楽、あるいは経験を使ってその音楽の特質・特別だと思える感触を伝えていこうとしなければ意味のある(公共性のある)対話にはならないし、純粋にその音楽の内実により近づいた認識を得るためにもその作業は不可欠であるということだ。語りえないものや、経験しなければわからない凄さを、どこまで誰でも手にできる道具でおいつめることができるか、凡庸な「公共性」をこえたものを記述できるとしても、それは上記の前提をふまえられてからのはなしではないだろうか。

いじめと現代社会BLOG開設


最近社会学者の内藤朝雄氏が双風舎から『いじめと現代社会』という本を出した。それにともなって成城トランスカレッジのchiki氏が「いじめと現代社会BLOG」というキャンペーンブログをはじめた。内藤朝雄氏は素晴らしい学者として私も尊敬しており、その著書『いじめの社会理論』に震撼させられた。今回の本に収録されている「図書新聞」で連載された記事も時折読んではシャープだと感じていたので、このBLOGを応援するべく、内藤朝雄氏のブログとともにリンクする。いじめと現代社会BLOGにある内藤氏が通っていた東郷高校のレポートには絶句せずにはいられない。

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