人文的な知とその他者−佐藤優『国家の罠』を入口に

レポーター shfboo

0.はじめに−自己紹介と今回のねらい

 文学研究会のみなさま、知ってる人・はじめての人・入部するかどうか様子を見てる方など、今回若干のレクチャーをさせていただきますshfbooと申します。それなりにまっとうにかつ香ばしく(笑)やらせていただくつもりですのでおつきあいねがいます。私はOBで昔こちらでお世話になっていました。読書会などでは課題の本にたいしてかなり思い込みの強い解釈を主張しては、互いにアイデンティティをかけて論争し、恨みをかかえあう荒廃した幕切れや、果ては流血ざt(以下自主規制)。それが今となってはよかったといっていいのか、なくてもよかった気がするというか(笑)、いろいろ思うところはありますが、今回はそのようなことはなく!(笑)それなりにヴィヴィットな話と半ば妄想かもしれないはったりとアジテーションをして盛り上げていこうと思います。

このレクチャーでは、みなさまにいろいろ意見や感想を随時きいていきたいと思います。その時はブレインストーミングと呼ばれるやり方でみなさまの話を聞いていきたいと思います。ブレインストーミングとは一般の議論とはちがい、参加者が自由にアイデアを出し合っていって、それらを互いに否定せずむしろ突飛で新規な発想を歓迎していくことで多角的かつ独創的に問題を検討していくというやり方です。なのでみなさまもできるだけ多様かつ自分の経験などに基づいた偏った意見を飛ばしていってください。また議論好きの人は今回のレギュレーション(規制)を上記のようにしていますので性急に批判や論破などしようとしないように(笑)*(下記注)

 一応テーマは「人文的な知とその他者」と壮大ですが、まずは一冊の本を入口にはじめます。佐藤優の『国家の罠』という本です。新潮文庫で700円位の値段で出ています。余裕のある方はぜひ購入して読んでみてください。もちろん未読でも問題のないようにします。この本の詳しい話はレジュメの1にゆずるとして、まず人文的な教養にもあふれそれを外交官という国の重大な仕事において活用していた人の姿を通してここで考えたい「人文的知」やそれが社会にどう活かされているかについて軽く見ていきます。佐藤優という人のいろいろな本や媒体での発言で目から鱗がおちるようなものもいくつか紹介していきたいと思います。

 つぎにここで私が「人文的知」といっているものについてやや独断すぎるくらい強引にその概念の暗黙のニュアンスのようなものを読み解いていきます。その裏テーマは(これは今回の勉強会をつらぬく真のテーマといってもいいのですが)以下です。

「なぜみなさまは、よりによって文学研究会の勉強会などにきてしまったのか(笑)」
「そういう文学や思想などにひかれる人が共通してもっている資質のようなものはあるのか」
「あるとしたらそれは人文的知にひかれる人の多くも共有している資質なのではないか」

 だいたいこんなことを「崇高な理念(恒久平和?非暴力?他者との対話や寛容にむかう高次の人間性?)をなんらかのかたちでたもつこと」、「自らの内面の見つめていくことで世界の普遍性へと到達するという夢」、「メインストリーム(主流)の風潮や常識になじめずこぼれでる自分を通して、それらのメインストリームの欠陥を発見し、根本的な変化やオルタナティブを創ることができるという観念」などの仮説をみなさまに提示し意見をもらっていくことで、人文的知そして自分自身についていくらか考えていけたらと思っております。これは私の用意した仮説がすべて大はずれで激すべりという可能性もあるんですが(苦笑)、そのときはいさぎよく負けを認め(笑)、独断とはちがう一般に通じる意味での人文的知に関する知識も用意しておきますのでご容赦ください。

 そして最後に人文学的知の輪郭をある程度知ったところで、その人文学的知の他者、といっていいのかわかりませんが、まあ人文学にひかれる人がおうおうに苦手になりがちでまた軽視してしまいがちな分野―しかも今ではそちらの方が勢いがあり人文学を圧倒しているような現状がある−について多少考えていきたいと思います。とりあげるのは情報技術(工学的知)、バイオテクノロジー(特に遺伝についてなど)、物理学、そしてこれらは人文学にもふくまれはするんですが経済学、統計学など。これらの有用性と人文的知にとっての他者性みたいなものについて現在話題になっているトピックや本を通して概観し、これらのものも知りむきあう中で自分なりの知のかたちを考えてもらえたら…と思っております。

 このレクチャーの目的は以上の通りです。なるべく退屈させないようエンターテインモードでやりますので、できればおつきあいねがいます。

* 注 ブレインストーミングについて。Wikipediaより(笑)
・量を重視する
イデア創出の段階では、質よりも量を重視する。一般的な考え方・アイデアはもちろん、一般的でなく新規性のある考え方・アイデアまで、あらゆる提案を歓迎する。
・批評・批判をしない
多くのアイデアが出揃うまでは、各個人のアイデアに対して、批評・批判することは慎む。個々のメリット・デメリットなどの評価は、ブレインストーミングの次の段階で行う。批評・批判については、各自メモをとるなどしておく。
・粗野な考えを歓迎する
誰もが思いつきそうなアイデアよりも、奇抜な考え方や、ユニークで斬新なアイデアを重視する。新規性のある発明は、たいてい最初は笑いものにされる事が多く、そういった提案こそを重視すること。
・アイディアを結合し発展させる
別々のアイデアをくっつけたり、一部を変化させたりすることで、新たなアイデアを生み出していく。この過程こそが、ブレインストーミングの最大のメリットである

1.佐藤優国家の罠』―ある人文的知識人かつインテリジェンス(情報、諜報)の役職にいた人について

佐藤優とは外交官でロシア通として鈴木宗男とタッグを組み、北方領土返還にむけた交渉などで活躍された方です。しかし、鈴木宗男氏が収賄容疑で逮捕された時、連座で佐藤氏も逮捕され、有罪判決を受けています(現在まだ裁判は終了しておらず、外務省も起訴休職中です)。一年以上の獄中生活後、その経験をもとに今回の事件について書いたのがこの『国家の罠』であり、それがベストセラーとなり、また佐藤優の特異な経歴やその教養に読書人はおどろき、一躍佐藤優は時の人となりました。

その特異な経歴とは佐藤優はクリスチャンであり同志社大学の神学部の大学院までいっており、英語、ラテン語ギリシア語、ドイツ語、チェコ語などに堪能で(チェコ語は自分の研究対象がチェコスロバキア神学者だったかららしいですが、他の語は神学研究では必須らしいです)、その後外務省に二級職員として入りロシア担当としてロシア語も習得しつつその神学的教養を武器に他の職員では得られない情報や情報源とのアクセスを次々とものにしていく…、そして逮捕され拘留されたときも数百冊の本を読み、とくにヘーゲル精神現象学』を読み込み感銘をうける…などなど佐藤氏の教養の高さ、また人文的な知の造詣の深さとそれを外交官という国の利害の最前線をになう役職に活かしている姿などが大きなインパクトとなって、出所後二十をこえそうなほどの連載をかかえる論壇の寵児になったというわけです。

さてそのその佐藤優が『国家の罠』で書いたことは、ひとつが「国策捜査」について(この言葉は佐藤氏の本によって市民権を得ました)、また外交官時代に佐藤氏がしていた「インテリジェンス(情報、諜報)」の仕事についてもいくらか書かれています。そこで本のメインテーマである「国策捜査」について、次に佐藤優が読書人に大きな評価を受けた理由である「インテリジェンス」について『国家の罠』とその他の佐藤氏の本などから適宜引きつつざっと見ていきます。

一、国策捜査

 『国家の罠』で書かれている事件をこの本の主旨にあわせて5W1Hで要約すると、こうなるでしょうか。

佐藤優が、2002年から現在にいたるまで、日本において、特捜検察に、鈴木宗男に象徴される「経世会的政治」の終焉を告げる「時代のけじめ」のために、「背任」などの罪をかなり無理なかたちで作り上げられ、起訴、有罪にされようとしている。

以下口頭で説明します。

国策捜査は「時代のけじめ」をつけるために必要だというのは西村氏がはじめに使ったフレーズである。私はこのフレ
ーズが気に入った。
「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査
『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪す
るのです」
「見事僕はそれに当たってしまったわけだ」
「そういうこと。運が悪かったとしかいえない」
「しかし、僕が悪運を引き寄せた面もある。今まで、普通に行われてきた、否、それよりも評価、奨励されてきた価値が、
ある時点から逆転するわけか」
「そういうこと。評価の基準が変わるんだ。何かハードルが下がってくるんだ」
「僕からすると事後法で裁かれている感じがする」
「しかし、法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。特に政治家に対する国策捜査は近年驚くほどハード
ルが下がってきているんだ。一昔前ならば、鈴木さんが貰った数百万程度なんか誰も問題にしなかった。しかし、特捜の
僕たちも驚くほどのスピードで、ハードルが下がっていくんだ。今や政治家に対しての適用基準の方が一般国民に対して
よりも厳しくなっている。時代の変化としか言えない」
「そうだろうか。あなたたちが(検察)が恣意的に適用基準を下げて事件を作り出しているのではないだろうか」
「そうじゃない。実のところ、僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準を決めなくてはなら
ない。僕たちは、法律専門家であっても、感覚は一般国民の正義と同じで、その基準で事件に対処しなくてはならない。
外務省の人たちと話していて感じるのは、外務省の人たちの基準が一般国民から乖離しすぎているということだ。機密費
で競走馬を買ったという事件もそうだし、それを断罪するのが僕たちの仕事なんだ」
「一般国民の目線で判断するならば、それは結局、ワイドショーと週刊誌の論調で事件ができていくことになるよ」
「そういうことなのだと思う。それが今の日本の現実なんだよ」
  

「君の言う、『あがり』は全て地獄の双六という表現は、とってもいいし、正しいと思うよ。ただし、いつも言っているこ
とだけど、僕たち(特捜部)は、冤罪はやらないよ。ハードルを下げて、引っかけるんだ。もっとも捕まる方からすると
理不尽だろうと思うだろうけどね」
「なかなか『悪かった』と謝る気持ちにはならないだろうね。強いて言うならば『悪かった、悪かった、運が悪かった』
ということだろうな」
「アハハハ。そうそう運が悪い。ただね、国策捜査になった人に対する礼儀というものがあるんだ」
「どういうこと」
「罪をできるだけ軽くすることだ。形だけ責任をとってもらうんだ」
「よくわからない。どういうこと」
「被告が実刑になるような事件はよい国策捜査じゃないんだよ。うまく執行猶予をつけなくてはならない。国策捜査は、
逮捕が一番大きいニュースで、初公判はそこそこの大きさで扱われるが、判決は小さい扱いで、少し経てばみんな国策捜
査で摘発された人々のことは忘れてしまうというのが、いい形なんだ。国策捜査で捕まる人たちはみんなたいへんな能力
があるので、今後もそれを社会で生かしてもらわなければならない。うまい形で再出発できるように配慮するのが特捜検
事の腕なんだよ。だからいたずらに実刑判決を追及するのはよくない国策捜査なんだ」
「それにしては、村上正邦(元労働相)と国策捜査では実刑ばかりが続くじゃないか」
中村喜四郎の場合は、過激派みたいにほんとうに黙秘するもんだからこっち(検察)だって『徹底的にやっちまえ』と
いう気持ちになるよ。それ以外については、どうして実刑になったかは、実のところ僕にもよくわからないんだ。むしろ
政治家に対して裁判所の姿勢が厳しくなっていることの方に理由があると思う」
 

 二、インテリジェンス(情報、諜報)

「こうした冷戦構造の崩壊を受けて、外務省内部でも、日米同盟を基調とする中で、三つの異なった潮流が形成されて
くる。そして、この変化は外部からは極めて見えにくい形で進行した。
第一の潮流は、冷戦がアメリカの勝利により終結したことにより、今後長期間にわたってアメリカの一人勝ちの時代
が続くので、日本はこれまで以上にアメリカとの同盟関係を強化しようという考え方である。
具体的には、沖縄の米軍基地移転問題をうまく解決し、日本が集団的自衛権を行使することを明言し、アメリカの軍事
行動に直接参加できる道筋をきちんと組み立てれば、日本の安全と反映は今後長期にわたって保証されるという考え方である。この考え方に立つと日本は中国やロシアと余計な外交ゲームをすべきではないということになる。これを狭義の「新米主義」と名づけておく。
第二の潮流は、「アジア主義」である。冷戦終結後、国際政治において深刻なイデオロギー上の対立がなくなり、アメリ
カを中心とする自由民主主義陣営が勝利したことにより、かえって日米欧各国の国家エゴイズムが剥き出しになる。世界は不安定になるので、日本は歴史的、地理的にアジア国家であることをもう一度見直し、中国と安定した関係を構築することに国家戦略の比重を移し、その上でアジアにおいて安定した地位を得ようとする考え方である。一九七〇年代後半には、中国語を専門とする外交官を中心に外務省内部でこの考え方の核ができあがり、冷戦終結後、影響力を拡大した。
第三の潮流は「地政学論」である。「地政学主義」とせず「地政学論」としたのは、この考え方に立つ人々は、特定のイ
デオロギー(イズム=主義)に立つ外交を否定する傾向が強いからである。その基本的な主張は次のようなものだった。
東西冷戦期には、共産主義に対抗する反共主義で西側陣営が結束することが個別国家の利益に適っていたので、「イデオ
ロギー外交」と「現実主義外交」の間に大きな開きはなかったが、共産主義というイデオロギーがなくなった以上、対抗イデオロギーである反共主義も有効性を喪失したと考える。その場合、日本がアジア・太平洋地域に位置するという地政学的意味が重要となる。つまり、日本、アメリカ、中国、ロシアの四大国によるパワーゲームの時代が始まったのであり、この中で、最も距離のある日本とロシアの関係を近づけることが、日本にとってもロシアにとっても、そして地域全体にとってもプラスになる、という考え方である。
この「地政学論」の担い手となったのは、冷戦時代、「日米軍事同盟を揺るぎなき核として反ソ・反共政策を貫くべき
だ」という「対ソ強硬論」を主張したロシア語を専門とする外交官の一部だった。さらに、彼らは日本にとっての将来的脅威は、政治・経済・軍事面で影響力を急速に拡大しつつある中国で、今の段階で中国を抑え込む「ゲームのルール」を日米露三国で巧みに作っておく必要があると考えたのである。「地政学論者」の数は少なかったが、橋本龍太郎政権以降、小渕恵三森喜朗までの三つの政権において、「地政学論」とそれに基づく日露関係改善が重視されたために、この潮流に属する人々の発言力が強まった。」


小泉政権の誕生により、日本国家は確実に変貌した。私はこれまで、私自身が見聞きしたことを中心にその変貌をたど
ってきた。この章のまとめとして外交政策、外務省を巡る政官関係に絞って、その意義を簡単に整理してみたい。
第一は、外交潮流の変化である。
トリックスター田中真紀子女史が外相をつとめた九ヶ月の間に、冷戦後存在した三つの外交潮流は一つに、すなわち「新米主義」に整理された。
田中女史の、鈴木宗男氏、東郷氏、私に対する敵愾心から、まず「地勢学論」が葬り去られた。それにより「ロシアス
クール」が幹部から排除された。次に田中女子の失脚により、「アジア主義」が後退した。「チャイナスクール」の影響力も限定的になった。
 そして「新米主義」が唯一の路線として残った。九・十一同時多発テロ事件後の国際秩序を「ポスト冷戦後」、つまり冷
戦、冷戦後とも時代を異にする新しい枠組みで捉える傾向があるが、日本は「ポスト冷戦後」の国際政治に限りなく「冷
戦の論理」に近い外交理念で対処することになった。
第二は、ポピュリズム現象によるナショナリズムの昂揚だ。
 田中女史が国民の潜在意識に働きかけ、国民の大多数が「何かに対して怒っている状態」が続くようになった。怒りの
対象は一〇〇パーセント悪く、それを攻撃する世論は一〇〇パーセント正しいというニ項図式が確立した。ある時は怒り
の対象が鈴木宗男氏であり、ある時は「軟弱な」対露外交、対北朝鮮外交である。
 このような状況で、日本人の排外主義的ナショナリズムが急速に強まった。私が見るところ、ナショナリズムには二つ
の特徴がある。第一は、「より過激な主張が正しい」という特徴で、もう一つは「自国・自国民が他国・他民族から受けた
痛みはいつまでも覚えているが、他国・他国民に対して与えた痛みは忘れてしまう」という非対称的な認識構造である。
ナショナリズムが行きすぎると国益を毀損することになる。私には、現在の日本が危険なナショナリズム・スパイラルに
入りつつあるように思える。
 第三に、官僚支配の強化である。外務省を巡る政官関係も根本的に変化した。小泉政権による官邸への権力集中は、国
会の中央官僚に与える影響力を弱め、結果として外務官僚の力が相対的に強くなった。ただし、鈴木宗男氏のような外交
に通暁した政治家と切磋琢磨することがなくなったので、官僚の絶対的力は落ちた。」

「『改訂新版 世界大百科事典』について 佐藤 優
平凡社 2008年 「月刊 百科」No・543より

確か、その二日後に百科事典が届いたと記憶している。立派な本棚がついていた。階段の下にこの本棚を設置した。最初、
無線工学関係の項目ばかりを漁って見ていたが、記述がなかなかわかりやすい。それから、当時、私はハンガリーのペン
フレンドと文通を始めたばかりだったが、ハンガリーの歴史や詩人などについて、この百科事典を見ると詳しく出ている。
私は百科事典の魅力にすっかり取り憑かれてしまい、結局、中学生時代、高校生時代に一回ずつ、『世界大百科事典』全三
五巻を通読した。

高校時代、文芸部にいた友人から、サルトルの小説のどこかで、図書館で百科事典を第一巻から読んでいる「独学者」を
揶揄しているところがあったという話を聞いて、私も「独学者」の類の変人かと一時期思ったこともあるが、それでも百
科事典を読むのは楽しいので、通読を続けた。このときついた知識は、その後、外交官となり、そして刑事事件に巻き込
まれたことを契機に文筆で糊口をしのぐようになってから役に立っているのだ。今でも、当時きちんと読んだ『世界大百
科事典』の記述については、だいたい記憶に残っている。

父が私にこの百科事典を買ってくれた頃は、インターネット時代の到来を誰も予測していなかった。インターネットの「ウ
ィキペディア」で、情報はただで手に入れることができるので、高価で、場所ふさぎの百科事典を買う必要などないとい
う意見もときどき耳にするが、私の見解ではこれは少なくとも三つの理由で間違っている。

第一の理由は、「ウィキペディア」などの誰もが書き込むことができるインターネット百科事典は、編集権が不在であるこ
とだ。『世界大百科事典』の場合、老舗出版社である平凡社が社運をかけて、優れた編集チームを作って、当該分野の第一
人者に執筆を依頼している。もし、間違えた記述や、不適切な解説があった場合、責任を負う者や法人がある表現物とそ
うでない表現物は、信憑性が根本的に異なる。

第二の理由は、人間は基本的にケチな動物なので、自分でカネを出した書物に書かれている内容は、タダの情報よりも身
につくからだ。私のところにも多数の献本が来るが、ほんとうに読みたいと思う本については、献本は友人に寄贈し、別
途、近所の本屋で同じ本を買う。その方が内容が記憶によく定着するのである。

第三の理由は、より哲学的なものだ。インターネットの情報は、書き込みによって肥大していく。常に更新されていくの
は、最新情報を入手するという観点では確かに便利である。しかし、それでは、「百科事典(エンチクロペディー)」が本
来果たそうとした機能が果たせないのである。

百科事典の目的は、単なる物知り辞書ではない。歴史をある時点で切断し、その時点での体系知の構造を提示するのが本
来の目的なのだ。要するに、百科事典に収録されている内容は、その時点での、当該言語を使う文化圏での、独自の体系
知を提示することである。一八世紀のディドロダランベールらの『百科全書』、一九世紀にヘーゲルが心血を注いで作っ
た『エンチクロペディー』もその時代の当該文化圏における体系知を提示するということで、まさに百科事典なのである。

ロシアの例を見てみよう。二〇世紀初頭に『エフロン・ブロックハウス』という本格的な百科事典が完結したが、これは
帝政ロシアの体系知なので、ソビエト政権は再版を許さずにソビエト大百科事典第一版(一九二六〜四七年)を作った。
この百科事典ではスターリンの意向に沿わない部分があるので、第二版(一九五〇〜六〇年)が刊行された。この百科事
典の内容にブレジネフ政権の意向に合致しない部分があるため、更に三版(一九六九〜八一年)が刊行された。ソ連崩壊
後のロシアになってから国家プロジェクトとして刊行された『ロシア大百科事典』(二〇〇四〜〇六年)は、現時点におけ
るロシアの体系知を示している。本来、百科事典編纂作業は国家プロジェクトとして行うべきであるが、平凡社の力量に
日本国家が甘えているということなのであろう。実際、『世界大百科事典』の内容は、ロシアが国家プロジェクトで作成し
た百科事典に匹敵する。

『改訂新版 世界大百科事典』(二〇〇七年)を見れば、現段階における日本の体系知がどのような状況にあるかがよくわ
かる。例えば、日本では、インテリジェンス体制を整備する必要性が述べられているが、その基礎となる教養としてどの
レベルが求められるかについての見解の一致がない。私は『世界大百科事典』に収録されている情報をインテリジェンス
の基礎教養とすれば、CIA(米中央情報局)、SIS(英秘密情報部、いわゆるMI6)、モサドイスラエル諜報特務局)、SVR
(露対外諜報庁)に匹敵するインテリジェンス機関の創設が可能と思う。裏返して言うならば、この百科事典に出ていな
い情報は、知らなくてもインテリジェンスのプロとして恥ずかしくないということである。

旧版と較べ、改訂新版の内容が向上していることも間違いない。ヘーゲルが『法の哲学』で知恵のシンボルであるミネル
バのふくろうは「夕闇を待って飛び立つ」と言ったが、百科事典の記述は、基本的に定説、通説を中心とするので保守的
だ。編集者がよほどしっかりした問題意識をもっていないと、時代遅れの記述ばかりが並んでしまう。この点『改訂新版 世
界大百科事典』編集部は細心の注意を払っている。例えば、冥王星に関する記述を見てみよう。重要な付記がなされてい
る。

〈二〇〇六年八月、国際天文学連合IAU)は総会で惑星の新しい定義案を採択し、これによって冥王星は惑星の地位を
失うこととなった。/編集部〉

これで、天文関係のニュースに深い関心をもっていない人でも、冥王星がもはや太陽系の惑星には含まれていないという
のが、専門家の「常識」であることを知ることができる。

また、アイヌに関する記述が全面的に改訂されている。先住民族の地位が国際的に強化されていることを踏まえ、知里
志保氏の「民族としてのアイヌはすでに滅びたといってよく、厳密にいうならば、彼らは、もはやアイヌではなく、せい
ぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである」という記述を抜本的に改めている。児島恭子氏執筆のアイヌに関する冒
頭は次のようになっている。

〈日本の先住民族アイヌとは、アイヌ語で神に対する人間・男を意味し、男性への敬称にもなる言葉である。一六世紀
末に来日したポルトガル人宣教師の記録をはじめ、その後の日本人による文献にも、自らをアイノと呼び、居住地をアイ
ノモショリ(アイヌモシリ)といっていたことが書かれているが、民族名称となったといえるのは近代以降のことである。〉

日本政府は未だにアイヌ先住民族と認めていないが、『改訂新版 世界大百科事典』に、現下の学術の進捗と、先住民族
に関する国際社会の標準的認識が記されたことによって、この記述が常識として定着していくことになろう。日本政府が
正しい方向に政策を変更するために重要な役割を果たすと思う。

繰り返すが、教養をつける上で百科事典を読むことには大きな効果がある。関心をもつ分野の項目についてコピーをとっ
て、通勤、通学の途中で読むことを一年続ければ、飛躍的に知識の量が増える。それから、百科事典の項目は明晰に書か
れているので、和文外国語訳の教材としても適当だ。任意の項目を日本語から英語、ドイツ語、ロシア語に訳す練習をす
ると語学力が飛躍的に向上する。

ところで、私が中学一年生のときに父が買ってくれた『世界大百科事典』は現在ブラジルにある。二〇〇〇年一一月に私
の父は他界した。ブラジルに嫁いでいる私の妹と遺品の整理をしていたが、妹が「団地で生活していた頃の日本の生活を
思い出すためにこの百科事典をもっていきたい」と言ったからだ。父と母、私と妹、そして、現在は二重国籍だが、将来
はブラジル人になる妹の子供たちへとこの百科事典は三代にわたって読み継がれていくのであろう。

(さとう まさる・起訴休職外務事務官、作家)」

2.人文的知の暗黙の前提−人文的知にひかれる人の資質とは?

以下の引用を元に口頭で説明します)。

人文学とは wikipediaより抜粋(苦笑)
「人文科学(じんぶんかがく)あるいは人文学(じんぶんがく)は学問の分類の一つ。

人文学は、広義には自然学が学問的対象とする自然 (nature) に対して、人間・人為の所産 (arts) を研究対象とする学問であり、またそれを可能にする人間本性(human nature)を研究する学問である。これは学問を自然科学と人文科学に二分する分類法で、この場合、社会科学は人文科学に含まれる。一方、社会を人間と対比された形で一個の研究対象と見るとき、学問は自然科学・社会科学・人文科学の三分される。こちらの方が、今日では一般的である。

もともとhumanitiesの訳語でありscienceという言葉は含まない。また人文科学の分野の多くが実験による実証ができないために、「科学」の名称を与えることに批判的な論者もいる。そういった論者は人文学という名称のほうを好む。人文科学における、研究方法の一つの主要な柱は文献学的方法であり、解釈の論理的整合性だけが研究者の主張に妥当性をあたえる。ただし、分野によっては実験や観察、統計もまた人文科学の方法として使用される。
人文科学には一般に以下の学問分野が含まれる。

哲学 芸術学 美学 心理学 教育学 考古学 民俗学 文化人類学(社会科学に含まれることも多い)文学 言語学 宗教学 神学 歴史学(経済史、法制史、政治史等は社会科学に含まれる)地理学(自然地理学は自然科学に、また経済地理学は社会科学に含めることもある) 仏教学」

1「崇高な理念をなんらかのかたちでたもつこと」
2「自らの内面の見つめていくことで世界の普遍性へと到達するという夢」
3「メインストリーム(主流)の風潮や常識になじめずこぼれでる自分を通して、それらのメインストリームの欠陥を発見し、根本的な変化やオルタナティブを創ることができるという観念」
4「超越性(神?)をなんらかのかたちで体現している人、事を見いだすこと」
5「専門的な知識や技術なしで全てを見渡し見通すメタの地点に立てるという欲望」
6「専門的な知識や技術のない一般の人々に共有され世の中をいい方に変えていけるという欲望(その上で大衆を率いるカリスマ的リーダーになる欲望?)」
7「ラクして一番おいしいところをとりたい(笑)」
8「単純なカテゴリーや一般化によって割り切れない自分や他者の固有性をもつ問題にふれ、それをつかみ考えたい」

小林秀雄 「批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であつて二つの事でない。批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」

福田恒存 「一匹と九十九匹と」

柄谷行人 「特殊性(個)―一般性(類)、単独性―普遍性」

3.人文的知の他者

以下の引用をもとに口頭説明します。

一、 情報技術(工学的知)
 
東浩紀東浩紀コレクションD』より抜粋引用

「ぼくは「政治」という言葉は、個々人の立場表明を意味するのではなく、社会共通の資源のよりよい管理方法を目指す活動を広く意味するべきだと考える。だとすれば、それは必然的に、物語なき進歩主義、というか物語なき改革主義の立場になるはずだ。それなのに、物語の衝突ばかりが「政治」だと思われるのはなぜなのか。

その理由はおそらくこうだ。第一に、カール・シュミットの言うとおり、政治とは長いあいだ「友と敵を峻別する論理」だと考えられてきた。第二に、そのうえに、前世紀後半の左翼系知識人たちが、政治イコール開かれた公共的議論イコール他者の尊重、みたいなイデオロギーを加えた。アーレントにしろハーバーマスにしろ、とにかく左翼は「他者と話し合え、他者を認めろ、他者を尊重しろ」の大合唱だ。つまり、まずなにかイデオロギーがあり、それが他者とは共有不可能なんだけど、でも話し合っていろいろ同意していく、20世紀は「政治」をそういうものだとして規定していったのだ。

友と敵を作って、そのうえで他者を尊重したりなんだりする。それはとても「人間的」であり、高級な話ではある。実際、それはある範囲ではますますやるべきだ。たとえばブログとか。ぼくはそう思っている。この点を誤解してほしくない。

しかし、政治の本来の目的が共通資源のよりよい管理にあるのであれば、その過程が必ずしもそういう人間的で高級なコミュニケーションに結びつく必要はない。ポリシーなき政治、討議なき政治だってありうるはずだ。アーレントの言葉で言えば、政治を、「活動」の場ではなく、「労働」(=消費)の場に落とすこともできるはずだ。つまり、無意識で工学的な意志決定の場所に(なお、「よりよい」という価値設定にこそが問題で、その部分にこそ実際は功利主義イデオロギーが入りこんでいるだからだめだ、的な反論が容易に思いつくが、それについてはここで再反論するのはやめておく)。

ここで「資源」というのは、むろん経済的なことだけではない。たとえば、ぼくは、Googleの出現はとても「政治的」なことだと考える。なぜなら、それはぼくたちの世界の知的資源の配分を変えたからだ。あるいは、9.11以降のテロの問題も「政治的」だと考える。しかしその理由は、そこで資本主義とイスラムが戦っているとか、アメリカの地政学的野望がどうとか、そういうことではない。世界のセキュリティ化は、リスクという資源の配分を大きく変えたからだ。格差問題も環境問題も同じだ。要はぼくたちは、「政治」としては資源配分のより巧妙な方法だけを考えていればいいのだ。」

池田信夫『過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか?』より抜粋引用

「このような集積度の向上について、ゴードン・ムーア(当時はフェアチャイルド・セミコンダクター社に所属)は1965年、『エレクトロニクス・マガジン』の記事で次のような経験則をのべた。

  最小コストの半導体部品の複雑性は、おおむね毎年2倍の比率で増加してきた。まちがいなく、短期的にはこの比率は、増えるとはいわないまでも持続すると予想される。長期的には、それが少なくとも10年間ほぼ一定に保たれないと信じる理由は、増加率はやや不確かである。

この予言は10年後に再検討され、当時のデータをもとにして、『半導体の集積度は、18ヶ月で2倍になる』と修正された。これが「ムーアの法則」である。

半導体のコストを計測した実証研究によれば、1960年ごろから20世紀までの40年間で、計算量あたりのコストはほぼ1億分の1、すなわち18ヶ月で半分というムーアの法則どおりにコストが低下している。

 このような法則が実現した最大の要因は、半導体に最適の素材がシリコンだったという偶然である。シリコンは、岩石や土の主要な成分であり、酸素に次いで地球上で2番目に豊富に存在する元素である。その原価は(精製コストを除けば)ゼロに近いので、素材の稀少性に制約されない技術革新が可能になったのである。これは幸運な偶然であり、もしもガリウム砒素のような稀少金属によってしか半導体が実現できなかったとすれば、今日の情報産業はなかっただろう。

 2007年9月、インテルの開発社会議にゴードン・ムーアが現れ、満場の拍手を浴びた。78歳になった彼は、創業のころを回想して、「当時は、トランジスタの価格は1個68セントまでしか下がらないといわれていたものだ。しかし今、それは1個1000億分の1ドルで買える」と、この半世紀の激しい技術革新を表現した。彼の提唱した有名な法則がいつまで続くかについては、こう語った。

  あの法則は、あと10年か15年で根本的な障害に直面するだろう。インテルが今年末、出荷する最新チップの線幅は45ナノメートル(ナノは10億分の1)、その線と線の間は分子5個分しかない。これを分子の大きさにすることはできない。これは絶対的な限界だ。

 ゴードン・ムーアの予言は、多くの専門家の評価とおおむね一致している。ただ、あと10年ムーアの法則が続くだけでも、半導体のコストは1/100になる。半導体の価格は数円になってあらゆる情報機器に埋め込まれ、コンピュータは数百円になってボールペンなどと同じ消耗品になるだろう。
 この法則は、これまでに見たように、私たちの生活をもっと深いところから買え、グローバルな経済も変えるだろう。IT企業の技術革新は激しく、方向も定まらないが、ムーアの法則だけは向こう10年は一定だとすれば、未来をある程度、予測することができる。」

二、 生物学(バイオテクノロジー、遺伝)

山形浩生のホームページより抜粋引用

「ジョン・エンタイン『黒人アスリートはなぜ強いのか?』(創元社
 本書はそのタブーに正面切って取り組んだ勇気ある力作だ。そもそも黒人のほうがスポーツ向きというのは事実か? 事実だ、と著者は述べる。いくつかの運動能力に優れた選手の出身をたどると、短距離は西アフリカ、長距離は東アフリカと北アフリカという具合に、きわめて狭い地域にその血筋をたどれるのだ。そして遺伝進化論的に見ても、この議論の妥当性が高いことが示される。

 著者の主張は強力で納得のいくものだ。だが本書を読んだ人はだれもが思うだろう。スポーツ能力に生得的な差があるなら、知的能力には? また人種で差があるなら、性差は? こうした分野ではタブーは健在だ。が、ヒトゲノムの解析が進んで遺伝についての理解が進むにつれて、そのタブーと科学との乖離は大きな問題となる。生得的な能力差を認めた上で、社会的平等を実現するにはどうすればよいのか? これまで人々が見ることすら避けてきたこの難問を、本書は否応なくぼくたちにつきつけてくれる」

稲葉振一郎『経済学という教養』より抜粋引用

「また「合理性・利己性」の概念自体に対しても哲学的レベルでの反省が進んだ。ことに、かつては生物学の理論装置でもあったダーウィン的進化論のモデルが大胆に普遍化され、心理学や計算機科学までも含みこんだ、システムの一般理論のパラダイムとでも呼ぶべきものになってきたことは大きい(これについては、何と言ってもリチャード・ドーキンス利己的な遺伝子紀伊国屋書店、またダニエル・デネットダーウィンの危険な思想』青土社などを参照のこと)。
ダーウィン革命」の要点は以下のとおりであるーダーウィン以前には、複雑なもの、秩序だったものは意図的なデザインなしには作られえない、と考えれてきた(それゆえに「デザイナーの見当たらないデザイン」である生物進化とか市場経済とかは謎だった)のに対し、ダーウィンの「自然選択」のアイデアによって、「意図せざるデザイン」が可能である。というより自然界においては、そちらのほうが普通であるらしい、ということがわかってきた。それどころか、意図的な主体である人間の意図的行為、意図的デザインというもの自体、こうした「意図せざるデザイン」の積み重ねの中から発生してきたことになる。
つまり「意図的なデザインなしに複雑な秩序ができるのが信じがたくすごい」のではなく、「膨大な時間をかけての試行錯誤としての自然淘汰を抜きにして、人間による理性的・意図的なデザインによって秩序が作ってしまえるということが信じがたくすごい」のである。われわれは、人間的な理性というものの宇宙的な意味について、長らく誤解していたのだ。

もう一つ指摘しておくと、これは経済学よりむしろ心理学、生物学が震源地となっているのだが、二〇世紀の人文社会科学を支配した「文化相対主義」には、このところ強烈な逆風が吹いている。すでに見たように「文化相対主義」は人間性について、その多くは社会的、文化的に形成されたものであり、生物学的な要因は弱い―とくに人間の心的な性質については、脳の中で精神作用をつかさどるようなところは可塑的で、生まれたときは「白紙」のようなものであり、その白紙への書き込みは文化、社会主体でなされるもの、と考えてきた。だからたとえば「ある部族の言語には時間にまつわる語彙がなく、それゆえ彼らは時間の観念や感覚を持たない」とか「ある部族の言語には色の名前が四つしかなく、それゆえ彼らは四種類の色しか見分けられない」といった神話が、まことしやかに流通してきた。
しかしこのような神話は、近年次々に打ち壊されてきている。人間の脳は決して「白紙」ではなく、人間の持つ性質・能力のうち意外に多くの部分は、あらかじめ遺伝的にプログラムされており、その範囲内での「文化的相対性・多様性」であると言える。何より、人間の文化の多様性の核と見なされてきた言語についての近年の研究は、一見でたらめに多様に見える言語は、ある一定の法則に従っているらしいこと、また人間の脳には言語活動に特化した特定の部位がある、つまり言語能力はかなりの程度遺伝的で先天的なものであること、などがわかってきている(この辺についてはたとえば、ドナルド・ブラウン『ヒューマン・ユニヴァーサルズ』新曜社、スティーヴン・ピンカー『心の仕組み』NHKブックス酒井邦嘉『言語の脳科学中公新書などを参照)。」

三、 物理学

稲葉振一郎『経済学という教養』より抜粋引用

「こういうポストモダンの科学談義を、うんと矮小に劇画化するとこんな感じだ。まず「今日の自然科学は世界を支配する知的権力であってけしからん」となる。で「けしからん権力であるからには何かズルをしてるんじゃないか?」と疑う。で、疑いの果てに「そうだズルをしてる!自然科学は世界についての真実を人々に教えてくれてるんじゃなくて、逆に『これが真実だ』と人々に思いこませることによって世界を支配してるんだ!」というトンデモな結論に行き着く。

もっと踏み込んで考えてみると、科学とは、そこにある自然をただぼーっと眺めてありのままに描く、なんてものじゃなく、あれこれ人間の側でアイデアをひねくり回して考えて、そのアイデアの妥当性を、自然に積極的に働きかけながら試していく、という作業である。つまり人間の側で何をどこまで思いつけるか、が勝負だ。ところが人間てのは所詮は社会的な存在だから、自分の生きている社会の限界の中でしかものを考えられない。そういう意味でも、人間の営みとしての科学は、社会的に制約されてものなのであるーとなる。いわゆる「パラダイム」論だ。

科学の被社会制約性について極端な例を挙げれば、古代ギリシアやインド、あるいは中世イスラムでは数学がかなり発達したが、微積分の概念には到達できなかった。これは別に、この時代の人々が愚かだったからではない。必要を感じなかったからだ。微積分の開発が近世ヨーロッパで行われたのは、弾道計算などの世俗的、実用的なニーズとの関連が大きい―といった感じだ。

よく考えてみれば、近代以降の社会における自然科学の権威というのは、何より第一にその「現世利益」から、つまり研究成果の産業技術的な応用のありがたみから来ている。「鰯の頭も信心」どころか、信じない者に対しても確実に効くその現世的な力こそが、近代自然科学の権威の核心である。役に立つからこそ、科学は権力となったのだ。つまり、役に立つからこそ、権力としての科学には、わざわざ批判の対象にするだけの対象とするだけの価値がある。
しかし一方、このように否応なく「効く」、役に立つからには、自然科学は少なくともまるっきりのでたらめ、欺瞞であるなどということは、ありそうにない。つまり、所詮人間のやることだからいろいろ問題含みであり、限界も抱えているが、しかしそれなりに着実に成果を積み重ねているし、今後も積み重ねていくであろう。だから批判のほうも、全面否定にはなりえないはずなのだ。
だから要するに、繰り返しになるが、このポストモダン知識人の反科学主義は半ば以上せこいコンプレックスの発露に
すぎない。ここで自然科学は批判の対象であると同時に、やっかみを込めた憧憬の対象でもある。だからこそ彼らは、バカにしているはずの自然科学の概念―というより言葉を、カッコよさげにもてあそんでしまうわけである」

池田信夫ブログより抜粋引用

「宇宙のランドスケープ  レオナルド・サスキンド 日経BP
先週Smolinの本を読んで、宇宙論に興味をもったので調べてみたら、ちょうど「主流派」のリーダーの訳本が今週、発売された。もちろん結論はSmolinとは正反対で、物理学の理論としてどっちが正しいのかは私にはわからないが、話としてはこっちのほうがはるかに奇想天外でおもしろい。

ポイントは、Smolinの批判する人間原理(anthropic principle)を「物理学のパラダイム転換」と開き直って宇宙論の中心にすえたことだ。ひも理論の中身はわからなくても、人間原理はだれでもわかる。要は、この宇宙が今のような素粒子でできているのは、そうでなければ宇宙を観察する人間が存在しえないからだ。これは絶対に正しい。なぜなら同語反復だからである。

もちろん物理学の人間原理は、もっと洗練されている。たとえば宇宙定数(λ)とよばれる真空エネルギーの密度(多くの素粒子のエネルギーの和)は10-120だが、互いに無関係な素粒子の正負のエネルギーが偶然に相殺してちょうど0に近い値になることは考えられない。そこには何らかの理論的な理由があるはずだとだれもが考えたが、説明がつかない。そこで最後に出た結論は、これは偶然だが、人間にとっては必然だということだった。宇宙定数(物体間の斥力)がこれより少しでも大きいと、宇宙が急速に発散し、銀河も生命も存在しえないからだ。
しかし、ひとつしかない宇宙でこのような幸運がそろう確率は0に近い。問題は、そういうありえない偶然が実現したことをどう説明するかである。ここで著者は、ひも理論の種類があまりにも多く「破綻した」といわれている状況を逆用し、むしろ莫大な数の宇宙があるからこそわれわれの宇宙もあるのだ、と主張する。私が宝くじに当たる確率は0に近いが、だれかが当たる確率は1である。ひも理論の予言するように10500種類の宇宙が存在すれば、そのひとつの宇宙定数が偶然λになる確率は高くなる(*)。

問題は、宝くじが本当に発行されたのかということだ。今のところ、他の宇宙が存在するという根拠は観測では示せないが、インフレーション宇宙論によれば、インフレーションの繰り返しによって莫大な数の「ポケット宇宙」が生み出されているはずだ。実験は不可能だが、将来は宇宙の観測によって人間原理が検証されるかもしれない。ひも理論は完成には程遠いが、今のところ宇宙を説明する理論としてこれに代わるものはない。

とはいえ、この説明は憶測と状況証拠ばかりで、実証科学の理論としては心細く、まだ多くの物理学者が納得しているわけではない。ひも理論でノーベル賞を受賞した物理学者はいない(著者はその最有力候補)が、Ed Wittenは皮肉なことにフィールズ賞を受賞した。人間原理が反証不可能だというSmolinなどの批判に対して著者は、科学理論を選択するのは哲学者のこしらえた基準ではなく科学者集団の合意だと反論する。

話はほとんどSFのように荒っぽく、素人でも容易に突っ込みを入れられそうなところがおもしろい。問題が実証でも反証でもなく理論を信じるかどうかに帰着するなら、人間原理も「慈悲深い神が現在の宇宙を選んだ」と主張するインテリジェント・デザインも同列ということにならないか――という問いには、著者はその論理的な可能性を否定していない。物理学が天地創造説よりもすぐれているのは、(神という)仮説がひとつ少ないだけなのかもしれない。

(*)しかしSmolinも指摘するように、この逆は成り立たないので、人間原理は多宇宙の存在する根拠にはならない。宝くじに当たった人にとっては、発行枚数が1億枚でも1枚でも、自分が当たったという事象の確率は1だから、ひとつのサンプルから母集団の数を推定することはできないのである」

四、 経済学

稲葉振一郎『経済学という教養』より抜粋引用

「さて、以上のお話は自然科学を念頭においてのものだったが、じつは同じようなことが経済学についてもある程度いえる。人文社会科学の中でも経済学、ことに現在主流の「新古典派経済学」は、その理論モデルの構築においては、一部の自然科学をしのぐほど数学的に洗練されている。また実証においても、いわゆる計量経済学の手法による大量データの統計的分析はかなり高度なレベルに達している。つまり総じていえば経済学は、人文社会科学の中では例外的なまでに、自然科学と同様の「科学的」な体裁を研究スタイルにおいても、また学界の社会的編成においても整えてきている(この点で比肩しうるのは心理学くらいだ。脳神経科学や計算幾何学との連携を強めてきた近年、心理学は事実上「自然科学」化しつつある)。

だが、そのような没交渉が長く続く間に、新古典派経済学も現実との取っ組み合いを経て着実に進歩してきた。そしていまや、逆襲が開始されているのである。たとえば、かつて新古典派経済学への人文学からの(そして常識的素人さんからの!)お決まりの批判は「合理的・利己的主体モデルは、それほど賢くもなければ利己的でもない現実の人間のモデルとしては非現実的すぎる」とか、「社会的相互作用の数学モデル、現実の制度や組織の複雑性を記述できない」といったものであった。
しかしながら、後に本書でも適宜紹介するように、現代の経済学は、右のような批判に応えるべく「ほどほどに合理的で、ある程度利他的な主体のモデル」「制度や組織、慣習の数学的モデル」を開発してきた。これによってたとえば、伝統的な経済学では「経済的に非合理で理解不能」とされてきたさまざまな経済現象―とくに、市場での開放的な取引があえて回避され、共同体内や組織内での閉鎖的取引が続いてしまうことーの経済的合理性が解明されてきたのである。」

五、 統計学
 
飯田泰之『考える技術としての統計学 生活・ビジネス・投資に生かす』より抜粋引用

「先に結論から書いてしまいましょう。統計学は論理的に妥当な思考法とは何かという命題に一つの解答を提示しているという意味で、哲学的にもっとも重要な方法論です。そして、適切な統計知識にもとづいてデータを観察することで、思い込みから「一歩引いた」論理的な思考ができるようになります。これは、哲学的関心以上に生活やビジネスでの意思決定にとり、大きな力になるでしょう。私たちの主観・思い込みは柔軟な思考の大敵です。自分の殻を外から破るために統計の力を借りましょう。

統計的思考の第一歩は収拾したデータの特性を観察し、まとめることで、物事の一般的な傾向を正しく把握することです。このようなデータ利用の手法は記述統計と呼ばれます。記述統計の歴史は古く、人類が文字を発明した頃にはすでに記述統計の思考法は存在していたと考えられます。この記述統計の考え方を生かせば、一般的な傾向をふまえた合理的な行動や、反対にそれを逆手にとって一歩先んじる行動をとることができるかもしれません。
 しかし他方で、データを用いて考えるとき、私たちの観察するデータは、無限にある現実の、「ほんの一部でしかない」という問題を避けて通ることはできません。この根本的問題に対して解決を与えたのが現代までつづく統計学−推測統計です。
 本来ならば「ほんの一部」のデータから全体の話をすることはできません。そこで、統計学者たちは「データによって絶対的な真実を発見する」ことをあきらめました。それにかわって、「データからわかること」と「真実の姿」がどれくらいの確率で適合するか、明らかにしようと考えたのです。たとえば、世論調査に見られるように、「2000人の調査をすれば、95%の確率で日本人全体の姿がわかる」といえれば、「ほぼ」世の中の真実の姿を捉えたといってよいのではないでしょうか。

 開き直った末に「こうなったら文系のセンスで統計を説明しよう」と思いいたりました。その意味で本書は、「文系の文系による文系のための統計入門」です。よく考えると、私自身、大学受験時の得意科目は現代文と日本史……典型的な文系でした。理系出身者がもつ緻密な論理性に対し、文系の持ち味は大づかみな把握力ではないでしょうか。そこで、個々の技法の論理的な基礎づけよりも、データを使った思考の使用法とその意義を重視しながら解説を進めることになったのです。」

4.結論−必読書150と義務教育に帰れ?

以下の引用をもとに口頭説明します。

稲葉振一郎『経済学という教養』

「しかしどうすれば(経済学に限らず)そういう「教養」が身につくのだろうか?それはただ単に勉強して知識を詰め込めばいいってことではないだろう。しつこいようだが、人間の能力には限りがある。すべてを知ることが「教養」ではない。そうではなく、それ以前の「生活態度」のレベルで重要なことがある。それは「専門知識」のありがたみを骨身にしみて知っておくこと、つまり自分の現場で自分なりの「専門知識」をきちんと身に付けておくことによって、他人の「専門知識」に対する尊敬の念を持てるようになること、であろう。
言い方をかえると「知識の経済学」というものが、単に比喩としてではなく大真面目に考えられる。そしてぼくが考えるそこでの基本原理は、やはり「分業」、つまり知的分業だ(この辺はじつは現代哲学、認識論の非常にホットなテーマである。森脇康友編『知識という環境』名古屋大学出版会、戸田山和久『知識の哲学』産業図書、が参考になる)。ではその観点からすれば「教養」とは何か?それは第一に「知的分業に参加できるためにみんなが最低知っておくべきこと」であるだろうが、それ以上に重要な第二の要素は「知的分業を可能とする社会的な枠組みと、それへの信頼感の共有」だろう。つまりそれって「公共性」と別のことではないんだ。」

柄谷行人他編『必読書150』

「◎『必読書150』で取り上げられた本

人文社会科学
プラトン『饗宴』岩波文庫 アリストテレス詩学岩波文庫 アウグスティヌス『告白』岩波文庫
レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫 マキァベッリ『君主論岩波文庫
モア『ユートピア岩波文庫 デカルト方法序説岩波文庫 ホッブズリヴァイアサン岩波文庫
パスカル『パンセ』中公文庫 スピノザ『エチカ』岩波文庫 ルソー『社会契約論』岩波文庫
カント『純粋理性批判岩波文庫 ヘーゲル精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社
キルケゴール死に至る病岩波文庫 マルクス資本論岩波文庫 ニーチェ道徳の系譜岩波文庫
ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神岩波文庫 ソシュール『一般言語学講義』岩波書店
ヴァレリー『精神の危機』 フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫 シュミット『政治神学』未来社
ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫 ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ガンジーガンジー自伝』中公文庫 ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』晶文社ラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社 アドルノ&ホルクハイマー『啓蒙の弁証法岩波書店
アレント全体主義の起源みすず書房 ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房 マクルーハン『グーテンベルグの銀河系』みすず書房
フーコー『言葉と物』新潮社 デリダ『グラマトロジーについて』 ドゥルーズガタリ『アンチ・オイディプス河出書房新社 ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店 ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店
ケージ『ジョン・ケージ青土社 サイードオリエンタリズム平凡社 ベイトソン『精神と自然』新思策社
アンダーソン『想像の共同体』NTT出版 本居宣長『玉勝間』岩波文庫 上田秋成『胆大小心録』岩波文庫
内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫 岡倉天心『東洋の理想』講談社学術文庫
西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫 九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫
和辻哲郎『風土』岩波文庫 柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫 時枝誠記国語学原論』 宇野弘蔵『経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫 旧約聖書『創世記』岩波文庫 ソポクレス『オイディプス王新潮文庫岩波文庫 『唐詩選』岩波文庫 ハイヤーム『ルバイヤート岩波文庫 ダンテ『神曲岩波文庫 
ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫 シェイクスピアハムレット』角川文庫、新潮文庫岩波文庫ちくま文庫 セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫 スウィフト『ガリヴァー旅行記岩波文庫 
スターン『トリストラム・シャンディ』岩波文庫 サド『悪徳の栄え河出文庫 ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫 スタンダールパルムの僧院』 ゴーゴリ『外套』 ポー『盗まれた手紙』 エミリー・ブロンテ嵐が丘
メルヴィル『白鯨』 フローベールボヴァリー夫人』 キャロル『不思議の国のアリスドストエフスキー『悪霊』
チェーホフ桜の園』 チェスタトン『ブラウン神父の童心』 プルースト失われた時を求めてカフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』 ジョイスユリシーズ』 トーマス・マン魔の山』 ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』 セリーヌ『夜の果ての旅』フォークナー『アブサロム、アブサロム!
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』 サルトル『嘔吐』 ジュネ『泥棒日記』 ベケットゴドーを待ちながら
ロブ=グリエ『嫉妬』 デュラス『モデラート・カンタービレ』 レム『ソラリスの陽のもとに』
ガルシア=マルケス百年の孤独』 ラシュディ『真夜中の子どもたち』 ブレイク『ブレイク詩集』 
ベルダーリン『ヘルダーリン詩集』 ボードレール悪の華』 ランボーランボー詩集』 エリオット『荒地』
マヤコフスキーマヤコフスキー詩集』 ツェランツェラン詩集』 バフチンドストエフスキー詩学
ブランショ『文学空間』

日本文学

二葉亭四迷浮雲』 森鴎外舞姫』 樋口一葉にごりえ』 泉鏡花高野聖』 国木田独歩『武蔵野』
夏目漱石我輩は猫である』 島崎藤村『破戒』 田山花袋『蒲団』 徳田秋声『あらくれ』 有島武郎或る女
志賀直哉小僧の神様』 内田百鐘??w冥途・旅順入城式』 宮澤賢治銀河鉄道の夜』 江戸川乱歩押絵と旅する男
横山利一『機械』 谷崎潤一郎春琴抄』 夢野久作ドグラ・マグラ』 中野重治『村の家』 川端康成『雪国』
折口信夫死者の書』 太宰治『斜陽』 大岡昇平『俘虜記』 埴谷雄高『死霊』 三島由紀夫仮面の告白
武田泰淳ひかりごけ』 深沢七郎楢山節考』 安部公房砂の女』 野坂昭如エロ事師たち島尾敏雄『死の棘』
大西巨人神聖喜劇』 大江健三郎万延元年のフットボール』 古井由吉『円陣を組む女たち』後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』 中上健次枯木灘斎藤茂吉『赤光』 萩原朔太郎『月に吠える』田村隆一田村隆一詩集』
吉岡実吉岡実詩集』 坪内逍遥小説神髄』 北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』 福沢諭吉福翁自伝
正岡子規歌よみに与ふる書』 石川啄木時代閉塞の現状』 小林秀雄『様々なる意匠』 保田與重郎『日本の橋』
坂口安吾堕落論』 花田清輝『復興期の精神』 吉本隆明『転向論』 江藤淳『成熟と喪失』

参考テクスト70
人文社会科学
ルイ・アルチュセールマルクスのために』平凡社ライブラリー レイモンド・ウィリアムズ『キイワード辞典』晶文社
ロジェ・カイヨワ『聖なるものの社会学ちくま学芸文庫 アントニオ・グラムシ『新編−現代の君主』青木書店
スラヴォイ・ジジェクイデオロギーの崇高な対象』河出書房新社 ディドロダランベール編『百科全書』岩波文庫
フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』みすず書房 ヤーコブ・ブルクハルト『ブルクハルト文化史講演集』筑摩書房
フェルナン・ブローデル『歴史入門』太田出版 ダニエル・ベル『資本主義の文化的矛盾』講談社学術文庫
ダグラス・R・ホフスタッター『ゲーデルエッシャー、バッハ−あるいは不思議の環』白揚社
メルロ=ポンティメルロ=ポンティ・コレクション』ちくま学芸文庫 ユング『変容の象徴−精神分裂病の前駆症状』ちくま学芸文庫 ジャン=フランソワ・リオタール『ポスト・モダンの条件−知・社会・言語ゲーム』白馬書房
G・ルカーチ『歴史と階級意識未来社 浅田彰『構造と力−記号論を超えて』勁草書房 網野善彦『日本社会の歴史』岩波新書 岩田弘『現代社会主義と世界資本主義』批評社 上野千鶴子ナショナリズムジェンダー青土社
大塚久雄『欧州経済史』岩波現代文庫 木村敏『時間と自己』中公新書 遠山啓『無限と連続−現代数学の展望』岩波新書 中井久夫分裂病と人間』東京大学出版 林達夫林達夫セレクション2−文芸復興』平凡社ライブラリー
廣松渉マルクス主義の地平』講談社学術文庫 丸山真男『日本の思想』岩波新書 山口昌男『道化の民俗学ちくま学芸文庫 湯川秀樹『物理講義』講談社学術文庫

文学
エーリッヒ・アウエルバッハ『ミメーシス−ヨーロッパ文学における現実描写』ちくま学芸文庫
フレデリック・ジェイムソン『言語の牢獄』法政大学出版局
ヴィクトル・シクロフスキー他『ロシア・フォルマリズム論集』現代思潮新社
スーザン・ソンタグ『反解釈』ちくま学芸文庫 ブルーノ・タウト『日本文化私観』講談社学術文庫
ウラジーミル・ナボコフ『ヨーロッパ文学講義』TBSブリタニカ ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』二見書房、ちくま学芸文庫 ノースロップ・フライ『批評の解剖』法政大学出版局 リイス・フロイス「日欧文化比較」『大航海時代叢書<第1期11巻>』岩波書店
稲垣足穂少年愛の美学稲垣足穂コレクション』河出文庫 加藤周一『日本文学史序説』ちくま学芸文庫
柄谷行人日本近代文学の起源講談社文芸文庫 寺山修司『戦後詩−ユリシーズの不在』ちくま文庫
中村光夫『明治文学史』筑摩叢書 橋川文三『日本浪漫派批判序説』講談社文芸文庫
蓮實重彦『反=日本語論』ちくま文庫 平野謙『昭和文学史』筑摩書房 前田愛『近代読者の成立』岩波現代文庫

芸術

アントナン・アルト『演劇とその分身』白水社 グラウト&パリスカ『新西洋音楽史音楽之友社
ケネス・クラーク『芸術と文明』法政大学出版局 レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』ちくま学芸文庫
E・H・ゴンブリッチ『芸術と幻影』岩崎美術社 ギー・ドゥボールスペクタクルの社会平凡社
ジョン・バージャー『イメージ−視覚とメディア』パルコ出版局 ベーラ・バラージュ『視覚的人間−映画のドラマツルギー岩波文庫 ロラン・バルト『明るい部屋−写真についての覚書』みすず書房
バンハム『第一機械時代の理論とデザイン』鹿島出版会 アンリ・フォション『形の生命』岩波書店
フラー『宇宙船地球号−操縦マニュアル』ちくま学芸文庫 ケネス・フランプトン『モダン・アーキテクチュア』ADA
ニコラス・ヘヴスナー『モダン・デザインの展開』みすず書房 ウィリアム・モリスユートピアだより』岩波文庫
阿部良雄『群集の中の芸術家』ちくま学芸文庫 磯崎新『建築の解体−1968年の建築状況』鹿島出版会
井上充夫『日本建築の空間』鹿島出版会 岡崎乾二郎ルネサンス−経験の条件』筑摩書房
岡本太郎『日本の伝統』講談社現代新書 小泉文夫『日本の音−世界のなかの日本音楽』平凡社ライブラリー
高階秀爾『日本近代美術史論』講談社学術文庫 柳宗悦南無阿弥陀仏−付心偈』岩波文庫
小川環樹木田章義注解『千字文岩波文庫

デカルト『方法序説』谷川多佳子訳

古典中の古典といってもいいだろう。はじめて学校などで哲学の話をされるときなど第一にあがっていた名前ではないだろうか。


例によって怠惰にまったく読まないできたのだが、今回読んで驚いた。『必読書150』の順番通り読むと、意外と神学的なもの(『告白』など)の影響力が強かった(今も潜在的に強い?)ことが本を読むことで実感的にわかる感じがあったが、その前提の上でこのデカルトの書を読むと、たしかにそこにある切断、画期的な―近代合理主義と呼ばれるようなものであり、それだけでないものもふくめ―文体の新しさのようなものを感じた。もちろん当時は十七世紀でありデカルトも神の領域を認め、そこまで自分がふみこもうとはしてない。それでも文体によってそれまでとは違った知のあり方を宣言しているように読めた。


通読して印象的なのは、デカルトの意外な謙虚さである。もっともやろうとしていることが壮大なのでかえって嫌味に見える人もいるかもしれないが、それまでの諸学問のよさも認めつつ、しかしそれを見極め、一度捨てて自分のやり方によって一から認識を組み直そうとする軌跡を書いた部分は単に近代合理主義の草分けといったイメージを超えて触発されるものがある。

だが、学校で勉強する教科を尊重しなかったわけではない。わたしは以下のことは知っていた。学校で習う語学(ギリシア語、ラテン語など)はむかしの本を理解するのに必要だし、寓話の楽しさは精神を目覚めさせる。歴史上の記憶すべき出来事は精神を奮い立たせ、思慮をもって読めば判断力を養う助けとなる。すべて良書を読むことは、著者である過去の世紀の一流の人びとと親しく語り合うようなもので、しかもその会話は、かれらの思想の最上のものだけを見せてくれる、入念な準備がなされたものだ。雄弁術には、くらべるものの力と美がある。詩にはうっとりするような繊細さと優しさがある。数学には精緻をきわめた考案力があり、これが知識欲のさかんな人たちを満足させるのにも、あらゆる技術を容易にして人間の労力を軽減するのにも、大いに役立つことができる。習俗を論じた書物は、いかにもためになる教訓と徳への勧めを数多く含んである。神学は天国に至る道を教えてくれる。哲学はどんなことについても、もっともらしく語り、学識の劣る人に名誉と富をもたらす。そして最後に、これらの学問を、どんなに迷信めいたもの、どんなに怪しげなものでも、ことごとく調べあげたことは、その正しい価値を知り、欺かれないよう気をつけるためによいことである。

 わたしは雄弁術をたいへん尊重していたし、詩を愛好していた。しかしどちらも、勉学の成果であるより天賦の才だと思っていた。きわめて強い思考力をもち、自己の思考をよく秩序づけて明晰で分かりやすいものにする人ほど、たとえ低地ブルターニュ方言しか話せず、修辞学など習っていなくても、自分の主張することをいつもうまく人に納得させることができる。そして着想がいかにも人の意にかない、しかもそれを文飾と優美の限りをつくして表現できる人びとは、詩法など知らなくとも最良の詩人であることに変わりない。
 わたしは何よりも数学が好きだった。論拠の確実性と明証性のゆえである。しかしまだ、その本当の用途に気づいていなかった。数学が機械技術にしか役立っていないことを考え、数学の基礎はあれほど揺るぎなく堅固なのに、もっと高い学問が何もその上に築かれなかったのを意外に思った。これと反対に、習俗を論じた古代異教徒たち(ストア派)の書物は、いとも壮麗で豪華ではあるが、砂や泥の上に築かれたにすぎない楼閣のようなものであった。かれらは美徳をひどく高く持ち上げて、この世の何よりも尊重すべきものと見せかける。けれども美徳をどう認識するかは十分に教えないし、かれらが美徳という美しい名で呼ぶものが、無感動・傲慢・絶望・親族殺しにすぎないことが多い。
 わたしは、われわれの神学に敬意を抱き、だれにも負けないくらい天国に到達したいと望んでいた。しかし、天国にいたる道はどんな無知な人にも、もっとも学識のある人に劣らず開かれていること、天国へ導く啓示された真理はわれわれの理解力を越えていること、それがきわめて確かなものであると学び知り、そうなると、これらの真理をわたしの脆弱な推論に従わせる勇気などなかっただろうし、それらの真理の検討を企てて成功するには、天からなにか特別な加護を受け、人間以上のものであることが必要だ、とわたしは考えていた。
 哲学については、次のこと以外は何も言うまい。哲学は幾世紀もむかしから、生を享けたうちで最もすぐれた精神の持ち主たちが培ってきたのだが、それでもなお哲学には論争の的にならないものはなく、したがって疑わしくないものは一つもない。これを見て、わたしは哲学において他の人よりも成功を収めるだけの自負心は持てなかった。それに、同一のことがらについて真理は一つしかありえないのに、学者たちによって主張される違った意見がいくらでもあるのを考えあわせて、わたしは、真らしく見えるにすぎないものは、いちおう虚偽とみなした。
 次に、ほかの諸学問については、その原理を哲学から借りているかぎり、これほど脆弱な基礎の上には何も堅固なものが建てられなかったはずだ、と判断した。

 以上の理由で、わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問〔人文学〕をまったく放棄してしまった。

わたしの計画は、自分の思想を改革しようと努め、わたしだけのものである土地に建設することであり、それより先に広がったことは一度もない。自分の仕事が十分気に入って、ここでその見本をお目にかけるといっても、だからといって、これを真似ることをすすめたいのではない。神からもっとゆたかな恩寵を分け与えられた人は、一段と高尚な計画を抱くことだろう。しかし私のこの計画だけでもすでに、多くの人たちにとって大胆すぎるのではないかと、大いに危惧している。かつて信じて受け入れた意見をすべて捨て去る決意だけでも、だれもが従うべき範例ではない。そして世のなかは、この範例にまったく適しない二種の精神の持ち主だけから成り立っているようである。第一は、自分を実際以上に有能だと信じて性急に自分の判断をくださずにはいられず、自分の思考すべてを秩序だてて導いていくだけの忍耐心を持ち得ない人たち。したがってかれらは、ひとたび、受け入れてきた諸原理を疑い、常道から離れる自由を手に入れるや、まっすぐ進むために取るべき小道をたどることはできないで、一生さまよいつづける。第二は、真と偽とを区別する能力が他の人より劣っていて、自分たちはその人たちに教えてもらえると判断するだけの理性と慎ましさがあり、もっとすぐれた意見を自らは探求しないで、むしろ、そうした他人の意見に従うことで満足してしまう人たちである。
 そしてわたし自身、今までにただ一人の師しか持たなかったなら、あるいは、どんなにすぐれた学者たちの意見にもつねに相違があったことを知らなかったなら、疑いなく第二の部類に入っていただろう。けれども、学院にいたころから、どんない風変わりで信じがたいことを想像しようとも、哲学者たちのだれかによって言われなかったようなことは一つもないのを学び知った。またその後、旅をして、次のことを認めていった。わたしたちとまったく反対の意見をもつすべての人が、それゆえに野蛮で未開だというわけではなく、それどころか、多くの人がわたしたちと同じかそれ以上に、理性を働かせていることだ。(中略)結局のところ、習慣や実例のほうが、どんな確実な知識よりもわたしたちを納得させているが、それにもかかわらず、少しでも発見しにくい真理については、ただ一人の人がそういう真理を見つけだしたというほうが、国中の人が見つけだしたというより、はるかに真らしいから、賛成の数が多いといっても何ひとつ価値のある証拠にはならない。

 まだ若かった頃(ラ・フレーシュ学院時代)、哲学の諸学問のうちでは論理学を、数学のうちでは幾何学者の解析と代数を、少し熱心に学んだ。この三つの技術ないし学問は、わたしの計画にきっと何か力を与えてくれると思われたのだ。しかし、それらを検討して次のことに気がついた。まず論理学は、その三段論法も他の大部分の教則も、未知のことを学ぶのに役立つのではなく、むしろ、既知のことを他人に説明したり、そればかりか、ルルスの術のように、知らないことを何の判断も加えず語るのに役立つだけだ。実際、論理学は、いかにも真実で有益なたくさんの規則を含んではいるが、なかには有害だったり余計だったりするものが多くまじっていて、それらに選り分けるのは、まだ下削りもしていない大理石の塊からダイアナやミネルヴァの像を彫り出すのと同じくらい難しい。次に古代人の解析と現代人の代数は、両者とも、ひどく抽象的で何の役にも立たないことにだけ用いられている。そのうえ解析はつねに図形の考察に縛りつけられているので、知性を働かせると、想像力をひどく疲れさせてしまう。そして代数では、ある種の規則とある種の記号にやたらにとらわれてきたので、精神を培う学問どころか、かえって精神を混乱におとしいれる、錯覚で不明瞭な術になってしまった。以上の理由でわたしは、この三つの学問の長所を含みながら、その欠点を免れている何か他の方法を探究しなければ、と考えた。法律の数がやたらと多いと、しばしば悪徳に口実をあたえるので、国家は、ごくわずかの法律が遵守されるときのほうがずっとよく統治される。同じように、論理学を構成しているおびただしい規則の代わりに、一度たりともそれから外れまいという堅い不変の決心をするなら、次の四つの規則で十分だと信じた。
 第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。言い換えれば、注意ぶかく速断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、何もわたしの判断のなかに含めないこと。
 第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。
 第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識にまで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。
 そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわかる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。
 きわめて単純で容易な、推論の長い連鎖は、幾何学者たちがつねづね用いてどんなに難しい証明も達成する。それはわたしに次のことを思い描く機会をあたえてくれた。人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながり合っている、真でないいかなるものも真として受け入れることなく、一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、どんなに離れたものにも結局は到達できるし、どんなに隠れたものでも発見できる、と。それに、どれから始めるべきかを探すのに、わたしはたいして苦労しなかった。もっとも単純で、もっとも認識しやすいものから始めるべきだと、すでに知っていたからだ。そしてそれまで学問で心理を探究してきたすべての人びとのうちで、何らかの証明(つまり、いくつかの確実の明証的な論拠)見出しえた数学者だけであったことを考えて、わたしは、これらの数学者が検討したのと同じ問題から始めるべきだと少しも疑わなかった。


長い長い引用だが、どれも明晰で名文すぎて自分がこれを要約説明しようとすることが恥ずかしくなるようなものである。四つの規則を見出すまでの諸学問の総括は簡潔にして鋭い。数学を基礎にした四つの規則はまさに科学の土台にしておそらく人文学や批評といった領域にもいまだにインスパイアされるものがある含意がある。


これらの規則を提示した上で、著者は有名な形而上学のテーゼを述べる。

だが当時わたしは、ただ真理の探究にのみ携わりたいと望んでいたので、これと正反対のことをしなければならないと考えた。ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わた
しの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない、と考えた。こうして、感覚は時にわたしたちを欺くから、感覚が想像させるとおりのものは何も存在しないと想定しようとした。次に、幾何学の最も単純なことがらについてさえ、推論を間違えて誤謬推理(誤った推論)をおかす人がいるのだから、わたしもまた他のだれとも同じく誤りうると判断して、以前には論証とみなしていた推理をすべて偽として捨て去った。最後に、わたしたちが目覚めているときに持つ思考がすべてそのまま眠っているときにも現れうる、しかもその場合真であるものは一つもないことを考えて、わたしは、それまで自分の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ思ウ、故ニワレ在リ〕」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。
 それから、わたしとは何かを注意ぶかく検討し、次のことを認めた。どんな身体も無く、どんな世界も、自分のいるどんな場所も無いとは仮想できるが、だからといって、自分は存在しないとは仮想できない。反対に、自分が他のものの真理性を疑おうと考えること自体から、きわめて明証的にきわめて確実に、わたしが存在することが帰結する。逆に、ただわたしが考えることをやめるだけで、仮にかつて想像したすべての他のものが真であったとしても、わたしが存在したと信じるいかなる理由もなくなる。これらのことからわたしは、次のことを知った。わたしは一つの実体であり、その本質ないし本章は考えるということだけにあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない、と。したがって、このわたし、すなわち、わたしをいま存在するものにしている魂は、身体〔物体〕からまったく区別され、しかも身体〔物体〕より認識しやすく、たとえ身体〔物体〕が無かったとしても、完全に今あるままのものであることに変わりはない、と。


コギト、心身二元論等々といわれる考察である。今見ると現象学的な考察でもあり、この結論が出るまでの思索の暗中模索をシュミレーションしてみたくなる。


訳者の解説から著者の一生をふりかえってみる。

ルネ・デカルトは一五九六年にフランスのトゥーレーヌ州ラ・エに生まれた。(中略)父はブルターニュのレンヌ高等法印評定官で、階層的には法服貴族であった。デカルトもそうした貴族の子弟として、イエズス会系の名門校ラ・フレーシュ学院に入学し、八年間人文学とスコラ学を中心に学んだ。さらに一年間ポワチエ大学で医学と法学を学び、法学士号を取得した。学校生活を終えたあとの足取りは不明だが、その後志願士官として、一六一八年にオランダ、一六一九年ドイツに赴く。オランダでは科学者ベークマンと知り合い、数学を自然学に適用する構想を得、流体の圧力や、落下法則について共同研究を行った。ドイツでは冬にノイブルクに駐屯中、炉部屋で思索を重ねて、学問の普遍的方法を見いだし、あらゆる学問を統一する見通しを得、この仕事に一生を捧げる決心をした。
(中略)
一六二八年、研究と思索に自由に集中することを求めてオランダへ移り住む。オランダ滞在のはじめ九ヶ月、形而上学に専念し、その見通しを得る。ついで、ローマで観察された幻日現象の報告を機に、自然学全体を秩序立てて調べようと『世界論』を執筆したのだが、ガリレイの断罪によって刊行を断念した。そしてその代わりに三つの科学論文を、『方法序説』を序文として付け、一六三七年に刊行したのであった。
 以後形而上学の主著『省察』(一六四一年)、自然学を含めた体系の全容を示す『哲学原理』(一六四四年)、心身の結合と道徳を扱う『情念論』(一六四九年)の主要著作が刊行される。一六四九年はじめ、スウェーデン女王クリスティーナの招きをうけ、寒い、凍てつくような国へ行くのを躊躇しつつも、ついにその年の秋ストックホルムへ赴く。そこでは、アカデミー設立の計画をしたり、三〇年戦争終結の祝いのための舞踏劇の脚本を書いたりする。しかし、寒い冬の早朝に女王に講ずるなど、疲労と寒さも重なり、一六五〇年に肺炎で亡くなるのである。


著作は意外に少なく、しかしそれにかけられた時間や推敲の厳しさはどれだけだったのだろうか。その自ら考案した方法は、しかしどこか思想にひかれる者を鼓舞してしまう力がある。

というのも、なるほど人間はだれも、自分の力にかなうかぎり、他人の幸福をはかる義務があり、だれの役にも立たないのは本来何の価値もないのだが、しかしわれわれの配慮は現在よりもずっと先にまで及ぶべきであり、いま生きている人びとに何かの利益をもたらすかもしれないことでも、別のことでいっそう多くの利益を後世にもたらすことをする意図のあるときは、割愛してよいからである。たとえば現に、今までわたしが学んだわずかばかりのことは、わたしのまだ知らないことに比べればほとんど無に等しい、しかもわたしはまだ学びうるという希望を捨てていない、このことを知っていただきたいと思う。というのは、諸学問のなかで少しずつ真理を発見していく人は、金持ちになり始めた人たちが、まえに貧乏だった頃はるかに少ない利を得るのに費やした労力にくらべて、少ない労力で大きな利を得るのと、よく似ているからである。

われわれが真理の認識に到達するのを妨げるあらゆる困難や誤謬を克服しようと努力するのは、まさしく戦うことであり、多少とも一般的で重要なことについて何か誤った意見を受け入れることは、戦いに敗北することである。敗北のあとでは、前と同じ状態に戻るために、確証された原理を手中にして大きな進歩をなすのに必要なよりもはるかに多くの機略を必要とする。

 わたしの思想を伝えることで、ほかの人びとが受けるだろう利益についていえば、これもまたたいしたものではありえない。なぜかというと、わたしはそれらの思想をまだそんなに深く進めてはいないので、実地に応用するまえに、なおたくさんのことを付け加える必要があるからだ。そしてもしそれをできる者がいるとすれば、それはほかならぬわたしであるはずだと、自惚れることなく言うことができると思う。それはこの世に、自分とは比べものにならないほどすぐれた精神の持ち主がそう大勢いるはずがないということではなく、他の人から学ぶ場合には、自分自身で発見する場合ほどはっきりものを捉えることができず、またそれを自分のものとすることができないからである。これは、こうした問題においてはきわめて真実であって、わたしは自分の見解のいくつかを、ひじょうにすぐれた精神の持ち主に説明したことが幾度かあるが、かれらはわたしが話している間はきわめて判明に理解したように見えたにもかかわらず、それをかれらがもう一度述べる段になると、ほとんどいつも、もはやわたしの見解だと認めることができないほど変えてしまっていることに気がついたのである。

この哲学者たちもその時代のもっともすぐれた精神の持ち主だったことから見て、ただかれらの思想が正しく伝えられてこなかったのだと判断するだけである。なおまた、かれらの追随者の一人でも、かれらを凌駕したことはほぼ一度もなかったことも明らかだ。

さらにかれらが、最初は容易なことから探究し始めて、少しずつ段階を経て、ほかのもっと困難なことがらに移っていくこと(第二部、方法の第三規則)によって得られる習慣は、わたしの教示すべてよりもかれらの役に立つだろう。私の場合も、次のように確信している。もしもわたしが若いときからすでに、後になってその論証を探求したすべての真理を人から教えられ、それを知るのになんの苦労もしなかったとしたら、それ以外の真理を知ることはできなかっただろう。少なくとも、真理の探究に専心するにつれて獲得した、たえず新しい真理を見いだす習慣と能力―わたしはそれを現に持っていると思う―を得ることはけっしてなかっただろう。要するに、ほかのどんな人が取り組んでも、それを始めた当人ほどにはうまく完成されない、というような仕事がこの世にあるとすれば、それこそわたしがいま苦労している仕事なのである。

ある種の精神の持ち主は、他人が二十年もかかって考えたことすべてを、二つ三つのことばを聞くだけで、一日で分かると思い込み、しかも頭がよく機敏であればあるほど誤りやすく、真理をとられる力も劣り、かれらがわたしの原理だと思い込んでいることを基礎にして、とほうもない哲学を打ち立てるきっかけをそこから与えないためであり、またその誤りをわたしのせいにされないためである。


これらの孤独な作業が多くの追随者の仕事をものともせず凌駕し意義をもつという議論は、どこか人を駆り立てかえって追随者にしてしまいかねない感染力をもつ感じがする。それがこの書が長く特別な古典としての地位をえてきた要因かもしれない。しかし、このすでにある建物に何かをくっつけていくのではなく、一から建物を組み立てるように、物事を土台から問い直し考えていくという姿勢は、科学にしろ批評にしろ研究にしろ真のオルタナティブを準備するために必要なものであり、そういう仕事をするひとはやはりデカルトのようなあり方をどこかで反復していくのだろう。私はあまり醜くない追随者をめざしてのんびりがんばろうと思った。

トマス・モア『ユートピア』平井正穂訳


不倫が、死刑。それがユートピアらしい。すごい。どこにもないという意味をもつ「ユートピア」という語に架空の理想郷を描いたといわれるこの書は、よくいわれるように確かに共産主義的社会を想像させるし、当時の時代性とも考えあわせると非常に面白い現在でもその知見が参考になりうる思考実験である。しかし通読したときは私はこの本についてあらかじめ抱いていたイメージと違う姿に面食らってしまった。

妻は夫に、子供は親にそれぞれ仕える。簡単にいえば、年少者は年長者に仕えるのである。どの都市もすべて同じような四つの区に分れる。各区の中心にはあらゆる種類の品物を扱う市場が立っている。そこにあるいくつかの建物に、すべての家族の生産品が持込まれる。あらゆる種類の品物が納屋や倉庫などにそれぞれ種類別にしまわれるのである。そして各家族の父親、つまり戸主がやって来て、自分はもちろん、自分の家の者が必要とするものはなんでもそこからいくらでも持っていく。金もいらなければ交換するものもいらない、抵当も担保もいらないのである。なぜなら、すべての物資が豊富にあって、しかも誰も必要以上に貪る心配のない所では、欲しいものを欲しいだけ渡してなんの不都合もないからである。けっしてものに不自由することはないという安心感、この安心感がある時に誰か必要以上に貪る者があろう。今さら言うまでもないが、あらゆる種類の動物が餓鬼のように貪欲になるのは、実に欠乏に対する心配であり、特に人間においては虚栄心である。人間はなくもがなの、玩具のような物を見せびらかして他人をしのげば、それがすばらしい光栄であるかのように思うものなのである。そういう悪徳を知らない国民、それがすなわちユートピア人なのだ。


ところが、である。金や銀でだいたい彼らは何をつくるかといえば、実に便器である。汚い用途にあてる雑多な器具である(これらは共同の会館においても、各個人の家庭においても同じように用いられている)。さらに奴隷を縛るのに用いる足枷・手癖の鎖である。そして最後に、罪を犯したため破廉恥漢とさらに皆に蔑まれている人間が耳につける耳飾りであり、指にはめる指輪であり、首にまく鎖であり、さては頭にまく鉢巻である。かようにしておよそ考えられるあらゆる手段方法を通じて、金銀を汚いもの、恥ずべきものという観念を人々の心に植えつけようとするのである。


彼らは阿保を大切にする。阿保の一人にでも危害を加えることは厳重に禁じられているが、阿保の阿保ぶりを楽しむことは少しも禁じられていない。これも阿保の為を思えばこそだと彼らはいう。世の中には阿保の洒落やしぐさに対して一向に、にこりともしない謹厳居士がいるものであるが、そんな連中には阿保の世話は委せられないということになっている。この種の連中にかかってはさすがの阿保も喜ばせることもできないし(阿保にとってはそのほかに取柄はないのだから)、況んや何らの利益をももたらすものでもないとすると、こういう連中の世話になったところであまり優遇されそうもないというわけである。


かようにユートピア人が、傭兵をいくら破滅におとし入れようが少しも意に介しないというのも、要するにこの極悪非道な連中をその汚い、悪臭ふんぷんたる巣窟とともに、この世界からきれいに除いて大いに人類の為に貢献しようとする信念があるからである。


一日六時間労働で、物資は皆一つのところに置かれ家長が好きなだけもっていっていい。しかし常に物は充分にあるという安心感が必要以上の消費をさせない。金は便器や不名誉な印に使われる。たしかにこの辺りは私が通俗的に抱いていたイメージとも合う。


しかしゆるぎなき年功序列の家長制であり、一夫一婦の婚姻は不貞をきびしく処罰する。また奴隷はいるし、阿保は大事にするが笑っていい(!)、傭兵として雇う凶暴な部族は、劣悪だからいくらでも戦争に駆り出して殺していい、正義だと皆思っているときたもんだ。最初に絶句してしまったのも一理はあるだろう。


この書は本当に一つの国としてユートピアを軍事や犯罪といったきれいごとでない側面からもシュミレートして書かれており、その分リアルで生臭い部分も上のようにきちんと書かれているわけだ。もっともそう思うのは現代だからで、当時の16世紀の世界観では全然前提となる知識や感性がちがっていたのだろう。


訳者は以下のようにいう。

サー・トマス・モアの生涯とその『ユートピア』について考えることはとりもなおさず、第十五世紀の後半から第十六世紀の前半にかけての、たんにイギリスのみでなく、広くヨーロッパの歴史を考えることにほかならない。

 モアの時代は文化史的にいうならば、要するに、文芸復興と宗教改革の二つの思潮が、中世的な思潮と激突した、恐ろしい時代だった、といいきってしまうことも、或いは可能かもしれない。

 トマス・モアの一生はまたとてもドラマティックである。

トマス・モアは一四七八年二月六日にロンドンに生れた(二月六日にするについてはチェイムバーズの説に従う)。

トマス・モアはセント・アントニ学院に暫く通った後に、十二歳の頃、時のキャンタベリ大司教であったジョン・モートンの屋敷に小姓として見習奉公に行くことになった。この人がどんな人であったかはモア自身『ユートピア』の中に記している通りであるが、この屋敷にいる間にモアはさまざまな見聞を得ることができたらしい。シェイクスピアの史劇『リチャード三世』に出てくるイーリの司教ジョン・モートンはじつにこの人に他ならない。

 モアはそののち次第に法律家として力量を認められてきたが、その間、アウグスティヌスの『神の国』について連続講演をやったり、下院議員に選ばれて、国王ヘンリ七世を弾劾したりしたが、彼がこの頃まじめに考えていた問題の一つは俗的な一切の仕事を捨てて宗教人として生活すべきかどうかということであった。いいかえると、結婚して俗人として生活するか、結婚を拒けて司祭として生活するか、このどちらを選ぶえきかということであった。彼はかなり考えたあげく「俗人」としての道を選んだ。一五〇五年、彼はジェイン・コルトと結婚した。

プラトンの『国家』に親しみ、アウグスティヌスの『神の国』を読みふけっている良心的なこの法律家は、現実の世界と現実の彼方にある世界、この二つを眺め、人間に対して時に痛烈な怒りを感じながら、しかしまた人間を愛しながら、自分の小宇宙の中に、一つの国家を想像していたに違いなかった。この想像のうちに浮んでくる国家像は、現実からの投影であるとともに超現実からの投影でもあった。一方では貧乏人の苦しみや支配階級のあくなき搾取や犯罪や非衛生や陰謀に対する、たとえ科学的な分析ではないにしろ、とにかく深い、透徹した把握があった。また他方には、古代の哲学者や神学者の考えた、理想国家への想像的な熱情があった。いわば、下と上から、現実と理想から、それぞれ投じられる影像が一つの焦点を結ぼうとしていたといえよう。ただそこに一つ、動かすことのできない条件があった。それは自分のぞくするカトリック教会の信仰であった。この信仰の問題は非常に微妙な意味をもつものであった。もしこの信仰を強く前面におし出し、護教的な立場からナイーヴに一つの国家像、或いは社会像を構想するとしたら、そこにはカトリック的な「キリスト教社会の理念」が示され、その結果はいろいろな紛糾をもたらすことは当然考えられたであろう。またこの信仰を全然否定し、ただ合理的な精神の上にのみきずかれるものであれば、それは要するに異教的な国家像にすぎず、それが「最善の国家」であるわけにはゆかないのは明らかであった。地球上のどこかにあってしかもどこにもない国家、外面的にはただ理性の上にたつがその内にかくされた信仰、いわば啓示されざる啓示をもった国家、そんなものが恐らくは漠然とモアの心の中に往来していたことが想像されるのである。

さて、モアは外交使節として充分な職責を果して故国に帰って来て以来、国王ヘンリ八世と枢機卿ウルジの信望を一身に集めるにいたった。モアは彼らの懇望により遂に「宮廷に引ずり込まれて」しまった。

ヘンリ自身が「信仰の擁護者」としてローマ教皇に忠節を誓っている間はよかった。しかしその信仰がぐらつきだしてから、モアの立場は微妙なものになってきた。イギリス国王とローマ教皇との間に微妙な緊張が生じたのは、ヘンリ八世の離婚問題に端を発する。王妃キャサリンとの結婚を妥当なものでないとしてこれを否定し、かねて愛情をよせていたアン・ブリンと結婚することをヘンリは望み、この問題に関する助言をモアに求めた。教皇の認めたキャサリンとヘンリとの婚姻をモアは否認することはできなかった。彼は離婚を正当化するいかなる根拠もないことをヘンリを率直につげ、これ以上はこの問題に関して沈黙することを許可されんことを乞い、良心の自由を与えられんことを乞うた。

 やがてヘンリのモアに対する復讐が始まった。宗教界の屈服と共に、議会もまた王冠の前には屈服していた。翌一五三四年、ヘンリは議会をして王位継承令を通過せしめ、この法に対する宣誓をモアに迫った。モアはこの法に記されている、ヘンリとアンとの間に生れた子供が王位をつぐことに反対はしなかったが、ここに付記されている文の中に、キャサリンとの婚姻を無効とし教皇の権威を否定する言葉がある以上、この法をそのまま肯定するわけにはいかなかった。モアはランベスの査問委員会によび出され、ついで遂にロンドン塔に幽閉されることになった、時に四月十七日のことである。
 やがて国王首長令と大逆罪令とが通過し、モアは主としてこの二つの法令によって追求されたが、彼はもはや沈黙するほかなかった。(中略)彼の前に死刑以外に何ものもないことは明らかであった。モアは世界のキリスト教徒を代表して、一王国の法の裁きの前に立っていた。全ヨーロッパ対イギリスの戦いであるとモアは思っていた。
 一五三五年七月六日、十五ヶ月近く幽閉されたいたため見るかげもなくやつれていたモアはついに処刑のために塔からひっぱり出された。(中略)モアはゆっくり断頭台にのぼり、ひざまずいて「ああ神よわがために清き心をつくり、わがうちになおき霊をあらたにおこしたまえ。われを聖前よりすてたもうなかれ」云々という言葉のある「詩篇」五十一篇をショウ(引用者註・漢字出ず。)した。いよいよ最後になった時、モアはその場所にいた人々に向って「どうか私の為に祈って下さい、そして私が聖なるカトリック教会の信仰を持ち、またその信仰のために、ここに死刑を処せられるというこの事実の証人となって下さい」といった。


長い引用だが、栄光をきわめたのち、敬虔な信仰者としての自分が為政者と軋轢をおこし、非転向のまま断頭台へ送られる。この姿に悲劇の理想主義者を見ないではいられまい。通俗的にいえば映画のような人生である。ルネサンス宗教改革、そして権威としてのローマ教皇の力がゆらぎ、王がその権威を無視しはじめた時代、その背景に照らすと『ユートピア』という作品は、著者の人生ともあいまって今でも変わらず大きな問題である理想とその実効性という難問を提示する。
 再び訳者から引く。

われわれは屡「ユートピア的」という言葉を聞くし、また自分でも用いる。そしてその多くの場合、例えば『オックスフォド辞典』が説明しているように、政治などについて、理想的すぎて殆ど実現も出来なければお話にもならない、という意味に用いられるのは、周知の通りであろう。「ユートピア的」とは「空想的」という意味で用いられるのである。しかし「ユートピア的」という言葉が世界の精神の歴史的な展開というコンテキストの上において用いられる時には、皮肉な調子はそこに含まれていない。モアの著『ユートピア』が近代的精神のマニフェストであることが、そこでは殆んど前提条件として了解されていよう。中世的な絶対主義から自らを解放しようとする近代人の、いわば自由の宣言があると考えられている。ユートピア国は人類の目標とすべき自由の天地であり、まさしく理想国家であり、進歩の極限とされている。そこでは、金持による搾取はなく、人々は六時間の労働時間をエンジョイしている。信仰は自由であり、寛容な支配的である。人々は戦争を呪い、平和を祈り求めている。要するに、共産的な社会機構がうるわしく運営されているのだ。およそ、進歩的といわれる近代人が心の中に描く未来の国家像がここにあるといっても誇張ではない。「モアの理想は依然として苦闘している人類の理想である」とカウツキ―が昔いったが、それは今日でもなお妥当な言葉である。この線から偉大な(たとえ空想的であっても)共産主義者トマス・モアの名が強調されてくるのも無理ではない。
しかし、そのような意味ではたして、『ユートピア』はユートピア的であろうか。おそらくこの問題は、究極的にはトマス・アクィナスをいったい中世的な人間とみるか、近代的な人間とみるかによって決定されてこよう。『ユートピア』はモアのその人の人間としてのあり方との連関なしには正しい解釈はえられないからである。私は前にモアが過渡期の人間であるといったが、モアがこの虚構と事実とのからみあった、そしてまた諧謔と怒りのもつれあったロマンスを書くときに、実に自分の立場にコミットしたらよいかを更めて反省したであろう。この理想国家の中に自由も確かにある。けれどもそれは衆人の前で自分の政治的信念をとくことを禁じられているといった自由である。信仰の自由もまた寛容であるが、もし人間の霊魂不滅に対して、懐疑をもつような人間があれば、その人間は法律の保護を奪われるのである。共産制は行われている。しかし、それはただ自由人の間だけであって、ここに使用されている奴隷たちはその恩恵には浴してはいない。ユートピア人は、人間が不幸や快楽を求めるものであることを肯定している。が、宗教的な動機から苦行を行う者があれば、その者はみんなに賞賛される。彼らは人間の理性によってはこれ以上のものが見出せないという確信をもってすべての制度や生活のモラルを律している。ただし、もっと信仰的な考え方が天から啓示されるならば、話は別だ、といっているのである。

 法廷に立つモアの姿は、嵐に抗して立つヒューマニストの姿であったといってもよかろう。またその抗議は死の抗議であったともいえよう。ここにわれわれは、ヒューマニズムの持つ力強さと、その限界を見るような気がする。秩序を信じ、理性と信仰の調和を信じ、国家と宗教の和解を信じていたモアはついに断頭台上の露と消えてしまった。秩序は無秩序に敗れた。しかし、恐らく秩序を愛する者の心にモアは永遠に生きるであろう。秩序をどう解するか、またどういう手段を通じてそれに到達するか、それは各時代、各人の課題であろう。場合によっては、無秩序が秩序の同義語であるかもしれない。人類の平和を欲しない者が一人でもこの世の中にいるとは考えられない。問題はただ方法なのである。
 モアの信仰が正しかったかどうか、そのヒューマニズムがわれわれのヒューマニズムになり得るかどうか、―こう考えてくると、これに対する答えは、各人の立っている立場によって異なってくると思われる。しかし、カトリック教徒も、プロテスタントも、コミュニストも、そしてまたヒューマニストも、およそ人間の幸福を祈求する者にとっては、サー・トマス・モアの名は永久に忘れられることはないであろう。


ヒューマニスト、あるいは理想主義者の力強さと限界、求心力と非実効性が、彼の人生やこの作品の中に否応なく刻印されているようだ。理想主義者はある意味で特別な求心力をもつ。そしてそれの非現実性がより悲惨な結果をまねくこともある。またその人が説いた理想のかたちが後世からみると唖然とするほどグロテスクなこともある。しかし……。そういう思いを、結局は理想主義者である私も軽視せずに考え続けていかねばならないと思った。

マキアヴェッリ『君主論』河島英昭訳


短かった。例によって本文の倍以上の注がついていたような気がするがガン無視した。力量的に無理だ。その特異性によって古典の中でも不気味な輝きを保持している本書は、しかし通読するとおどろくほど腑に落ちるまっとうな、しかも―こういうのは語弊がありそうだが―品のある文章だった。


このルネサンスから近代が完成するまでの15〜19世紀あたりの著作は、歴史的知識のない私にとってはこの著者の人生を知ることでこの時代に対する知識とイメージを摂取したいという意識がはたらくので、やはり解説からマキャヴぇッリの一生について抜粋すす。

ニッコロ・マキアヴェッリは、一四六九年五月三日、イタリアのフィレンツェ市中に生まれた。父親ベルナルドは法律家であり、母親バルトロメーア・デ・ネッリは詩文の才があって、しかも家計の支えに尽す、働き者の女性であった。この両親のあいだに、長男として、ニッコロは誕生したのだが、その前に姉二人(プリマヴェーラマルゲリータ)があって、後には弟トットが一四七五年に生まれてくる。

そして一五二七年六月二三日、息子ピエーロの言葉によれば「貧しさだけを残して」フェレンツェで亡くなったのである。


これしか打ち込んでなかった。補足すればマキアヴェッリはこの後優秀な官僚として頭角をあらわすが、メディチ家がイタリアを支配するようになると、その前の統治者に重用されていたマキアヴェッリは本人の楽観的な展望と裏腹に投獄される。その後自らの名誉回復も願いつつメディチ家に献呈されたのが『君主論』だったりする。

それゆえ、自分の新しい君主政体のなかで、敵を退けて味方を殖やし、武力や謀略によって打ち負かし、民衆から愛されかつ恐れられ、兵士たちに慕われかつ畏怖され、あなたに危害を加える能力と危惧のある者たちを抹殺し、新しい制度によって古い制度を改め、峻厳であると同時に慈悲深く振舞い、寛大でありかつ惜しみなく与え、忠実でない軍は解体させて新たに組織し直し、横行や君主たちとは友好関係を保ちつつ、あなたに進んで利益をもたらすように仕向けるか、あるいは彼らを攻撃するさいには慎重を期すこと。これらの行為がいずれも必要であると判断する者は、この人物の行動以上に、新鮮な実例を見出すことができない。


このような人物がマキアヴェッリの理想とする君主像である。背反するような要素、愛されかつ恐れられ、峻厳であると同時に慈悲深く、抹殺をためらわずまた寛大であり惜しみなく与えていく…君子豹変するといった言葉を思い出すこれらの君主たるべき要素は、マキアヴェッリが本文中で展開する為政者の直面するさまざまな局面に対する賢明な対処のあり方を論じるのを見るとひとつひとつどうも納得がいってしまう。

ここで考慮すべきは、みずから先頭に立って新しい制度を導入すること以上に、実施に困難が伴い、成功が疑わしく、実行に危険が付きまとうものはないということである。なぜならば、新制度の導入者は旧制度の恩恵に浴していたすべての人々を敵にまわさねばならないから、そして新制度によって恩恵を受けるはずのすべての人びとは生温い味方にすぎないから。この生温さが出てくる原因は、ひとつには旧来の法を握っている対立者たちへの恐怖心のためであり、いまひとつには確かな形をとって経験が目のまえに姿を見せないかぎり、新しい事態を真実のものとは信じられない、人間の猜疑心のためである。

およそ名のある人物にあって新たな恩恵がかつて加えられた古傷を忘れさせられると信ずる者は、欺かれる。

そこで注意すべきは、ある政体を奪い取るにあたって、これを占拠する者は、なすべき必要な攻撃のすべてを仔細に検討しておかねばならないし、また毎日、同じことを繰り返さないために、すべてを一挙に実行に移して、その後は繰り返さないことによって人びとを安心させ、かつ恩恵を施しつつ彼らを手懐けるようでなければならない。臆病のためや悪い考えのために、これとは逆の行動をとる者は、いつでも手に剣を握っていなければならないし、また生々しく絶え間ない迫害のために、臣民の側は決して彼に気を許さないので、彼のほうも臣民の上に安心して立っていることができない。このような次第であるから、なるべく少なく味わうことによって、なるべく少なく傷つけるように、加害行為はまとめて一度になされねばならない。けれども恩恵のほうは少しずつ施すことによって、な
るべくゆっくりと味わうようにしなければならない。

そして自分の都市の防衛を充分に強化し、他の政策に関しては、先に述べたごとく、また後に述べるがごとく、臣民に対する措置を講じておくならば、誰でもつねに並大抵のことでは侵略されないでだろう。なぜならば人間は目に見えて困難な企てにはつねに反対するものであり、堅固な守りの都市を擁してしかも民衆から憎まれていないような人物を攻略することなど、容易な業とは写らないから。

なぜならば、あなたに降りかかる害悪の他の諸原因のなかでも、非武装であることはあなたを侮られるから。(中略)なぜならば、武装した者と非武装の者とのあいだには、比較を絶したものがあり、武装した者が非武装の者に喜んで従うとか、非武装の者が武装した家臣たちのあいだで安全でいられるなどというのは、到底、理に叶っていないから。なぜならばまた、一方の心のうちに侮りがあり、他方のうちに疑いがある以上、両者がいっしょうになって軍事行動をうまく進めることなどあり得ないから。


多くの民衆を束ねる立場の君主は、その集団としての人間の一般的な性質をつかんでなければならない。人間はだいたいにおいては、実に意思の弱く、猜疑心がつよく、隙あらば出し抜こうとし、暴力による恐怖がなければすぐに相手を侮りだす。これらの人々をたばね、支配するために過剰な人に対する期待を切り捨て、人間の愚かさに焦点をあわせ、これらを支配する力の行使は厳粛におこなう。しかし同時に安定が長く続くという事実によって民衆は君主を信頼するのだから、そのような不安定な気持ちをもたらす力の講師は必要なときなるべく短く、頻繁に繰り返すことのないようにしなければならない。そのことによって恩恵をなるべくゆっくり施すことによって信頼され、不安分子を力で抹殺し、また支配した君主は侵略されることがない。これらの認識は、私にはどれもまっとうに見えた。私は君主ではないので抹殺などを自分のこととして肯定することは抵抗があるが、マキアヴェッリが人間集団のだらしなさを力で脅しつけ抑止しながら、同時に長くゆっくりとした恩恵によって安定した日々が続くという事実で民衆の支持をつかむことが何よりも大切だといっているのは、国政レベルの現実をはっきりつかんでいるという感じはぬぐえない。

なぜならば、いかに人がいま生きているのかと、いかに人に人が生きるべきなのかとのあいだには、非常な隔たりがあるので、なすべきことを重んずるあまりに、いまなされていることを軽んずる者は、みずからの存続よりも、むしろ破滅を学んでいるのだから。なぜならば、すべての面において善い活動をしたいと願う人間は、たくさんの善からぬ者たちのあいだにあって破滅するしかないのだから。そこで必要なのは、君主がみずからの地位を保持したければ、善からぬ者にもなり得るわざを身につけ、必要に応じてそれを使ったり使わなかったりすることだ。

右に述べた諸々の資質のなかでも、善なるものばかりを身につけた君主がいれば、それはまさに称賛きわまりない人物であろうと誰もが認めるはずであることを。だが、人間の条件としてはそれは許されるべくもないので、それらを身につけることも完全に守りぬくことも出来るわけがないから、必要なのは、ひたすら思慮ぶかく振舞って、自分から政権を奪い取る恐れのある、そういう悪徳にまつわる悪評からは、逃れるすべを知っていなければならない。また自分からそれを奪い取るほどではない悪徳からも、可能なかぎり、身を守るすべを知らねばならないが、それでも不可能なときには、さりげなく遣り過ごせばよい。またさらに、これらの悪徳なくしては政権を救うことが困難であるような場合には、そういう悪徳にまつわる悪評のなかへ入り込むのを恐れてはならない。なぜならば、すべてを熟慮してみれば、美徳であるかに思われるものでも、その後についてゆくと、おのれの破滅へ到ることがあるのだから。また悪徳であるかに思われるものでも、その後についてゆくと、おのれの安全と繁栄とを生み出すことがあるのだから。

主が信義を守り狡猾に立ちまわらずに言行一致を宗とするならば、いかに賛えられるべきか、それぐらいのことは誰でもわかる。だがしかし、経験によって私たちの世に見てきたのは、偉業を成し遂げた君主が、信義などほとんど考えにも入れないで、人間たちの頭脳を狡猾に欺くすべを知る者たちであったことである。そして結局、彼らが誠意を宗とした者たちに立ち優ったのであった。
あなた方は、したがって、闘うには二種類があることを、知らねばならない。一つは法により、いま一つは力に拠るものである。第一は人間に固有のものであり、第二は野獣のものである。だが、第一のものでは非常にしばしば足りないがために、第二のものにも訴えねばならない。そこで君主たる者には、野獣と人間を巧みに使い分けることが、必要になる。

したがって、君主たる者に必要なのは、先に列挙した資質のすべてを現実に備えていることではなくて、それらを身につけているかのように見せかけることだ。いや、私としては敢えて言っておこう。すなわち、それらを身につけてつねに実践するのは有害だが、身につけているようなふりをするのは有益である、と。たとえば見るからに慈悲ぶかく、信義を守り、人間的で、誠実で、信心ぶかく、しかも実際にそうであることは、有益である。だが、そうでないことが必要になったときには、あなたはその逆になる方法を心得ていて、なおかつそれが実行できるような心構えを、あらかじめ整えておかねばならない。そして誰しも人は次のことを理解しておく必要がある。すなわち、君主たる者は、わけても新しい君主は、政体を保持するために、時に応じて信義に背き、慈悲心に背き、人間性に背き、守るわけにはいかない。またそれゆえに彼は、運命の風向きや事態の変化が命ずるままに、おのれの行動様式を転換させる心構えを持ち、先に私が言ったごとく、可能なかぎり、善から離れることなく、しかも必要とあれば、断固として悪のなかへも入っていくすべを知らねばならない。


これらは痛みはともなうが未だにまったく有効性を失わない現実であり、これらを是認しない者も、これらの現実的な実効性と、理想的な人物をもってなしうるこれらのやり方とは違う為政の方法の困難さを骨身にしみて感じていなければ、まったく何もできないだろう。

ここで重要な一つの問題に、私は触れずにいられない。それは、世の君主たちがよほど思慮ぶかくないかぎり、あるいは賢明な選択をしないかぎり、身を守ることの困難な一つの過誤である。それは、他ならない追従者たちのことであって、世の宮廷は彼らに満ち充ちている。なぜならば人間というものは、わが身のことになればおのれを甘やかし、たやすく騙されてしまうので、この疫病から身を守るのは困難である。そしてこれから身を守ろうとすれば、おのれの身が軽蔑されかねない危険を伴う。なぜならば、あなたに真実を言っても、あなたが機嫌を損ねない君主である、と人びとに知られてしまうこと以外に、追従者から身を守る方法はないのだから。だが、誰もがあなたに真実を言えるときには、あなたを尊敬する者はいなくなる。それゆえ思慮深い君主は、第三の方法を取って、自分の政体のなかから賢者たちを選び出し、選ばれた者たちにだけ、真実を告げる自由の与えればよい。しかも他のことについては告げるのを許さずに、自分が訊ねた事柄にだけ―ただし訊ねる対象は万事にわたらなければならない―彼らの意見を言わせればよい。それから後は、自分独りで、自分なりの方法で、決断を下さなければならない。そしてそういう助言を受けながら、彼らの一人ひとりに対して、自由に真実を話せば話すほど、いっそう彼らの助言が受け容れられることを、彼らにわからせるよう振舞わなければならない。彼ら以外には、誰にも耳を貸さずに、決断したことは推し進めて、あくまでもその決断を貫かねばならない。これに反した行動を取る者は、追従者たちの罠に落ち込むか、さもなければ異なる意見を聞くたびに何度も意見を変えねばならなくなる。そこから生まれてくるのは、自分の評価の下落だけである。


君主たる者は、それゆえ、つねに助言を求めなければならない。が、それは、自分が望むときあって、他人が望むときではない。そればかりか、何事であれ、自分に対して助言をしようなどという気持を、誰にも起こさせてはならない。とくに、こちらから、訊ねないかぎりは。だが、彼のほうは、あくまでも幅広い質問者でなければならない。加えて、自分が訊ねた事柄に関しては、忍耐強く、真実を聞き出さねばならない。そればかりか、誰かが、誰かに対する遠慮から、真実を言おうとしないことに気づいたときには、怒りさえ露わにしなければならない。そして思慮深いという評判が立った君主は、みな、生来の資質のためではなく、身近に置いた良き助言者のおかげである。などと多くの人びとが評価しても、疑いなくそれは誤りである。なぜならば、次に述べることは、過つはずのない、一般原則であるから。すなわち、みずからが賢明でない君主は、良き助言など受け容れられない。


結論を、したがって、出しておくが、運命は時代を変転させるのに、人間たちは自分の態度にこだわり続けるから、双方が合致しているあいだは幸運に恵まれるが、合致しなくなるや、不運になってしまう。私としてはけれどもこう判断しておく。すなわち、慎重であるよりは果敢であるほうがまだ良い。なぜならば、運命は女だから、そして彼女を組み伏せようとするならば、彼女を叩いてでも自分のものにする必要があるから。そして周知のごとく、冷静に行動する者たちよりも、むしろこういう者たちよりも、むしろこういう者たちのほうに、彼女は身を任せるから。それゆえ運命はつねに、女に似て、若者たちの友である。なぜならば、彼らに慎重さは欠けるが、それだけ乱暴であるから。そして大胆であればあるほど、彼女を支配できるから。


これらは例えば官僚はこちらから聞きたいことがあるときしか呼ばず、こちらの質問にしか答えさせない、という現代のある政治家がいっていたテクニックのおそらく源流が語られている。また結論のやや問題のある比喩も、運命を御しうるという信念がしばしば粗暴な若者のパワーを肯定することを通して自らの清濁あわせのむあり方をしめしている。しかし、マキアヴェッリは後世に悪名しか残さないような君主を、たとえうまくいっていたとしても肯定しない。マキアヴェッリは名誉や後世の模範といった現実的で実効的なものとは少し違った理念などをなお保持していた。人の生命に取替えのきかない大きな価値を見出すことを前提に、やはりマキアヴェッリの君主的なあり方と別のあり方を私は希求したいと思ってしまうが、意外にもとても肌にあった本であった。

ハンス・アビング『金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか』山本和弘訳


柄谷行人の書評(http://book.asahi.com/review/TKY200702270223.html)などで興味をひかれ読んだ。岡田暁生西洋音楽史』もそうだったが、目から鱗の指摘を読み進みながら同時に以前から直観はしていたがううまく言葉にできず居心地のわるさを感じていた問題をついにいってくれたという喜びをあたえてくれる本だった。


オランダの経済学者にしてアーティストの著者は、なぜこんなにも多くのひとが経済学者としてみればあまりにもリスクの高くリターンのないアーティストとしての職業にこだわり長くそこに居続けるのか?という疑問から出発し、結果としてこの本は芸術というものがいまもって持つ神話を解体し、しかし同時にその神話が必要とされる理由も明るみにだすものになった。


この本の中で展開される議論を著者は109のテーゼにまとめており、その他にも「芸術の神話体系」といったリストが多く並ぶ。著者が自分の議論をかみくだきわかりやすく形式化することでより多くの議論にひらいていきたいという意識のあらわれのようだ。その「芸術の神話体系」を引用してみる。

芸術の神話体系

1 芸術は神聖である。
2 芸術を通じてアーティストと芸術消費者は神聖な世界とかかわる。
3 芸術は縁遠くて余計なものである。
4 芸術は贈与である。
5 アーティストには天賦の才がある。
6 芸術は一般の利益に奉仕する。
7 芸術は人々のためになる。
8 アーティストは自律的である。すなわち、他の職業は自律的ではない。
9 芸術には表現の自由がある。
10 芸術作品は本物であり、アーティストはその唯一の創造者である。他の職業にはそのような本物らしさはない。
11 本物の作品創造は果てしない個人的満足を与える。
12 アーティストは無私で芸術に奉仕する。
13 アーティストはひたすら内的に動機づけられている。
14 金銭と商取引は芸術の価値を貶める。
15 コストと需要から解放されたときにのみ、芸術的な特質が生まれる。
16 アーティストは耐えなければならない。
17 才能は生まれつきのもの、あるいは神が授けたものである。
18 誰もが才能に恵まれるチャンスを平等に持っている。
19 芸術的才能はそのキャリアの終盤になって初めて現れる。
20 ずば抜けた才能は稀なので、アーティストを蓄えた巨大なプールがあって初めて、ごくわずかの飛び抜けた才能あるアーティストを社会に供給することができる。
21 成功は才能ともっぱら献身にかかっている。
22 芸術は自由である。他に職業に厳然としてある障壁はない。
23 成功したアーティストには独学の者もいる。
24 天賦の才、献身、平等なチャンスが芸術にはある。すなわち、最高の者が勝ち残る。
25 数人のアーティストが稼ぐ高額な収入は正当なものである。


どれも多くのひとがなんだかんだいって同じようなイメージを芸術やアーティストに対してもっているのではないだろうか。著者はこれらの神話がまさに神話でしかないことをひとつひとつ論証していく。しかしその論証から浮かび上がるのはむしろそのような芸術の神話が必要とされる現実がそうそう変わらないであろうという見通しである。

十九世紀の初頭、アーティストはブルジョアに次いで、ボヘミアン(自由業)として登場してきた。最初は、これらのボヘミアン・アーティストはそれほど重要ではなかったが、十九世紀末にその数は増大し、二十世紀初めにはどこにでも見受けられるようになった。現在では、ボヘミアン・アーティストはほとんどのすべてのアーティストの典型となっている。このような典型に対抗し、新たなモデルをつくろうとする(ポストモダンの)アーティストにとってさえ、この古い典型は参照対象であり続けている。
アーティストは自らの独自性と本物であることを証明できる唯一の人種であったし、いまもそうであり続けている。日常生活においては、ブルジョワジーボヘミアン・アーティストに蔑みの目をむけ、嫉妬を増大させながらも、成功したアーティストと芸術に対しては尊敬の念も増大させてきた。成功したアーティストは本物をつくり出す唯一の製作者と見なされる。真のアーティストは、いまも昔も天才なのである。このような芸術の崇拝は、二十世紀になるとより重要性を増してくる。


市民階級のライフスタイルから逃げ出したいと思っている人々に、ボヘミアン・アーティストは手本を示した。最近では、それは計算、効率性、合理性が支配する商業、テクノロジー、科学からの逃避であるように見える。贈与の領域に属することによって、芸術はこれらの世界と袂を分かっている。
 一方で、芸術は対案を提供する。テクノロジーと消費が支配する世界では、芸術はもうひとつのよりよい世界を重い起こさせると多くの人々が考えているとしても、それほど驚くことではない。無数の若者が他の職業の支配から逃げ出し、自分の個性を誇示するために、アーティストになりたいと思うのは自然なことである。若者たちがそうするのは、芸術の高いステータスを分かち合いたいと望むからでなく、普通の職業では見い出すことのできない個人的満足を、芸術製作がもたらしてくれることを期待しているからである。
 その一方で、あまりに合理的で、あまりに商業的で、あまりに工業技術的と多くの人々に考えられている社会において、芸術は反発力としても機能している。したがって、芸術は現代社会の合理的活動に対する当たり障りのない対案なのではなく、これらの活動を必然的に補完するものである。社会における計算、合理性、効率性の不健全な発展を相殺する可能性を芸術は持っている。このように対立する芸術と合理性は互いの存在を脅かしているが、両者はともに生き残る必要もある。

十八〜十九世紀の産業革命以降、その圧倒的な現世利益(稲葉振一郎)によってヘゲモニーを握った科学や「計算・効率性・計算合理性」ら重視が基本になった社会に対する「ロマンチックな対案」を提供するべく必要とされたのがボヘミアン(自由業)的なアーティストであり、その「ロマンチックな対案」を構成する芸術の神話が二〇世紀にいたってますます強くなり、二十一世紀のいまの強く残り続けている。それは「あまりに工業技術的」と思える社会に飽き足らないひとや、それらから落ちこぼれたひとたちが必要とするそれなしには自分を保てないかもしれない神話なのだ。そこで著者ははっきり芸術をかつての宗教の役割だといってしまう。ゆえにそれは神聖でなければならないのだ、と。そしてそれはむしろ社会の階層の高いものこそがその観念にひかれ、自分を芸術に理解のあるものとして見せたがり、政府も芸術に金を出す。芸術は危険で魅惑的な対案であるようで、むしろ社会の安定に寄与する機能をもつ政府が金を出す意味のある(そして結局は都合よく利用されるだけかもしれない?)装置でもある。


そのような容赦ない分析は、私のような「芸術の神話体系」にナイーヴに染まっているものですらひしひしと感じていた芸術の欺瞞性を解明し、それを私は小気味よく読んだ。同時に少し安心もした。なぜなら著者がその神話解体を徹底的にすればするほど、にもかかわらずありつづける芸術の力が当分なくなることはないだろうと思えたからである。訳者は解説で、日本はオランダと違い芸術にお金をつかわなすぎる、この本をもってもっと助成をふやす問題提起になることを希望しながら、以下のようにいう。

ついでながら、訳者の役割のひとつとして、本書に対する批判も簡単に加えておこう。芸術が神話であることを明らかにした経済学や社会学という学的方法もまた、芸術を対象とする学が確立された十八世紀から二十世紀に確立された学である。したがって、利己的であるという近代的自我が経済と社会を駆動させるインセンティブになる、という近代経済学社会学が本書の大前提となっている。換言すれば、利己的立場をとる経済学は、芸術の持つ利他的性格をより顕在化させるだろう。すなわち、本書での分析によって、いわば神聖ぶった芸術の化けの皮が剥がされた皮が剥がされた格好にもなっているのだが、しかし、そのような偽善的かつ表面的な人間の利己的行為をなおも批評し、その背後にある人間の本来性を開示させるものとしての芸術の存在意義は、本書のアプローチからは見えてこないものである。これは本来の芸術を研究する学の役目である。


つまり、著者のいうことを認めたうえでこそ、より明確なかたちでの芸術の意義を正面から論じられる可能性がひらけたともいえるわけだ。「人間の本来性」などというとひいてしまうような論調が席巻していたときもあるが、むしろそれを徹底的に解体しようとしたこの本によってそのような観念のぬぐいがたさが明らかになっている。それをいかに別の言葉でつむいでいくか。この本の議論を認めながらでも、あるいはこの本を通過して語るからこそその意義や内実を語ることが再びアクチュアルなものとなりうる、そんな気にさせる本であった。

レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯』杉浦明平訳


岩波文庫で上下巻あり、上が人生論、文学、絵画論、下が科学についてや書簡などをおさめている。


上巻はともかく、下巻の300頁ほどを占める科学についてのところはほとんど読めなかった。頁をめくって見るだけという感じで、もう少し理科を勉強しておけばよかったと後悔している。これは後日再挑戦と思っておこう。


モナリザの作者である画家であり、建築家であり、中世において抜群の近代的な科学認識をもっていた解剖学者・実験者であり、軍事技術や芸術論などにも業績がある万能の天才としてレオナルド・ダ・ヴィンチは知られている。


解説から抜粋して彼の生涯を大まかにフォローしてみる。

レオナルド・ダ・ヴィンチLeonardo da Vinci は一四五二年イタリア半島の中部トスカナ地方フィレンツェ自由市の郊外アルバノ連山西南腹の一寒村ヴィンチ村に生れた。父は公証人セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ(一四二七年―一五〇四年)、母はカテリーナ。二人の間に生れた「自然児」すなわち私生児であった。

レオナルドはこのミラノ公に仕え、あるときは音楽家(リラ演奏家)として、あるときは都市計画者として、あるときは余興係として、またしばしば軍事技師として水利工事監督として活躍した。一方芸術家としてはミラノ本寺のティブーリオの模型をつくったり、ミラノ城内の装飾に参加したり、一六年かけてミラノ公の先祖フランチェスコスフォルツァ騎馬像(佛軍侵入の際破壊された)の原型を製作した。またミラノの聖フランチェスコ寺院のために「岩窟の聖母」にとりかかり(完成せず)、サンタ・マリア・デルレ・グラーツェ寺院の食堂の壁書として「最後の晩餐」とミラノ公夫妻およびその二児とを描き、さらにイル・モーロの二人の愛妾チェチリア・ガルレラーニとルクレツィア・クリヴェルリの肖像書をも製作した。もっとも後の三つの肖像書は残っていなかったらしい。しかもレオナルドの仕事は数年にわたることが多かったため、訴訟事件をすら惹起したのであった。さらにこのミラノ時代には人体解剖の研究、光と影についての研究等を行い、アルプス地方を歩いて、モンテ・ローザに昇っている。

レオナルドはフェレンツェにもどって、アンヌンツィアータ寺院の委属によって「聖アンナ」の書稿をこしらえる。が芸術よりも科学的研究に没頭していたようである。そして、一五〇二年には教会軍の司令官チェーザレ・ボルジアの軍事土木建築技師としてロマーニャ地方へ従軍したが、翌一五〇三年にはフィレンツェにもどって、パラッツォ・ヴェッキオ内の大会議室の壁書「アンギアリ合戦」を準備しだす一方、この年から「モンナ・リザ」の製作を開始し、四年を費やして完成した。壁書の方は有名な騎馬戦を含む一部のみで、結局放擲されてしまったが、この第二次フィレンツェ時代にレオナルドの科学研究はいよいよ盛で、鳥の飛翔、地質や水の運動、解剖についての手記を残している。が一五〇六年六月、ミラノ総督シャルル・ダンボアーズ(ショーモン)に招聘されてミラノに出発。

フランスではフランソワ一世に仕えて、アンボアーズ郊外のクルー城にあり、祝典の余興を考案したりロモランタン付近の運河工事を計画したりしていたが、一五一九年五月二日、アンボアーズで客死し、同地のサン・フロランタン寺院に葬られた。

15世紀から16世紀にかけてイタリアに生まれフランスで死去するまでに書き残された膨大な手記の抜粋がこの本である。


50年弱前の訳なので、漢字が旧字体なのに閉口するが、その当時にしてかなりくだけた口調の訳語がつかわれているところもある。「『幸福』が来たら、躊らわず前髪をつかめ、うしろは禿げているからね」など手記自体がこのようなウィットに富んだ内容と口調をもつためらしい。


人生論とカテゴライズされている文章では卑近な話題から抽象的な論まで雑多につめこまれている。

男というものは女が自分の欲する色欲に屈しやすいかどうか知りたくてたまらない。それでそうだということがわかり、女が男を欲しがるとすぐさま女に頼んで自分の欲望を実行にうつす。しかも女が白状しないかぎり女の気持ちが分らない。白状したらあわてる。


これはまさに「不快」を伴う「快楽」である。お互に決して離れることがないのだから、双生児として描いてある。二人は同一の土台を持っているのだから、同一の胴体の上にすわっているように描いてある。というのは快楽の土台はこのとおり不快を伴う労苦であり、不快の土台もこのとおり様々な放埓な快楽である。そこでここには右手に竹を握っているところが描かれている。なぜかなら竹は空虚で力がないがそれで刺された傷は毒を帯びるから。〔竹は〕トスカナではベッドの脚に用いられるが、ここではかない夢が織りなされ、ここで一生の大部分が消費され、ここに非常に有益な時間すなわち朝の時間が投げ込まれる―朝は精神爽快で十分休息をとって居り、肉体も新しい労働を再開するのに適している―ことを意味する。なおまた其処では幾多のはかない快楽、自分に不可能なことを妄想する時は精神の快楽、あるいは生命取りになりやすい例の快楽をあじわうときには肉体の快楽、味わわれる。このようなわけでベッドの台としての竹を握っているのである。


点は部分をもたないと言われる、したがってこのために点は分割不可能であるということになる。そして分割不可 能なものは広がりを持たず、ひろがりをもたぬものは無に帰する。したがって点は無であるが、無の上にはどんな科学も成立ちえない。こういう原理をのがれるためにわれわれは主張してもいい、「点とはありうるかぎりのものよりさらに小さいものであり、線はその点の運動によって作られる。しかしてこの線より狭く薄いものは何一つ存 在しえない。線の極限は二個の点である。次に面は線の横ざり運動から生れ、これより薄いものは何一つ存在しえず、そしてその極限は線である。立体は〔面積の〕運動によって作られる。〔そしてその極限は面である。〕」


それぞれ面白いが、面白さの質がずいぶんちがう。不快を伴う快楽など精神分析における享楽の説明のようだし、点の考察から立体にいたるさまは数学的だ。同時に男女と機微というのか卑属といえば卑俗な話もユーモラスに語られている。これらのバラエティに富んだ思考が著者の本領なのだろう。


上巻には「文学」と「絵の本」というカテゴリがあるのだが、この「文学」というのは私が思い描いているようなものとはだいぶ違った。このカテゴリ自体も後世の人がわけたものだろうから、いわゆる「文学」というより教訓を含んだ寓話や説話のようなものだと思う。

あるひとが友人との交際をやめた、相手が友だちのわる口をしばしば言ったからである。絶交してのち、ある日のこと、友人のところへ不幸を弔いにゆく。丁重な弔問のあとで、友人は、どういうわけで、あんなに親しい友情をお忘れになってしまったのか、教えていただきたいと頼んだ。これにたいしてかれは答えた。
 「ぼくは君を愛しているからこれ以上君と交際したくないんだ。君は友人のぼくに他人の悪口をいうが、他の人々がぼくと同じように君からいやな印象をうけてもらいたくない、君は他の人々にも君の友人たるぼくのことを悪くいうだろうからね。従ってぼくたちが今後交際しなければ、ぼくたちは敵になったように見えるだろう。そうすれば、君が例のとおりぼくの悪口をいったところで、おつきあいしているほどにはひどく非難されないですむだろうものね」


つぐみと梟―つぐみは、人間が梟を捕えその足を頑丈な紐でしばってその自由を奪うのを見て、大いによろこんだ。だがやがてその梟が囮となって、そのつぐみの自由だけでなく生命そのものをうばう原因となった。
 これは、自分たちの支配階級が自由をうしなうのを見てよろこんだ町が、やがてそのために救いの道をうしない、敵の権力のうちにつながれて自由はもとよりしばしば生命まで捨てることになるのたとえである。


寓話。歯に咬まれた舌について。

著者の生きた時代では宮廷でのサロンにおいて活発な談論がかわされていたらしいので、その時にこのような話をしていたのかもしれない。


「絵の本」では画家(書家と書かれている)の心得や、他の芸術ジャンルと比べたときに絵の優位性が語られている。


絵と詩との相違―想像と実体との相違は影と影ある物体との関係に等しい、「詩」と「絵」との間にも同様の比例が存する。けだし「詩」は読者の想像のうちに自分の事柄を並べるのにたいして、「絵」はそれを眼の前にリアルに表現するが、その眼は自然さながらの映像を受けとる。「詩」の方はその映像をもたずにものを表現するので、それは「絵」のように視覚を通して印象に達することがない。
 「絵」は言葉あるいは文字のなす以上の真実さと正確さとをもって自然の諸作品を感官に向って表現するが、文字は「絵」のなす以上の真実さをもって言葉を表現する。しかし作者の作品すなわち人間の作品たる言葉を表現する。しかし作者の作品すなわち人間の作品たる言葉を表現する、例えば人間の舌を通る詩その他のごとき学よりも自然の作品を表現する学の方が一層おどろくべきだと言ってよかろう。


書家は孤独でなくてはならぬ―書家は孤独で、自分の眺めるものをすべて熟考し、自己と語ることによって、どんなものを眺めようともそのもっとも卓れた個所を選択し、鏡に似たものとならねばならぬ。鏡は自分の前におかれたものと同じ色彩に変るものだ。このようにしてこそ書家は「自然」に従ったように見えるだろう。


君は、われわれの生活費以上莫大な金をもうけてもその銭は大したものではないということを心得ねばならぬ。つまり銭をふんだんに有っていても、君はそれを使いつくすわけにゆかず、従って君のものではない、使えない財産はすべて一様にわれわれのものであって、君が自分の生活に役に立たないほど儲けてもそれは悉く君の意のままにならぬ他人の掌に握られている〔も同様な〕のである。しかし二つの遠近法の理論によって研究しよく推敲するならば、君は誰よりも偉大な名誉を付与する作品を残すことになるだろう。けだしそれのみがひとり名誉なのであって、銭を有っている人はそうではない。そういう人はしょっちゅう嫉妬羨望の的、泥棒のねらいの的となり、その生命といっしょに富豪の名声も消え去り、財宝の名はのこるが、財をためた人の名はのこらない。人間の技量の名誉はかれらの財宝のそれよりはるかに偉大な光栄である。

解説にもあるように、ここでの絵のジャンルの優位論はやや詭弁的な面もあり、特に写真や映像をもつ今ではやや時代を感じさせる。しかし、この記述に解剖学者・あるいは科学的な目をもった実験者としての著者を想起し、それと同じ目線で画家の仕事を意味づけ創作していたと考えると非常に興味深い。万能の天才の万能たる秘密がそのようなあり方にこそ隠されているように思えるだろう。


科学についての論述は数式やわけのわからない言葉が乱舞しているわけではないが、実験と観察、そこから導き出される仮説がみっちりつめこまれており、少し基礎教養(理科レベル)がないと読むのがつらいという感じだった。

重さと暴力と物質運動とは衝撃と相まって現象世界の四つの力である。人間のありとあらゆる目に見える仕事はその存在と死とをこの四つの力の上にもっている。


力とは何か。力とは精神的な性能、不可視な能力であると定義する。それは偶発的外的な暴力の運動によって産み出され、自然の安静状態から引きずり出された諸物体の中に散布瀰漫する。そしてその物体に不思議な能力をそなえた活動的な力を吹きこむ。


また歌うとき声を変化させ調節し明瞭ならしめる機能がどのように随意筋によって動かされる気管の単純な呼吸作用によるかを記述しかつ図解すること。この場合は、舌はいかなる部分も働かない。


重さや力といった概念を抽象的な思考で定義づけるとともに、随意筋や気管など解剖学的な具体的観察・実験の記録もおおいに出てくる。その記述の仕方も無味感想ではなく、芸術家でもあり、神を信じるものでもあり、それらが矛盾なく統一されている著者ならではの世界観をうかがわせるものになっている。


正直なかなか読むのがしんどかった本だが、基礎教養と歴史的知識をつけ、自分なりに今では相当細分化され思考パターンまでそれぞれ分かれてしまったように見える知のジャンルをどうつなげどう統合していくかという問題にむきあうときに再読してあらためて出会うことができるかもしれないと思った。
 

荻上チキ『ウェブ炎上』


著者からいただいた。あとがきにも謝辞をもらい、最近はそれに足るようなこともしてなくて申し訳ないかぎり。せめて真面目に書評をしてみる。


著者はこの本の狙いを以下の三点だという。


「インターネットのある世界」は、技術や慣習、価値観、ことば、思想、制度を含めたさまざまな変化を伴いつつ、これからも広がり続けていくでしょう。本書は、そのような変化をある程度自明のものと踏まえたうえで、その変化に価値判断を下すより前に、まずはインターネット上で行われるコミュニケーションの「しくみ」に着目し、その理解を共有できるようにしたいと思います。
 そのため、本書では多くの方が既に知っていると思われるウェブ上の「事件」であっても改めて取り上げ、適宜解説を加えています。多くの人と事例を共有することで、インターネット上の集団行動についてきちんと議論できるようにするためですが、それと同時にインターネットに興味のない方にも「世界の珍事件」を見るかのように楽しんでいただくためでもあります。
 その一方で、多くの読者の方にとっては「耳慣れない」と思われるいくつかの専門用語を、適宜解説を行いながら紹介しています。いくつかの用語やフレーズを共有することで、お読みいただいた方のインターネット上の集団行動に対する観察方法が、今後大きく変わることを期待してのものです。新しい言葉を知ることによって頭の中がすっきりと整理できたり、目の前で起こっている出来事が何であるのかを的確に把握できたりしますし、それに対する対応もうまくできるようになることでしょう。

 



つまり1.インターネット上の既存のメディアと違うコミュニケーションのメカニズムの分析、2.そのコミュニケーションがさまざまな形で話題になる事件になった事例の紹介、3.それらの分析のために必要な専門用語の解説、というわけだ。


その中で著者の本領は2の事件になった事例の紹介の豊富さだろう。中には著者が自ら調査し一部ではあれネット上で話題になったものも何例か含まれている。それらのトピックが多くブログで展開されたことを考えれば、ブログでの活躍が契機になって生まれたのであろうこの本の中で2の部分が白眉であるのも当然だろう。


また1と3においても(2でもそうだが)興味深い著者のある才能が現れている。それは「人文的な最先端アカデミック言語で現象を語りたい」という欲望に十二分に応える専門用語の多さと、それらの用語の羅列の中に見え隠れする、現在の時点でのジャーナリスティックな意味で株の高い語を選ぶある種の流行への敏感さである。
 ほめてない、と思われそうだが、そうではない。この本が想定するようなさほどこの分野の素養がないが、それを知的にわかって語りたいという人は、多くができるだけ簡単に最大の効果を得られる形で知ったかぶりができるようになりたい、という欲望ももっているものだ。しかもそのような知ったかぶりを第一歩にして、本当に知的な探求をはじめる人も少なくないのだから、そういう欲望にきちんと対応したものが書けることは一つの才能であり、それなりのマーケットの需要があるコマーシャルな能力を持っているといえる。そして著者は別の分野においてもこのような本を書くことができるだろう。つまりこの先も長く著述活動がみこめる力をもっているということだ。


できるだけ簡単に最大の効果を得られる形での知ったかぶりをするためには聞いたことない人にはわからない言葉を知って使えるようになるのが有効な一つの方法である。だからこそこの本ではこれでもかというほど様々な述語が出てくる。私も俗っぽくて情けないが、知ったかな欲望をもっているので本書でアジェンダ、エコーチェンバー、カードスタッキング、カスケード、ネーム・コーリング、バンドワゴン、コンテクストマーカー、アーキテクチャハブサイトなんて言葉を知り、隙あらば使おうとしかねない。


上記の理由でこの本にはインターネットにおいて人文学の分野で旬な人達や、そういう人が重要視する本が参考文献にずらっと並び、そうでない地味な研究や、意外な古典はほとんどない。また多くの術語も、ポストモダンの盛衰を見てきた身としては多くの語が長い先々まで使われるまえに泡沫的に消えていくだろうことも想像がつく。そういう長い先まで使えるかと厳しい吟味を経た上で書かれていないと批判することもできるが、むしろ上で勝手に想像したようにまず多く読まれなければ意味のない啓蒙書に必要な要素としてジャーゴン(内輪に閉じた専門用語)の過剰や流行追随のリスクを抱えつつ、そのようなスタイルを選んだというべきだろう。そしてそれは既に述べたようになかなかそこらへんの人にはできない優れた能力である。


広く専門用語や事例を紹介しているために、本書独自の分析は簡潔な形にとどめられている。その中でも肝になりそうなのは「二重のカスケード」だろう。カスケードとはこの本では「もともとは『小さな滝』を意味する言葉です。つまり多くの水滴やせせらぎより低いところを目指して流れていった結果、滝のように一ヶ所へと勢いよくなだれ込んでいく現象をイメージしていただければわかりやすいでしょう」とある。この語が転じて「サイバーカスケード」というサンスティーンという人が提唱した概念になる。「サイバーカスケード」という語の意味も本書から引けば「サイバースペースにおいて各人が欲望のままに情報を獲得し、議論や対話を行っていった結果、特定の―たいていは極端な―言説パターン、行動パターンに集団として流れていく現象のことを指します」とある。


この「サイバーカスケード」という語を使って著者の「二重のカスケード」という分析がなされる。「特定の問いが構築されることで、AかBかの議論へとカスケードしていくこと。その問いへのカスケード自体が、あらかじめAの勝利という結論へのカスケードを内包していること」と説明される「争点のカスケード」の上で、AかBどちらの立場をとって争うかという「立ち位置のカスケード」があるというのが「二重のカスケード」だという。多くの人は「立ち位置のカスケード」にばかり目がいってしまうが、本当に見出すべきは「争点のカスケード」だというわけだ。


この辺りの分析をしている章やカスケードという語の使い方については「メディア社会備忘録」(http://d.hatena.ne.jp/Seu/20071020#p1)において若干の指摘もなされている。私には是非の判断はまだできないが、印象としてはあまり自分が使うことでその事象をより明快に理解できるという手ごたえまではもたなかった。サイバーカスケードとは、インターネットという既存のメディアにはない圧倒的な様々な一般の人の意見が可視化されるメディアであることによっておこる、極端な意見へなだれこんでいく現象であるととらえたのだが、それは確かにネットならではという感じで面白い。しかし著者の分析における「争点のカスケード」を作るという点では、いまだに既存の電波メディアや紙メディアの力も強く、その大手メディアとの絡み合いや反発でそれらは生み出されていくのだろう。そこで既存のメディアとネットというメディアが現状どのような関係で、この先どんな過程を経て、役割やパワーバランスの変化や逆転の契機があるのかという点が私は大切だと思うので、それらの議論の土台となる既存のメディア(特に電波と紙)に対する基礎的考察が本書ではほとんど展開されていなかった本書を読む限りでは著者の分析の妥当性を判断できなかったからだ。


またプロフィールにある「メディア論、テクスト論を武器に」とあるが、テクスト論的な分析はこの本には見出されなかった。そこはあむばるさんが「メディアやウェブに目を向けるばかりに政治性が捨象されているように思われれて仕方がない。ついでに文学性も失われているように思われ」ると述べられているが(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=594226220&owner_id=166293&comment_count=4)、それについては私は上記のような著者の独自性を出そうとするよりもある需要のあるコマーシャルな啓蒙本を書こういうスタイルを選択したためだと思う。著者の政治性や文学性、あるいは本格的な分析力が試されるのはこの本ではなく、これから書かれるものにかかっているだろう。期待して待ちたいと思う。